セラーの温度と衛生状態:
温度が低いセラーもあれば、高いものもあります。
温度が低いセラー(熟成の速度は遅くなり、ワインは酸化しにくい)の方が、温度が高いセラー(アロマや風味の熟成速度は速く、ワインの酸化は早まる)よりも個性的なワインになりやすい。
さらにセラーは清潔か?不潔か?
これらはワインのスタイル、品質、そして個性に並外れた影響を及ぼす要素の、ほんの一部に過ぎません。モダニストたちが主張するように、最高の品質を追求しているときでさえも、ブドウ畑のテロワールよりは人間が下す決断の方が、ワインの特徴に遥かに大きな影響を持つことの方が多いと思います。
テロワールについて私がどう思っているかというと、確かに見事なワインを生産するための重要な要素だと確信はしています。しかし、テロワールの影響力の最も説得力ある例は、ブルゴーニュではなくアルザスやドイツで栽培される白ワイン品種だと思っています。
テロワールについて議論するなら、格別に低い収量の果実を使い、畑固有の天然酵母のみで発酵させ、古樽やセメント槽、ステンレスタンクといったワインに影響を及ぼさない中立的な容器で熟成させ、セラー管理は最低限にとどめて、清澄や濾過をほとんどせずに、もしくは全くせずに瓶詰めしたものでないと始まりません。
もしテロワールが、ワインの味わいの最重要要素であり、ワインを正当化するのに欠かせないのだとしたら、ブルゴーニュで最も有名なグラン・クリュである『シャンベルタン』をどのように理解すればよいのでしょう??
シャンベルタンの13ヘクタールの畑には23の異なる所有者がいます。この内、偉大といえるワインを産み出しているのはほんの一握りしかいません。
この畑が崇め奉られた畑であることは誰もが知っていることですが、その天まで届きそうな、まるで神を称えているのかと思うほどの評判にふさわしいワインを造っているのは、、
ドメーヌ・ルロワ
ドメーヌ・ポンソ
ドメーヌ・ルソー
ドメーヌ・デ・シェゾー
等です。
さらに、これらの造り手のワインは、それぞれ全く異なったスタイルのワインとなっています。
それ以外の生産者のワインは、並級品もしくは凡作~美味しくないワインです。
一体どのワインがシャンベルタンの土壌を表現しているのか??理解に苦しみます。。
ブルゴーニュの事実上すべての主要な畑についても同様です。
コルトン・シャルルマーニュと、そこで最も崇拝されている造り手の内4人については、、
フェヴレ社は、この名高い丘の頂上の、最も素晴らしい区画を所有しており、人を動かさずにはおかない、エレガントなコルトン・シャルルマーニュを造っています。スタイルの点では、超絶的な凝縮感を持ち、オークの強い、幅広い風味を持つ、アルコール度数の高いルイ・ラトゥールによるコルトン・シャルルマーニュのアンチテーゼです。
ここでもドメーヌ・ルロワは白ワインというよりはタニックな赤を思わせるような、内向的で硬く、頑強なコルトン・シャルルマーニュを造っています。
ドメーヌ・コシュ・デュりは並外れたミネラルの要素とともに、著しい豊かさと、とろみと、豪華さがあり、ワインの果実味と舌触りにオークが一歩譲ったようなワインです。
畑の価値を正当化するためにテロワール至上主義者たちによって主張されてきた『どこそこらしさ』を、これらのコルトン・シャルルマーニュのうちのどれが表現しているのだろうか?
テロワール至上主義者は、知識を詰め込むのではなくもっとワインを飲む(1本1本をじっくりと味わって少なくともボトル2/3は飲みきる)べきです。
彼らは、名もないジブリ村の畑から造られる偉大なワインよりも、ミシェル・グロの村名ヴォーヌ・ロマネの方が美味しいというのだろうか??
しかし、その一方で、ジブリの控え目な畑からどんなに強烈で凝縮されたワインを造っても、誠実な造り手から産み出されたヴォーヌ・ロマネ・グラン・クリュの真の複雑性や気品には決してかなわないということも事実です。
結論としては、劣ったテロワールから偉大なワインが産み出されることはないこと、そして最高レベルのワインは必ずある程度はその産地を表現しているべきであることが原則だと思います。
しかしながら、ワイン愛好家はテロワールを塩や胡椒、ニンニクなど調味料と同じように考えるべきだと私は思うのです。多くの料理で欠かせない役割を果たし、料理に素晴らしいアロマや風味をもたらす。しかし、それだけを口にすれば、飲みこむのすら苦痛。さらに、テロワールに関する議論が多すぎて、最も重要な点が忘れられてしまっています。
飲んで、愉しむ価値のあるワインを造る、誠実な『生産者』を識別することが一番大切です。
~~ 続く ~~
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