プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
今回はモンタルバン(Montauban)について勝手に語ります。
モンタルバン(Montauban)は、フランスの南部、オクシタニー地域圏の都市です。人口は5万7千人で、タルヌ=エ=ガロンヌ県の県庁所在地です。都市の意味は、オック語(occitan)で「柳の生える丘」になります。オック語の方言がプロヴァンス語だというのは、以前にご紹介したことがあります(「オック語方言のプロヴァンス」)が、このオック語はフランス語の方言とされてきました。しかし、実際にはロマンス語の一つと今では考えられています。
モンタルバンの街は、1144年に建設されました。従って古代ローマの影響を受けた都市ではありません。都市を建設したのはトゥールーズ伯(comte de Toulouse)のアルフォンス・ジュルダンでした。彼は幼少であったため、統治権を従姉フィリッパに譲渡しましたが、モンタルバン建設時は再び伯位を継承したときでした。
ボルドー方面からランドック地方の特にトゥールーズ(Toulouse)方面への途中にあり、アキテーヌ地方を結ぶ位置的関係から、13世紀後半からは交通の要衝となりました。ヒトや物資の流れにより、都市として繁栄していきました。その一方で、百年戦争の時期には一時的にイングランド王国領となったこともありました。それでも1368年以降はフランス領となりました。
宗教改革の時代にはカルヴァン派の拠点となりました。フランス革命の時代には、フェミニズム運動家としても知られる劇作家であり、女優でもあるオランプ・ド・グージュ(Olympe de Gouges)がここで誕生しました。彼女は肉屋の父と行商人の母の間に生まれました。しかし、本人は貴族の落とし子であると信じていたようです。真実は不明です。17歳で料理人と結婚したものの、夫に先立たれてしまいました。彼女の上流階級へのあこがれは強く、自身が平民であることに不満を覚えていました。そこでオランプ・ド・グージュと名乗ることにして、パリへと移ったのでした。
パリでは、金持ちの商人の妾となり、貴族の女性たちが開くサロンによく顔を出すようになりました。ここで交流した人々は政治家や作家、それにフリーメイソンのメンバーなどでした。美貌を武器にして、多くの男たちから資金援助を得たことで、多くの財産を手に入れることになりました。しかし、年齢的な限界が訪れたことで、文筆活動へと転向しました。
さらに、フランスの女権運動を開始し、女性新聞の創刊、愛国募金運動、 女性のための第二国営劇場の建設などを計画していきました。公然とロベスピエールやマラーを批判したりしました。その後、彼女は王党派と疑われたり、女権運動を快く思わない革命派との対立もありましたが、彼女は問題にしませんでした。しかし、反革命の容疑で逮捕されることになり、無罪を確信していたものの、判決は有罪でした。その結果、処刑という最期でした。
フランスでも、日本でそれほど知られていない都市ですが、調べてみると興味深いことは多くあります。