今日もワインを飲んでます そして思いついたことを書きつづる

失われたワイン産地コンジカラ (Konjikala)

プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
今回は失われたワイン産地コンジカラ (Konjikala) について勝手に語ります。

 

 

紀元前2世紀まで、ワインで知られたコンジカラ (Konjikala) という町がありました。
しかし、この地に大地震が起こり、ワインの町は廃墟となってしまいました。
これがのちに新たな村となり、都市となり、そして現在のアシガバート(Aşgabat)となりました。トルクメニスタンの首都です、1919年から1927年の間はポルトラツク(Полторацк)という都市名でした。

 

コンジカラは廃墟となり、失われた町でしたが、古代イランのパルティア王国(アルサケス朝)のミトラダテス1世によってニサが作られました。
ニサはパルティアの初期の首都でした。旧ニサは城壁に囲まれた遺丘で、北部に王の宝物庫などがあったと推測されています。中央部には巨大建築物群の遺構が残っています。新ニサも城壁に囲まれた遺丘で、パルティアが滅亡した後も滅ぶことはありませんでした。最終的に廃れるようになったのは、13世紀にモンゴルの襲来で破壊されたことによりました。その後は小さな村のままでした。

 

このパルティアですが、多様な異民族、異文化の地域を支配してきたことで、ペルシアやギリシアなど、当時の覇権的な役割だった地域の文化を取り入れていました。
初期はセレウコス朝との対立関係がありましたが、セレウコス朝はローマによって滅ぼされたことで、パルティアとローマが西アジアを分けるほどの勢力となりました。こうなると、ローマとの衝突は避けられなくなりました。その戦いは一進一退を繰り返しました。
西暦2世紀以降になると、メソポタミアやバビロニアにローマ軍が侵入することが多くなり、セレウキアとクテシフォンを占領されることがありました。さらにパルティア側では王位をめぐる内戦もおきたことから弱体化していきました。

 

実はパルティアについては、未だ不明瞭な部分が多く、史料も圧倒的に乏しいといえます。
しかもこの地では、後にイスラム世界となり、パルティアの歴史については記録も記憶もほとんど残らなくなってしまったのです。
滅亡についても、ローマとの戦争により弱体化し、サーサーン朝の勃興によって滅亡しましたが、経緯については、よくわかっていません。パルティアの公式な歴史記録がないこともあり、他の国々の文書からはかり知ることが多いのです。

 

さて、失われたワイン産地だったコンジカラですが、19世紀になるとロシアによってアシハバードという町が作られました。要塞も造られ、新しい街として発展が始まりました。1881年にはガージャール朝がアクハル条約でロシアに割譲したことで、ロシアはさらにこの町を開発していきました。
20世紀になると、ロシアの赤軍によってアシハバートが掌握され、1918年にはイギリス軍と白軍の連合軍に奪われるものの、沿カスピ連合政府が設立されたことで内戦となりました。そして1919年に奪回したことで、町の名をポルトラツクとしました。
ポルトラツクはトルキスタン自治ソビエト社会主義共和国の主要都市となり、1925年にトルクメン・ソビエト社会主義共和国が誕生すると首都となりました。1927年にアシハバードの名になりました。

 

1948年10月6日には、この地に大地震が派生しました。市の人口の3分の2が失われたようです。まさに、紀元前の時代にワインの町だったコンジカラが廃墟となったのと同じような規模だったのでしょう。
そして、1991年、ソ連からの独立によりアシガバートという都市名になりました。

 

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