Livining in Wineby シエル・エ・ヴァン

今日もワインを飲んでます そして思いついたことを書きつづる

  • バタンバンBanan Grape Farm

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    今回はバタンバンについて勝手に語ります。

     

     

    カンボジアの首都プノンペンから北西約300kmに位置するバタンバンには、意外なことにカンボジアの国産ワイナリーがあります。
    カンボジアとワインというだけでも結びつかず、バタンバンという都市名も聞いたことがないという人は多いことでしょう。
    しかし、バタンバンはプノンペンからタイへと続く地点にあり、人口規模でもカンボジアで2位、3位を争うほどです。街中はサンカー川が貫き、フランス植民地時代の建築が今でも残っていることから、欧州とアジアが融合した美しい街並みが広がっています。

     

    ワイナリーに行くには、バタンバン中心部からトゥクトゥクなどを利用すれば30分程度で着きます。
    観光名所の「ワット・バナン」の遺跡は、その先にあります。ただ、ワイナリー周辺は観光地ではないので、カンボジアらしいのどかな風景が広がっています。
    それもそのはずで、11世紀のクメール王国時代から国内有数の稲作地帯だったのです。
    クメール王朝は別名がアンコール王朝で、カンボジアのもととなった国で、チェンラ王国の流れをくむクメール人の王国でした。
    隣のタイで建国されたアユタヤ王朝との戦いに破れ、首都陥落によって王朝はなくなりました。

     

    さて、ワイナリーですが、「Banan Grape Farm」という名称です。
    歴史はそれほどあるわけではありません。ブドウ栽培の始まりは1999年だといいます。2004年からワイン生産を行うようになったといいます。それほど大きな規模ではありませんが、ブドウの収穫を年に3回も行うことができるそうで、それでワイン生産の量も確保しているようです。
    品種はシラーズ、カベルネ、ソーヴィニヨンなどで、当然ながらカンボジアには自生していませんでしたから、海外から持ってきたものです。日本からも輸入したそうです。

     

    バタンバン周辺には、カンボジアの歴史を語る上で外せない悲惨な場所もあります。
    キリング・ケーブです。
    ここはポルポト政権が支配していた街でした。
    ポルポト政権は知識人の抹殺を行なっていたことから、虐殺に使われた場所があります。その洞窟がキリング・ケーブなのです。

     

    そんなカンボジアの貴重なワインについては、まだまだ情報が少ないといえるでしょう。

     

  • カルトワイン

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    今回はカルトワインについて勝手に語ります。

     

     

    カルト(cult)といえば、通俗用語として「カルト集団」とか「カルト教団」などのように、社会的に「悪」の集団として使われることが多いといえます。
    イメージ的に反社会的集団の代名詞になっていて、反社会的には犯罪やテロなどを繰り返す危ない団体となるでしょう。
    しかし、もともとは宗教用語で、「儀礼・祭祀」の意味を持つ言葉です。

     

    そんなイメージの良くない「カルト」ですが、「カルトワイン」となると、全く異なるものになります。
    厳密に定義されているかどうか分かりませんが、一般的には「カリフォルニア、特にナパヴァレーを主体に生産されている高品質な高級ワイン」のことになります。1990年頃より使われ始めました。
    実はこれには1976年の「パリスの審判」が関係しています。

     

    パリスの審判

     

    フランスワインとカリフォルニアワインの優劣を競った結果、カリフォルニアワインが、フランスワインの得点を上回ってしまったのですが、このときにフランスワインに勝利したワインこそが「カルトワイン」だったのです。
    今ではカリフォルニアにも5大カルトワインがあり、フランスワインに劣らず人気があるとも聞きます。

     

  • ミルク・ワイン

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    今回はミルク・ワインについて勝手に語ります。

     

    ワインとミルクを使った飲料というと、カクテルの「ピーチ・レディ(Peach Lady)」があります。
    創作したのは日本人で、帝国ホテルの佐藤謙一氏で、1988年にメルシャン・カクテル・コンペティションで最優秀賞に輝きました。
    しかし、ミルク・ワインと呼ばれるロシアの飲料は馬乳酒です。

     

    馬乳酒というと、本場はモンゴルで、シルクロードの商人たちの主な飲み物だったことでも知られます。

     

    モンゴルの「赤と白」

     

    ロシアのミルク・ワインは、アストラハン州でよく見かけることができます。
    あまり馴染みのない地域といえますが、周囲も東にカザフスタン、西にカルムイク共和国、北にヴォルゴグラード州で、こちらもあまり馴染みがないといるでしょう。
    ただ、カスピ海は聞いたことがあるでしょう。その北部にあるエリアで、プリカスピスカヤ低地に位置していることで、標高は海抜より低いのが特徴です。
    カスピ海にはヴォルガ川が注いでいますが、その河口付近が三角州になっていて、「ヴォルガ・デルタ」と呼ばれています。

     

    州都のアストラハンは、そのデルタ地帯にあり、市街地は11の島に分かれています。
    世界的に有名なものはキャビアで、カスピ海産のチョウザメからキャビアの加工をしている都市です。

    モンゴルと同じようにミルク・ワイン(馬乳酒)があることでも想像できるように、ハザール、つまり遊牧民族の国でした。

    ハザールはまだまだ謎に包まれた部分を多く持つ国でしたが、アストラハンの南南西40kmにあるサモスデルカはハザールの都だったイティルだと推定されています。
    また、北120kmにあるセリトリャンノイェの周辺が首都サライだったことは歴史的に認識されています。

     

    遊牧民の国と欧州の文化が混在し、馬乳酒がミルク・ワインになったというのは、実に興味深いといえます。

     

  • ホーエンツォレルン城

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    今回はホーエンツォレルン城(Burg Hohenzollern)について勝手に語ります。

     

    フリューリングスフェスト(Stuttgarter Frühlingsfest)で有名なシュトットガルトからクルマで約1時間程度の山の頂きにホーエンツォレルン城があります。
    今では日本人観光客が訪れることも珍しくないかもしれませんが、30年前は城内ガイドも英語対応せず、ドイツと近郊の人たちが中心に訪れる城でした。

     

    ドイツの城で最も有名なのはノイシュヴァンシュタイン城(Schloss Neuschwanstein)でしょうが、個人的にはこちらのホーエンツォレルン城のほうが好きです。
    現在の城は3代目で、最初の城の建設時期は分かっていません。
    破壊されたのは1423年で、シュヴァーベン帝国自由都市の部隊によります。
    2代目は1454年に再建が開始され、神聖ローマ帝国のハプスブルク家やフランス軍の占領などを経たのちに廃墟となります。
    現在の3代目はフリードリヒ・ヴィルヘルム4世によります。この建設時期がノイシュヴァンシュタイン城の建設と同じような時期になります。

     

    城の中には聖ミカエル礼拝堂があり、山頂の城壁に囲まれた中庭というロケーションもあり、不思議な荘厳さがあります。
    城の所有者だったホーエンツォレルン=ヘヒンゲン家はカトリックで、三十年戦争の悲惨さを経験してもプロテスタントに改宗することはありませんでした。
    しかし、1869年に断絶しています。ときはドイツ帝国成立直前でした。

     

    2代目の城の時代に三十年戦争は起こり、この戦争によって神聖ローマ帝国の骨格内だけでは収まらないほどの広がりを見せ、同時に西ヨーロッパの動向に大きな影響を与えました。
    その結果、神聖ローマ帝国は弱体化し、フランスが大きな地位を築くことに繋がりました。さらにヴェストファーレン条約により、新たな国際法が確立されることにも繋がりました。

     

    この城は現在でも不便な場所に位置していますが、観光客が団体でバスで乗り付けるようにもなりました。
    シュトットガルトでワインを楽しみ、少し足を伸ばしてホーエンツォレルン城を見学するというのも良いのかもしれません。

     

  • 通化葡萄酒

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    今回は通化葡萄酒について勝手に語ります。

     

    中華人民共和国吉林省西南部に位置する通化市は、かつての満州国の首都でした。
    と、いっても、通化市が首都だった期間は1945年8月9日から18日までという短い時期だけです。
    この通化市産の山ブドウを原料にしたワインが通化葡萄酒です。

     

    きれいな紫紅色をしている甘口のワインです。
    甘みとともに適度の酸味があり、渋味もかすかですがあります。そのため全体的な印象としてはさわやかな感じになります。
    酒精度は、酒精度15度で糖分15%のものと、酒精度12度で糖分15%の二種類あります。
    このワインを製造している場所は吉林省と遼寧省を流れる鴨緑江水系の河川である渾江東岸にあります。この地域は長白山の南麓になりますが、この長白山こそ、朝鮮民族の信仰の山である白頭山です。現在は北朝鮮と中国の国境の山になっていて、標高2,744mの火山です。
    韓国でも北朝鮮でも、『三国遺事』が引用している「朝鮮古記」から、朝鮮という国家創生の神話になっています。
    それによると、朝鮮国は、この白頭山に誕生し、その後に平壌に遷都したとしています。そのため白頭山は「朝鮮民族の揺り籠」であるとしているのです。

     

    あくまで神話の世界の話で、実際は、『三国遺事』に記載される山は白頭山ではなく太伯山で、この太伯山を白頭山の古い呼称としているのだと思われます。一説では、20世紀になってから朝鮮民族の聖地となったともいわれています。
    聖地化された根拠として、詩人でありジャーナリストであり、歴史家であった崔南善により、白頭山にかつて存在したといわれる茀咸文明こそが朝鮮文明の根源であるという学説を作り出したことによります。そのとき著した著作が「白頭山覲讃記」で、自ら登山した記録でもありました。
    ちなみにこの崔南善ですが、朝鮮民族の誇りを強調し、歴史認識もかなり独特なものでした。
    日本に関連する部分でも「百済も高句麗も新羅も日本に多くの植民地があった」としていて、領土問題では日本の竹島についても、韓国の政治家・兪鎮午に「独島」が韓国領であることを確信させた人物ともいわれています。

     

    さて、通化葡萄酒ですが、製造は通化葡萄酒廠で、創業は1937年です。
    しかし、創業当初は品質が悪く、決して褒められたワインではなかったといいます。生産量も少なかったようです。
    しかし、国営になり、劇的に生産量が増加し、品質も向上したようです。
    原料の山ブドウも、品質改良を行い、農業技術も進歩し、山ブドウ園を増やしていきました。その結果、1955年から輸出されるようにもなりました。

     

    また、通化というと、通化事件を思い浮かべる人もいるかもしれません。
    悲惨な事件であり、当時の時代背景が大きく関係したものでした。
    それは1946年2月3日のことでした。
    このとき、通化市は満州国通化省でしたが、中国共産党に占領されていました。中華民国政府が要請し、それに呼応した日本人が蜂起したのです。
    鎮圧される結果となりましたが、その後も中国共産党軍や朝鮮人民義勇軍南満支隊は日本人を虐殺していきました。一部の朝鮮人も虐殺されたようです。
    このとき、日本人が虐殺された人数は約3000人といわれ、その多くは武装蜂起とは関係のない一般の老若男女だったといいます。
    実はその前年にもアジア系のソビエト兵の乱射事件があったりしていました。このときの犠牲者も20代の女性教師で、理不尽な事件でした。
    日本人が中国人を虐殺したとされる南京事件は、別名で「南京大虐殺」ともいわれますが、通化事件では殺す側と殺される側が正反対だった事件です。南京事件と比べて、あまり語られていない歴史の一コマです。

     

    かなり話のそれたことになりましたが、日本人としては悲しい歴史に彩られた地で誕生した通化葡萄酒、満州と絡めて飲むのはいかがでしょうか?

     

  • ヴォーヌ=ロマネ

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    今回はヴォーヌ=ロマネについて勝手に語ります。

     

    ロマネ・コンティ(Romanée-conti)といえば、ブルゴーニュワインを代表するというより、フランスを代表するワインとえいます。
    そのロマネ・コンティを始め、単独でAOCを名乗れる特級畑が6つもあるコミューンがヴォーヌ=ロマネ (Vosne-Romanée)です。
    セーヌ川の源泉を擁する場所にあるコート=ドール県(Côte-d’Or)に位置します。

     

    コート=ドール県はフランスでは珍しく、国内で唯一、地理的な名称ではありません。何と、「黄金の丘」という意味のついた県名なのです。
    命名者はブルゴーニュ=フランシュ=コンテ地域圏の首府であり、コート=ドール県の県庁所在地であるディジョン(Dijon)の議員だったシャルル・アンドレ=レミ・アルノーによります。
    さらに付け加えれば、ブルゴーニュ州から分割されたことで誕生した県になるため、その際に命名されたという逸話があります。

     

    ヴォーヌ=ロマネは人口わずかに500人に満たないほどで、ここから世界ナンバーワンの赤ワインが生産されています。その代表格はロマネ・コンティです。
    ブドウはピノ・ノワールで、当然ながらAOC認定です。
    ロマネ・コンティの生産量は少なく、年間6,000本程度です。ブドウ畑の面積も少ないのですが、収穫したブドウもかなり厳選したものが使われることもあり、希少価値があるのは事実です。

     

    とにかく高価なワインの生産地がヴォーヌ=ロマネで、庶民には縁のないワインです。

     

  • 中央マケドニアのハルキディキ

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    今回はハルキディキについて勝手に語ります。

     

    古代ギリシアはワイン文明を開花させたといっても過言ではないほどの地域です。エーゲ海に面した地域は、ブドウ栽培にとって恵まれた天候であり、古代において先進的な文明地域でした。
    現在はEU加盟国の中でも、経済的な不安定さから、かつての栄光とは比べられない状態になっています。ワイン生産についても同様といえるかもしれません。

     

    それでも古代から続く伝統的なワイン産地はあり、よく調べてみると魅力的だったりします。
    そんなギリシアの中央マケドニアにあるハルキディキを今回、取り上げてみようと思います。

     

    ハルキディキは、行政の単位では県になり、マケドニア地方にあり、県都はポリギロスです。
    エーゲ海に突き出したハルキディキ半島に位置し、この半島はさらに3つに半島に分かれています。その一つがアトス半島で、先端にアトス山がそびえています。
    この山の周辺でもブドウが栽培されているようですが、なんといってもここはギリシア正教会の聖地で、「聖山」とも呼ばれています。
    ユネスコの世界遺産に認定されていて、ギリシャ共和国の中ではあるものの、「アトス自治修道士共和国」という扱いで、バチカンのように実質的な「独立宗教国」といえるかもしれません。
    ブドウはカベルネ・ソーヴィニヨンなどの国際的な品種も栽培されていますが、地元のブドウも多いようです。

     

    そしてこの地方の出身者で最も有名な人物といえば、アリストテレスです。
    ソクラテス、プラトンと並んで、古代ギリシアだけでなく、ヨーロッパを代表する哲学者の一人とされています。

     

    現在のハルキディキは比較的のどかな地域で、県内の都市も人口が1万人を超えるところがありません。
    県都のポリギロスでも5,000人程度で、県内最大のネア・プロポンディダでも6,500人程度しかいません。
    古代ギリシア時代はトラキアの一部で、独自の文化が栄えた地域にギリシア人の植民都市が建設されていきました。そのため、ワインはギリシア人により持ち込まれたようです。

     

  • パリスの審判

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    今回はパリスの審判について勝手に語ります。

     

    ギリシア神話の一挿話で、トロイア戦争の発端とされる事件として知られる「パリスの審判」。フランドルの画家ピーテル・パウル・ルーベンスによる絵画としても有名です。
    3人の女神が、美男といわれたパリスの前に並び美を競い合うというものですが、この3人の女神は、神々の女王ヘーラー・知恵の女神アテーナー・愛と美の女神アプロディーテーです。
    イリオス(トロイア)王プリアモスの息子パリス(アレクサンドロス)により判定されるというものです。
    これは賄賂戦ともいえるもので、3人の女神はパリスをそれぞれに買収しようとしていました。ヘーラーは「アシアの君主の座」、アテーナーは「戦いにおける勝利」、アプロディーテーは「最も美しい女」を約束しました。
    最終的にパリスは「最も美しい女を与える」というアプロディーテーを選びましたが、この「最も美しい女」が問題で、その人はスパルタ王メネラーオスの妻であるヘレネーのことでした。
    これこそがトロイア戦争の原因となったといわれるものです。

     

    この神話に絡めて、ワイン業界では激震が走った事件がフランスでおきました。1970年代の「パリスの審判」は、フランスのワインとカリフォルニアのワインの優劣をフランスのワインの専門家を集めて審査するというものでした。
    当然、新世界ワインのカリフォルニアワインは品質が向上したとしても、まだまだフランスのワインに勝つことはありえないといわれ、いわば「パリスの審判」と同じように予め勝敗は分かっているはずのものでした。
    そう、結果は決まっていたのです。

     

    では、その結果は?

     

    20世紀も終盤に近くなり、新世界のワインの品質が向上し、伝統的なワイン産地だけが優れているという信仰は消え去りました。
    ところが21世紀の現在でも、ワインの代表的な国はフランスに変化はありません。絶対的に揺るぎないフランスワインの地位は失墜していません。
    では、パリスの審判の結果は?

     

    思いつきで今回のテーマを決めたので、もう少し詳細を調べてからにしましょう。機会があれば次回へ続きます。

     

  • ブルゴーニュ・ボルドー・ワシントン州

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    今回はワシントン州について勝手に語ります。

     

     

    アメリカのワシントン州(State of Washington)はフランスのブルゴーニュやボルドーとほぼ同じ緯度に位置します。北緯45~47度で、まさにワインベルトの中でもフランスを代表する産地と同緯度ということで、必然的に品質の高さが想像されます。
    州都はオリンピアですが、日本人に馴染みがあり、経済的な規模ではシアトルがワシントン州を代表する都市といえます。

     

    州の人口は670万人ですが、大都市圏はシアトルの都市圏だけで、州全体の人口の60%程度が集中しているといわれます。
    ブドウの栽培は、リースリング、シャルドネ、カベルネ・ソーヴィニヨン、シラー、メルロなどの品種で、同緯度のフランス2大産地と異なり、白ワインの割合が高いといえるかもしれません。
    日本にも輸出されていますが、あまりお目にかかることはありません。
    大規模ワイナリーによる大量生産ではなく、小規模なワイナリーが多く、希少価値があることも関係しているかもしれません。

     

    州名のワシントンは初代アメリカ合衆国大統領ジョージ・ワシントンに由来していますが、首都のワシントンD.C.とは全く異なる地域になります。
    もともとはコロンビア川があることもあり、「コロンビア」と呼ばれていたようです。一方、ワシントンD.C.がコロンビア特別区と呼ばれることもあり、混乱を避けるために一般呼称として「ワシントン州」というように、必ず「州」をつけるようになっています。
    マイクロソフトの本拠地、スターバックスの発祥の地、さらにはMLBのシアトル・マリナーズの本拠地のある州ですが、ワインにも目を向けてみるのも良いかもしれません。

     

  • 世界最古のワインと謎多きシュメール人

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    今回はワインの歴史の原点・シュメール人について勝手に語ります。

     

     

    諸説あるでしょうが、ワイン醸造に関する世界最古の記録は「ギルガメッシュ叙事詩」といわれます。紀元前5000年頃に起きた出来事が記述されていて、この中にワインについての話があります。
    この「ギルガメッシュ叙事詩」は、古代メソポタミアの文学作品ですが、舞台となっているのはシュメールで、このシュメール人こそが謎に包まれています。

     

    ワインは「ギルガメシュ叙事詩」から

     

    シュメール人が謎とされるのは、突如として歴史の表舞台に登場してきたからです。
    どこから来たのか、それまでどのような文明だったのか、全くの謎です。
    歴史の表舞台に登場してからは、メソポタミア文明を築き、高度な建築、数学、美術などを背景とした都市国家を形成していきました。その中には文字も含まれ、「ギルガメッシュ叙事詩」に代表される文学までも生みました。
    それほどまでに先進的な文明を築き上げていったにも関わらず、それらの技術や知識、文化的な基礎部分は、どのようにして生まれ、メソポタミアに持ち込まれたのか分かっていません。

     

    実は歴史の表舞台へ登場したとはいうものの、19世紀まではそれすらも知られていませんでした。それ以降は古代文明の主役として認知され、まさに表舞台でしたが、それまでは歴史の闇の中にいたのです。
    原因は、その後にアムル人やバビロニア人に支配されたことで、シュメール人だけでなく、先進的な文明も闇に消えていったからでした。イラクの砂漠の中に痕跡が埋もれ、19世紀の考古学者によって発掘されるまで、存在すら知られていませんでした。

     

    またシュメール人は民族系統も謎のままです。
    アッカド王朝以前の遺跡から推察されるのは、アッカド人とは明らかに異なる風貌だったという点くらいです。
    「旧約聖書」の創世記に登場するノアの方舟は、「ギルガメシュ叙事詩」に登場するものだといわれますが、この洪水後に住み着いたシュメール人は、「東からやってきた人々」となっています。

     

    ノアとワイン

     

    「東」からということは、モンゴロイドの可能性もあり、言語的・容貌的観点とあわせると、信憑性もそれなりに高いかもしれません。
    シュメール人の国家としては、最初にウバイド期があり、次のウルク期が都市文明の開始期といわれます。
    王朝は紀元前2800年頃のキシュ第1王朝の王エンメバラゲシからです。
    アッカド帝国時代(紀元前2350年-紀元前2113年)になって支配者はアッカド人に移ります。
    最終的に古代オリエント世界は、紀元前525年にアケメネス朝ペルシア帝国のカンビュセス2世による統一で終わりました。

     

    まだキリスト教もイスラム教もない時代で、宗教的儀式とワインとの関係はないと思われます。
    そもそも謎だらけのシュメール人ですので、その宗教も独特で、アブラハム系の唯一絶対神ではありませんでした。
    地母神のナンム、愛の女神のイナンナ、風神のエンリル、雷神のマルドゥクなどの多神教でした。
    ギリシア神話と同じように、シュメール人が崇拝する神々には、各都市との地域に関連したものがあったりし、さらには関連する諸都市の政治的権力が影響する傾向もあったといいます。

     

    ワインの歴史は古いですが、それ以上に古いシュメール人に古代のロマンを感じるのは私だけでしょうか。より深く考察してみたいと思っています。

     

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