今日もワインを飲んでます そして思いついたことを書きつづる

長野県塩尻市

プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
今回は長野県塩尻市について勝手に語ります。

 

 

1890年(明治23年)、長野県では塩尻で初めてブドウ栽培が始まりました。ワインの醸造はその7年後の1897年(明治30年)でした。
これは、豊島理喜治という人物が、ブドウ栽培を始め、ワイン醸造会社を設立したことで始まったことでした。実はこのブドウ畑も、ほとんど原野だった地域を開拓し、ブドウの26品種、苗では約3000本を植えたことから始まりました。
理喜治に続いたのは、21年後の1911年(明治44年)でした。五一わいんの創業者である林五一が、桔梗ヶ原でブドウ栽培を開始したのでした。実際に五一わいんが誕生するには少し時間を要しましたが、このように塩尻でワイン生産がされるように指導したのは、「日本ワインの父」と呼ばれた川上善兵衛でした。
そして信濃ワインの塩原武雄が現在のサントリー、当時の寿屋の社長だった鳥井信治郎に、ブドウの取引を持ちかけました。それ以降、大手醸造会社の工場が誘致され、寿屋だけでなく、現在のシャトー・メルシャン、当時の大黒葡萄酒の工場が建設されるようになったのでした。

 

その塩尻ですが、松本盆地の南端にある都市です。現在の人口は6万6000人程度で、長野県ではほぼ中央部分に位置することになります。
諏訪盆地から塩尻市内に入るには、かつての中山道に塩尻峠があり、三州街道には中央分水嶺の峠の一つの善知鳥峠が、さらに木曽方面を隔てる鳥居峠もあります。このように街道の難所である峠にかこまれた場所ですが、長野県内では随一の交通の要衝でもあります。
塩尻の名の由来は、塩の販売に関係しているといいます。海がなく、塩を生産できない信州は、日本海側から塩売りが各地を回って売り歩いてました。その塩売りが、ちょうどこの近辺で品切れになったことから、「塩尻」という名になったというものです。あるいは、日本海側、太平洋側のらそれぞれから塩が運ばれてくると、この地域で両者が合流することから、塩の道の終点という意味で「塩尻」になったという説もあります。
交通の要衝であるのは、難所である峠をこえてきた中山道と北国西街道が交わる宿場町であるからです。そして、明治になってからは塩尻宿から約2km離れた地に塩尻駅が建設されました。この駅は、中央本線の東線と西線の分岐駅になり、松本・長野方面の篠ノ井線も集まり、3面6線の駅になりました。しかも、中央本線は東線については、みどり湖駅経由の本線と辰野駅経由の支線も分岐しています。
中央本線には新幹線はないので、現在は、特急列車は東線で「あずさ」、西線で「しなの」が停車します。東線と西線を直通する定期列車は存在しないので、同じ中央本線なのにもかかわらず、運行系統が完全に分断しています。
また、国道も19号線・20号線・153号線などが集まるようになりました。

 

そんな塩尻市ですが、現在のワイン製造業社としては、アルプス、井筒ワイン、五一わいん、信濃ワイン、サントリー、メルシャン、JAなど多数のメーカーが存在しています。 ブドウ品種では、ナイヤガラやコンコードが主力品種ですが、最近ではメルロー、シャルドネなどのヨーロッパ系品種の生産も増加しています。
このブログで紹介する海外のワイン産地も良いですが、国内の生産地も忘れてはいけません。

 

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