Livining in Wineby シエル・エ・ヴァン

今日もワインを飲んでます そして思いついたことを書きつづる

  • ワインベルトとは

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    今回はワインベルトについて語ります。

     

     

     

    「~ベルト」という表現があります。
    アメリカの「ラストベルト」は、中西部地域から大西洋岸中部地域に続くエリアで、脱工業化が進んでいる地帯を意味します。
    日本では「太平洋ベルト」があります。これは茨城県から大分県まで続く、太平洋に沿った工業地帯のことです。

     

    では、「ワインベルト」とはどの地域になるでしょうか?
    これはブドウの生産地域が該当します。

     

    具体的な条件としては、年間平均気温が10~20℃。
    ブドウの花の開花から収穫までの時期の日照時間が年間1250~1500時間。
    年間降雨量500~800mm。

     

    緯度では北緯30~50°と南緯20~40°になります。
    北半球では日本も含まれますが、ワインの代表的な生産地であるヨーロッパはほとんど入るし、アメリカも入ります。
    南半球では、オーストラリア、ニュージーランドだけでなく、南米のチリ、アルゼンチンなどが入ります。アフリカ大陸では南アフリカも入ります。

     

    このように見ると、日本で普段、手にすることのできるワインは大抵がワインベルトの産地で、だから何だ、という話になりそうです。
    そう、確かに何だ? です。でもワインベルトとはそういうものです。

     

  • モンテネグロの歴史とワイン

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    今回はモンテネグロの歴史とワインについて語ります。

     

     

    モンテネグロという国をご存知でしょうか?
    実はモンテネグロのワインは2000年以上の歴史をがあります。しかも、モンテネグロでしか栽培できないブドウ品種もあり、ブドウ畑もヨーロッパ最大の面積を誇ります。

     

    そんなモンテネグロですが、あまり日本では馴染みのない国だと思います。
    実は「モンテネグロ」としての歴史は、ワインより浅く、スラヴ人がローマ帝国のダルマチアの一部に住み着いたことが始まりです。この地域が現在のモンテネグロになります。

     

    1077年、ローマ教皇のグレゴリウス7世はドュクリャ公国を独立国として認めました。このドュクリャ公国こそ、モンテネグロ人の最初の独立国です。
    しかし、地域的に東ローマ帝国に近いこともあり、ドュクリャ公国は東ローマ帝国にも貢ぎ物を送っていました。
    のちにステファン・ネマニャにより、ドュクリャは支配されてしまいます。ツェタ公国となってから再び独立を達成し、バシク王朝、ツルノイェヴィチ王朝の時代を経て、15世紀になってからオスマン帝国の侵攻を受けます。しかし、ツェタ全域までは征服されませんでした。

     

    中世以降、モンテネグロの地域は、神政政治となります。
    ツェティニェの主教公(vladika)が治めるモンテネグロ主教領として運営されていきました。オスマン帝国の影響下であったにもかかわらず、自治権を保持してきたことで、独自の文化が育まれてきました。
    モンテネグロ公国となったのは、主教公となったダニーロ1世により、1852年にモンテネグロ公を自称したことで、公国へと転換したことによります。しかし、これはクリミア戦争の端緒の一つへと繋がることになりました。

     

    オスマン帝国との独立戦争ではニコライ1世になってからで、1876年にセルビア公国とロシア帝国が支援したことで、勝利することになりました。これでまた、独立国として認められました。
    ちなみに神政政治ですが、これは特定の宗教を統括する組織と、国家を統治する機構が実体的に同等なものをいいます。政教一致の一種で、教会国家主義になります。国家教会型(State church)では、教会が国家の一機関となり、運営を支配した形式になります。そのため、教会が国家に従属した状態になるので、ローマ帝国や神聖ローマ帝国、東ローマ帝国などが代表例です。

     

    そんな独立国家も、第一次世界大戦によりオーストリア・ハンガリー帝国に占領されることになり、ニコラ1世はフランスへと亡命しました。
    さらにセルビア軍に占領され、スロベニア人、クロアチア人、セルビア人の国々に取り込まれることになりました。これこそがユーゴスラビア王国です。
    そのため、モンテネグロはユーゴスラビアの中の一地域となったのです。

     

    そして第二次世界大戦です。
    ユーゴスラビアはイタリアとドイツによる侵攻を受けたことで、分割されることになりました。モンテネグロはイタリアの占領下になりました。
    傀儡国家としてのモンテネグロ独立国ができましたが、1944年に再びユーゴスラビアに復帰し、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の連邦の一部である共和国になりました。それがモンテネグロ人民共和国で、1963年からはモンテネグロ社会主義共和国になりました。

     

    東欧が激変したのはソ連崩壊や、ベルリン壁崩壊などが続いたことで、ユーゴスラビアでは紛争が勃発します。モンテネグロは最後までユーゴスラビア連邦共和国から離脱しなかったものの、1997年の選挙でミロ・ジュカノヴィッチが大統領に就任し、その頃から独立へと向かいました。そして1999年のコソボ紛争がおこり、その後に通貨や関税から独立していきました。
    しかし欧州連合の思惑もあり、国家連合のセルビア・モンテネグロが成立することになりました。
    大きく変化したのは、2006年に、セルビアからの分離独立の可否を問う国民投票が実施されたことです。独立賛成派が勝利し、独立宣言となりました。
    2007年には新憲法を制定し、国名がモンテネグロ共和国からモンテネグロに変更されました。翌年には独立後初の大統領選挙が行われ、ブヤノビッチ大統領が再選されました。

     

    2017年には北大西洋条約機構(NATO)へ加盟しました。当然ながらロシアの反発はありました。

     

    日本のように独立国家としての歴史の長い国からは想像できない激動が繰り返したきた国です。
    バルカン半島西部のカルスト地形にある小さな国ですが、この歴史を思いながらモンテネグロのワインを飲めば、かなり感慨深いのではないかと思います。

     

  • ワインの官能評価

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    今回はワインの官能評価について語ります。

     

     

    ワインの品質を評価する場合、工業製品のように規格化された指標があるわけではないため、人間の五感に頼らざるを得ない面があります。
    そのため、ワインの品質評価には、科学分析による評価だけでなく、実際に人がテイスティングすることでも評価します。この後者の評価が官能評価です。両者をあわせて初めてワインの評価となります。

     

    ただし官能評価とは、客観性が担保されるかいなかの問題が常にあるといえます。人の感覚が評価に直結するからです。
    さらにいえば、テイスティングする人の属性にも左右されるリスクがあります。例えばワイン製造者は、無意識に製造の観点から評価をする可能性があります。ソムリエや評論家も好みが出る可能性があります。
    従って官能評価では、テイスティングする人の属性や立場等々、あるいはレベルなどの差異も含めて考慮する必要があります。

     

    実はこの官能評価では、ワインを飲んだ経験年数にも左右されます。ほとんどワインを飲んだことのない人がテイスティングした場合、複雑な味の評価ができない傾向があります。逆にわかりやすい評価基準があります。それはタンニンの量や甘いか辛いかなどの分かりやすい基準です。
    これがベテランのいわゆるワイン通の人になると、複雑性に言及してくることになります。更には品種の特性まで考慮されてきます。

     

    と、いうことは、ワインの官能評価というものは、ワインを飲む人の経験値や価値観に大きく左右されるといえます。五感で評価するとはいうものの、最終的にはワインそのものではなく、その人にとってのワインという視点が最も大きな基準になるのではと考えます。

     

    ここで難しい話に飛躍します。
    「ワインそのもの」と「その人にとってのワイン」ということは、ヘーゲルの「Ansichsein」と「Sein für Anderes」に対比することに繋がります。日本語では「即自」と「対他」に相当します。
    この「対他」というのは、ある対象を他のものとの関係の上で見るということを意味します。ワインの官能評価での具体例でいえば、あるワインの味を超甘口で飲みやすいと評価した人がいたとします。しかし、その評価とは、そのテイスティングした人がワインをほとんど飲んだ経験がなく、甘いものが大好きで、酒類は甘くないから嫌いだという人だった場合であれば、その人の関係性においての評価ということになります。
    わかりにくいので別の視点での例です。
    メジャーリーガーの大谷翔平選手の対他存在とは、ロサンゼルス・エンゼルス所属であるとか、二刀流の選手であるとか、他の選手との関係においてのみの存在となります。また、ファンの人であれば、自分の価値観が投影された存在となるかもしれません。
    それにたいして、他のものとの関係から切り離し、この人だけに注目するのが対自的な見方であり、即自存在にも関係します。
    即自的にどうなのか、ということになると、実際に実現しているかいなかではなく、潜在的に実現した状態であるということになります。そこで、潜在的な状態が即自的で、実際に実現したら対自的になります。

     

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンのワイン・ブログとは思えないほど難解になりました。
    このヘーゲルは弁証法の哲学者であり、アウフヘーベンされることで、自己の対自と対他が統合され、自分自身に(zu sich)帰り、自分自身とともに(bei sich)あるようになるというものなので、かなり観念的すぎて意味が分からないのも当然となります。
    ハイデガーやサルトルなど、この話に近い哲学はありますが、ワインの官能評価でここまで考える必要はないでしょう。今日は脱線しました。

     

  • Ich trinke gerne trockenen Wein.

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    今回は外国語を学びましょう。ドイツ語です。

     

     

    ワインはドイツ語で「Wein」です。男性名詞です。
    辛口ワインが好きだ、は、「Ich trinke gerne trockenen Wein.」になります。trinkeは動詞のtrinkenが、主語の「ich」に対応して変化したもので、これは英語のdrinkです。

     

    trockenenは、ドイツワインをよく飲む方はラベルによく似た文字を見た人もいるかもしれません。その場合は「trocken」となっているはずです。さらに「halbtrocken」も見たことがあるかもしれません。
    ドイツでは残糖値の低いワインをtrocken(辛口)、halbtrocken(やや辛口)などと表現します。では、このtrockenを英語でいえば何か、というと、ズバリ「dry」です。

     

    辛口ビールをドライ・ビールというのと同じです。
    しかしもともとtrockenもdryも「乾いた」「乾燥」という意味です。乾いたものが辛口というのも、なんだか不思議だと思いませんか?

     

    ワインで文字通り「乾いた」、あるいはもっと露骨に「干からびた」という意味で使われるワインもあります。それはTrockenbeerenausleseです。超完熟の果粒を干しブドウ状態から生産される驚くほど芳醇の甘口ワインです。trockenなのに辛口ではなく、超甘口の貴腐ワインです。

     

    この場合のtrockenは辛口の意味は全くなく、乾燥したという意味です。
    もし、Beerenausleseで辛口が存在するとしたら、trockenは、後に並べて表現することになるでしょう。つまり「Beerenauslese trocken」になるでしょう。ただし、未確認です。
    そもそも貴腐ワインに辛口はあるのでしょうか?

     

    ワインに関連して語学を学ぶのも面白いかもしれません。機会があれば次回もやりたいと考えています。

     

  • ウクライナのワイン文化

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    今回はウクライナについて勝手に語ります。

     

     

    ウクライナはソビエト連邦の一員であった時代、最大のワイン供給国でした。また歴史も古く、ウクライナのワイン文化は紀元前からあったようです。しかし首都のキエフ周辺に相当する北部地方は11世紀から始まったようです。
    ロシアとソ連との関係が深いウクライナは、ヨーロッパらしい激動の歴史があり、日本人には謎多い国といえるかもしれません。ただし、そこで生産されるワインは、周辺国に限らず、欧州連合、アメリカにまで輸出されています。

     

    ニュースでも目にすることのあるウクライナは、東側にロシア、西側にハンガリー、ポーランド、スロバキア、ルーマニア、モルドバ、南側は黒海で、その先はトルコ、北側はベラルーシという位置にあります。
    「ヨーロッパの穀倉」地帯として知られ、農業を中心とした産業のイメージがありますが、実は重化学工業も発展しています。

     

    平野部より起伏の多い土地が多いのですが、山岳地帯というわけではありません。クリミア山脈やカルパティア山脈もそれほど標高が高いわけではなく、平原や草原、高原で占められた地形といえます。
    気候はそのためステップ気候が中心で、内陸部は温帯林です。

     

    ワイン文化はクリミア南岸から始まっています。
    しかしクリミアの歴史もロシアとの関係が深く、1783年にはロシア帝国の一部になりました。
    1820年にヤルタ近郊で大規模ワイナリーを建設したのはミハイル・ボロンツォフ(Mikhail Vorontsov)伯爵で、ブドウ栽培研究機関のマガラッチ(Magarach)は、その後に設立されています。

     

    ウクライナの歴史はそれだけで長い物語になりますので、ここではウクライナワインの代表格だけを紹介します。
    発泡性ワインです。ソビエト・シャンパーニュ(Sovetskoye Shampanskoye)などが相当します。
    この創始者はレフ・ゴリツイン(Lev Golitsyn)王子です。ノーヴィ・スヴェット(Novyi Svet)で、「ロシアのシャンパーニュ」として製造しました。現在は、キエフ、アルチョーモフスク、リヴィウ、オデッサ、ハルキウといった大都市で造られています。

     

    歴史については改めて語りましょう。

     

  • スロバキアワインを語る前に

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    今回はスロバキアについて語ります。ワインブログなので、当然ながらスロバキアワインが中心になるところですが、その前にスロバキアそのものに焦点を当てます。

     

     

    スロバキアで生産されるワインといえば、トカイワインが最も知られています。トカイワインは、本来、ハンガリーのトカイ(Tokaj) 地方のワインの意味ですが、この地域の北端はスロバキア国境になり、スロバキア側の貴腐ワインもトカイワインと呼んでいます。
    これは便宜的に呼称しているだけでなく、EUでも正式に決まっています。

     

    隣接するハンガリーとの関係は、歴史的な意味があります。
    そこでスロバキアの歴史も勉強してみましょう。

     

    この地域の歴史を最も遡ると、民族は現在のスラブ系ではなく、ケルト人やゲルマン人などが登場することになります。スラブ人の国家としては、アヴァール人占領時代がアヴァール可汗国でしたが、この時代の623年、スラブ人の反乱によりサモ王国が誕生しました。これがこの地域でのスラブ人最初の国家です。658年まで続きました。

     

    9世紀になってから、スロバキアだけでなく、モラヴィア、ボヘミア、シレジア地方にまたがる大モラヴィア王国が成立しました。
    しかし10世紀にはマジャル人の侵入がありました。
    これによりハンガリー王国が成立し、スラブ人の国家が消滅し、いわば王国内の少数民族になってしまいます。また、北部ハンガリーのエリアという扱いになりました。
    次にオスマン帝国がハンガリーに侵入してきました。
    この地域はオーストリア大公国の支配下になり、なおかつ首都もブラチスラヴァに移されたことで、ハンガリーにとっては、スロバキアは完全なハンガリー地域ということになったといえます。
    このことはマジャル人の増加も意味し、スラヴ人の反感は高まることになりました。 またオーストリア・ハンガリー二重帝国体制下という特殊な状況でもありました。

     

    状況が変化したのは第一次世界大戦の終了時期です。
    オーストリア・ハンガリー帝国が崩壊したことで、1918年には独立運動が盛んになり、トマーシュ・マサリクがチェコスロバキア人国家として独立を宣言しました。それだけでなく、今度はハンガリーに侵することで、北部ハンガリー地域の奪還に成功しました。
    この奪還した地域こそが、現在のスロバキア国家の領土のベースとなっています。

     

    1938年にはスロバキア領がミュンヘン会談で周辺列強に支持されるものの、第一次ウィーン裁定では南部をハンガリーに割譲することになりました。そしてスロバキア自治政府が成立し、チェコ=スロバキア共和国の誕生となります。

     

    ここで終わらないのがヨーロッパの歴史です。ここからも激動が続きます。
    ナチス・ドイツの誕生です。
    ナチスはスロバキアを独立させ、国家元首をヨゼフ・ティソにします。これでスロバキア共和国の誕生となりますが、これはドイツの保護国という扱いになり、完全な独立国というわけではありませんでした。
    その後にスロバキア・ハンガリー戦争が起こります。ハンガリーがスロバキアに侵攻したのです。これはドイツが仲介して、南部をハンガリーに割譲することで終結しました。
    そして第二次世界大戦です。
    スロバキアは1939年にポーランド侵攻に参加したことで第二次世界大戦に参戦しました。しかしこの結末は1945年にブラチスラヴァをソビエト連邦軍が占領することで戦後の共産党体制へと向かいます。 また、同年、チェコスロバキア亡命政府が帰国したことでチェコスロバキア共和国が再興することになりました。

     

    1948年の二月政変で共産党政権が成立し、1960年には、国名がチェコスロバキア社会主義共和国に改称されました。

     

    次の激変はビロード革命です。
    別名:静かな革命です。
    有名な「プラハの春」以降、ようやく共産党政権の解体がなされました。国名も共和国に戻し、ついに1992年、チェコスロバキア連邦議会でチェコ共和国とスロバキア共和国の連邦解消法が可決成立しました。これもビロード離婚で、1993年に正式にチェコとの連邦が解消されました。
    2004年にはEUに加盟し、2009年にはユーロを導入しました。

     

    さて、スロバキアのワインについてですが、これはこれでハンガリー王国との関係やワインの地域経済についても語りたいことがありますが、それはまた別の機会に。

     

  • 世界最南端のワイナリー

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    今回は、世界最南端のワイナリーについて勝手に語ります。

     

     

     

    世界最南端のワイン産地は当然ながら南半球にあります。
    ニュージーランドです。

     

    ニュージーランドのワインは、それほど歴史が古いわけではありません。
    19世紀からだといわれています。
    そもそもニュージーランドは日本でも人気の観光地であるものの、国の歴史や背景など、あまり知られていないかもしれません。比較的ワイン生産は新しいとはいっても、その背景を知らなければ、なんともいえない反応になるかもしれません。

     

    このニュージーランドはもともとは無人島だったようです。
    最初に定住した民族はマオリ人で、8世紀頃だったようです。このマリオ人は東ポリネシア系で、いわゆる先住民族になりました。
    大航海時代を経て、ヨーロッパの人に「発見」されることになり、1769年にはイギリスのジェームズ・クックが初めてに上陸しました。その後にイギリスの植民地化が進み、1840年にはマオリ人の代表とワイタンギ条約を締結しました。これによりニュージーランドはイギリス主権下となります。しかし、それでもマオリ人とイギリスからの入植者の紛争があり、1860年にマオリ戦争が起こります。終結したのは1872年で、その後はイギリスの力が強化され、大規模なインフラ整備も行われるようになりました。
    いわば経済発展が始まり、それと並行して法整備や、議会など、近代国家を形成するようになります。

     

    ブドウの木が植えられたのは、おそらくこの頃だろうと思われます。
    最南端のワイナリーは、南島のセントラル・オタゴ。
    ここには80以上ものワイナリーがあるようです。ワイナリーもレストラン併設の大規模なものから、家族経営の小規模なワイナリーまで多種多様です。
    この地域の自然環境は、2,000m級の山が囲んでいます。近くには青い氷河湖や信じられないくらい透き通った水の流れる川もあります。

     

    大自然に囲まれた地域のワインは、歴史は浅くとも、品質が高く、ワイン好きの人には一度は落とすれる価値のあるワイナリーがたくさんあります。

     

  • ランチでワイン

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    今回は、ランチ・ワインについて勝手に語ります。

     

     

     

    会社員にとって昼時のひとときは貴重といえます。
    午前中のストレスから解放され、ついつい1杯飲みたくなっても不思議じゃないでしょう。

     

    しかしその場合は社員食堂では無理なので、外の店舗でこっそりと飲むことになるでしょう。このときの1杯の快感と罪悪感を天秤にかけたら、どちらが勝るかは、本人次第としかいいようがありません。

     

    日本でランチの際にビールやワインを飲む習慣はないし、それを認める企業も少ないといえます。
    しかしこれは日本での話であって、世界に目を向ければ、必ずしもランチ・ワインは禁止とはいえません。ワインの本場であるフランスでは、ランチ時の社員食堂にワインがメニューにあることは不思議でもなんでもありません。
    同じくビールの本場であるドイツでは、ランチにビールを飲むのも不思議な光景ではありません。

     

    また、接待についても日本とフランスでは習慣が異なります。
    日本では接待といえば夜に行うもので、一緒に食事をしながらアルコール類を飲むのが一般的です。これがフランスだと昼に行われるのが多いといえます。
    なぜかというと、これが働き方に関する差で、フランスは労働時間外の夜はプライベートな時間を大切にする習慣になっているのです。だから同じ夜にワインを飲むのでも、取引先とは飲まず、プライベートな仲間と飲むことになるのです。

     

    さて、ランチでワインについてですが、昼時にワインを飲むことは許されていても、実際に飲む人の数はフランスといえどもそれほど多くないようです。以前は多かったのが、徐々に減少してきているともいわれます。日本に近づいてきたというわけではなく、これも働き方の変化かもしれません。
    逆に日本がフランスのようなランチ文化になることも想像できません。

     

    いわゆる「お国事情」ですが、日本も「働き方改革」を進めていることを考えると、欧州に見習うことがあっても良いような気もします。あくまで個人的な意見ですが。というより、昼からワインが飲みたいからなのですが。

     

  • 英国ワイン

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    今回は、英国ワインについて語ります。イギリスとワインの結びつきは、他のヨーロッパ諸国と異なり、あまりフィットしない組み合わせのような気がするかもしれませんが、実は歴史があるものなのです。

     

     

     

    おそらく英国ワインがそれなりに世界の表舞台に出たのは、20世紀後半ではないかと思います。
    それ以前にイギリスとワインという組み合わせは、まずなかったのではないかと思えます。少なくとも日本では、そうだと思います。

     

    しかし、海を挟んでいるとはいえ、ローマ帝国・フランク王国に隣接する地域ですから、ワイン文化が伝わっていないはずはありません。
    記録によれば、ノルマンディー公ウィリアムがイングランドを征服したことにより、大陸から渡ってきた人たちによりワイン造りが盛んになったようです。この記録はあくまでワイン醸造が本格化したことの記述で、ワインそのものは、古代ローマ時代から始まっているようです。
    古代のブドウ畑の跡が発見されていることの傍証で、そのような見解がされています。ただ、決定的な証拠が現在見つかっていないようです。

     

    英国でのワイン醸造だけでいえば、上記のような憶測レベルで、古代から続いているということになりますが、他国で生産されたワインが入ってきていたことは古代からあったようです。
    いわゆる輸入ですが、古代ローマの時代から輸出入は活発だったことから、これは間違いないと思われます。

     

    また、キリスト教とワインは切り離せない関係があります。英国でもキリスト教が入ってきてますから、ワインそのものは英国でも日常的なものになっていた可能性もあります。
    しかし英国の宗教改革は独特なもので、これに起因してワイン産業も影響を受けています。

     

    イングランドの宗教改革とは、ルターやカカルヴァンなどが影響したものは根本的に異なります。
    ヘンリー8世の離婚問題がそのまま宗教改革になったのです。そのため、信仰よりも政治的・経済的な動機も含むもので、改革というより、ヘンリー8世がカトリックから離れ、イギリス国教会(アングロ・カトリック)を設立したことによるものです。
    いわばカトリックから独立して、新たに教会組織を作り、自身の離婚を正当化させる目的があったのです。
    当然ながらカトリック側は反対します。大法官モアはそのために処刑されてしまいました。さらにヘンリー8世はカトリックの修道院を廃止していき、しかもその財産を没収していったのです。

     

    解体されていった修道院や教会は、ワイン製造にも関係していました、そのため、ブドウ畑は荒廃し、ワイン産業そのものも衰退することになったのです。

     

    そして20世も終わろうとする1997年。
    随分と時間が飛びましたが、この時、IWSC(nternatinal Wine and Spirit Competition)で、英国ワインのナイティンバー・プルミエ・キュヴェが金賞を受賞したのです。
    これにより英国とワインの結びつきが世界に認知されました。

     

  • フランス・王国・帝政・共和国

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    今回は、ワインの代表ともいえるフランスについて勝手に語ります。また少し歴史のお勉強です。

     

     

     

    ソムリエ試験でも中心的な出題範囲となり、ワインといえば代表格といえるのがフランスです。現在の正式名称はフランス共和国(République française)です。
    しかし、フランスという国の成り立ちや歴史など、意外と知らない人が多いのではないでしょうか。そこで今回は少し勉強してみます。

     

    まず簡単にフランスという国家の誕生以前についてです。
    古代ローマの時代はガリアと呼ばれた地域で、居住者はケルト人だったようです。その後にローマの影響下になり、このブログで何度か取り上げたフランク王国の時代になります。

     

    フランク王国分裂によりフランスの領土は西フランク王国となりました。これがフランス王国のはじまりといえます。
    一般的にいえば、ユーグ・カペーが西フランク王に即位した987年以降を「フランス王国」と呼び、それ以前は西フランク王国と呼ぶようです。従って、フランス革命のおこった1789年までの800年間はフランス王国だったことになります。
    付け加えれば、第一共和政・第一帝政期のあとに王政復古でオルレアン朝がありましたので、この期間もフランス王国といえることになります。

     

    再び共和国となった第二共和政は、1848年の二月革命からです。
    この期間は短く、1852年にナポレオン3世が皇帝に即位し、第二帝政が成立します。
    第三共和制は普仏戦争のときの1870年です。これは1940年にナチスのフランス侵攻によるヴィシー・フランス成立までの期間でした。
    第四共和政は1946年から1958年までで、第二次世界大戦後の復興時期でした。しかし植民地問題から軍部の圧力により崩壊してしまいます。
    第五共和政は、シャルル・ド=ゴールによって第四共和政を事実上打倒したことで、新たな共和政になります。これが現在まで続きます。
    第四共和政と比較すると、大統領の執行権が強化しました。行政・官僚機構が強力で、逆に立法権(国民議会)の権限が低下しました。

     

    王国からスタートしたフランスですが、激動の歴史により帝政時代、5回の共和制という歴史になっています。フランスワインを飲む時、そんな激しい時代を走り抜けてきた土地で収穫されたブドウであることを念頭において飲んで頂けたらと思います。

     

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