今日もワインを飲んでます そして思いついたことを書きつづる

  • ラ・パルマ(La Palma)

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    今回はラ・パルマ(La Palma)について勝手に語ります。

     

     

    大西洋アフリカ沖にあるカナリア諸島の中で西北端に位置するのがラ・パルマ(La Palma)です。アフリカ沖ですが、スペイン領で、行政上はサンタ・クルス・デ・テネリフェ県に属しています。人口は約85,000人の火山島です。D.O.に認定されていて、ラ・パルマ島全体を包括して生産地としています。地域は「ホヨ・デ・マソ」・「フエンカリエンテ」・「ノルテ・デ・パルマ」の2つに分かれています。

     

    島の形はクサビ形で、その長さは47kmに及びます。火山が2つあり、北側のケンブレビエハ火山は標高2,426mで、火口壁が急になっています。南西側には崩壊した跡が残っています。ノルテ・デ・パルマは島の北部にあり、標高は100~1500mです。火山の影響はあるでしょうが、豊穣な土壌でブドウが生育しています。
    南側には標高1,949mの火山があり、実はこれがカナリア諸島でもっとも活発な火山の1つです。この南東部にあたるホヨ・デ・マソは、標高が200~700mの地域で、火山灰や火山岩性の土壌です。南西部のフエンカリエンテは、標高200~1400mで、急斜面は火山灰に覆われ、そこにブドウ畑が広がっています。

     

    まさに火山とともにある島ですが、この火山体は125,000年前ごろから活動を始めたといわれています。過去に多くの火山活動があり、溶岩流が急な斜面を海に向かって急激に流れ落ちてきました。文字として記録に残る噴火で最古のものは、15世紀でした。噴火と溶岩流により、多くの被害が出たとあります。

     

    ちなみにですが、この火山が噴火し、しかも山体崩壊を起こすような規模だった場合には、巨大な津波が発生すると予想されています。この津波はアフリカとは反対側のアメリカ東海岸にも及び、大西洋岸各地を襲うといわれています。

     

     

    ラ・パルマ島は、カナリア諸島の中で最も緑や水が豊かといわれ、火山による恩恵で肥沃な土壌を持っています。スペイン領とはいえ、アフリカ沖なので、気候は亜熱帯性ですが、比較的穏やかな気候であり、日照時間も十分にあることから、生産されるワインの品質は良質と評判です。

     

  • スラヴォニア(Slavonija)

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    今回はスラヴォニア(Slavonija)について勝手に語ります。

     

     

    クロアチアで最大栽培面積を誇るのが、白ワインのグラシェヴィナです。これはクロアチア最大規模の生産地であるスラヴォニア地方を代表する品種です。クロアチア起源の品種といわれていて、オーストリアではヴェルシュ・リースリングとして栽培されています。この品種のワインは、独特の酸味と優雅な味わいがあります。

     

    スラヴォニア(Slavonija)は、逆Uの字になっているクロアチアの国で、東部に位置しています。国境を接しているのは、ハンガリー、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビアです。南側はボスニア・ヘルツェゴビナとクロアチアの国境になっていて、そこにサヴァ川が流れています。ハンガリーとの国境は北側のドラヴァ川になっています。周囲は平原地帯になっています。

     

    このスラヴォニアは、中世には、クロアチア、スラヴォニア、ダルマチアを統一したクロアチア王国(Regnum Croatiae)の領土でした。この王国は神聖ローマ帝国と同じように、首都機能を持つ都市がないことでした。つまり、王が変わるたびに王宮の位置が変わっていたわけです。初代国王はトミスラヴで、ハンガリーやブルガリアの侵入との戦いがあり、これに成功しました。しかし、それでも王権が強かったわけではなく、正常不安定な国家でした。実際、その後には内紛もおきていました。
    この時代は、ハンガリーやブルガリアだけでなく、東ローマ帝国、ヴェネツィア共和国などの周辺国家の影響を受けていて、クロアチア王国はどうしても安定する環境になかったといえます。

     

    1202年にはハンガリー王国内の自治領となり、15世紀にはオスマン帝国の領域に組み込まれることになりました。これは1791年まで続きました。20世紀になってーゴスラビア王国に編入され、1941年にクロアチア独立国が成立しました。しかし、これもユーゴスラビア人民共和国成立して、独立国ではなくなってしまいました。
    社会主義体制の崩壊から、1991年にユーゴスラビアから独立し、クロアチア共和国となりますが、クロアチア紛争も経験しています。

     

    スラヴォニア地方はワイン生産地としてクロアチアを代表する地域ですが、それだけでなくワインの樽の産地でもあります。ワイン樽のオークの産地であり、ここで生産された樽はクロアチアだけでなく、イタリアなどにも輸出しています。イタリアでは、長期熟成の赤ワインには、スラヴォニア産の樽が多く使用されています。

     

  • ヤン・ファン・リーベック(Johan Anthoniszoon “Jan” van Riebeeck)

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    今回はヤン・ファン・リーベック(Johan Anthoniszoon “Jan” van Riebeeck)について勝手に語ります。

     

     

    新世界ワインを代表する南アフリカワインですが、その歴史を紐解くと、ヤン・ファン・リーベック(Johan Anthoniszoon “Jan” van Riebeeck)に繋がります。オランダ商館(オランダ東インド会社)の植民地監督者であり、医師である人物です。南アフリカでアジア貿易の中継点として最適な地としてケープタウンを中心に開拓しました。彼は初代現地法人代表でした。

     

    ヤン・ファン・リーベックは外科医になりましたが、父親のアンソニーは船乗りでした。北海貿易により巨額の富を得ていました。そのような家庭環境の中で、東インド会社には助手として船中医となりました。その後、1638年からは商社マンとなりました。
    実は彼は日本にも来ています。1642年でした。長崎の出島に商業リサーチを目的として来ていたのでした。さらにヴェトナムの絹貿易でも責任者も務めましたが、私貿易と不正蓄財により解任されてしまいました。そこで1645年には帰国しました。

     

    そして南アフリカには1651年に向かいました。東インド会社のケープタウン補給基地建設の指導官に任命されたのでした。その場所がケープタウンでした。ここで東インドとオランダの貿易航路の中継地を作りました。
    ブドウ栽培が始まったのは1655年かrでした。それは、この地域が地中海性気候だったことに起因します。ここで栽培最多ブドウからワインを醸造し、フランスへと輸出することで、この事業は繁栄しました。さらに1680年以降は、フランスのユグノー派の人々により、さらなる発展を促すことになりました。

     

    19世紀になると、オランダ支配からイギリスの植民地政策により、この地域が奪われることになりました。1815年には正式なイギリス領となりましたこれにより、ケープタウン産のワインは、イギリスへの輸出が増加することになりました。ところが、酒税法の改正で、ワインの関税が撤廃されると、イギリスの人々は安くなったフランスワインを求めるようになりました。南アフリカからの輸出ワインについては需要が低くなりました。折しも、南アフリカではフィロキセラによる害虫被害があったこともあり、イギリスへのワイン輸出量が低減しただけでなく、国内でのワイン生産量が減少することになりました。

     

    この状態を打破できたのは、1925年に南アフリカの独自品種が誕生したことでした。「ピノタージュ」です。その後、国際的にも認められるワインとなっていくのでした。

     

    ちなみに、ヤン・ファン・リーベックはバタヴィアで没しました。また、南アフリカで発見された小惑星(9239)の名は、ファン・リーベックにちなんで命名されました。

     

  • ワイン用のブドウとは(Was sind Weintrauben?)

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    今回はワイン用のブドウについて勝手に語ります。

     

     

    ワインの原料はブドウですが、ワイン醸造のために栽培されているブドウと、フルーツとしてそのまま食べるブドウとは何か違いがあるのでしょうか? 日本酒の原料の米は、食用とは異なる品種ですが、ブドウの場合はどうなのでしょうか?
    改めて疑問に思った人もいるのではないでしょうか。そこで今回は、その違いについて述べてみたいと思います。

     

    まず、ワイン用ブドウとフルーツ用ブドウの栽培量ですが、実はワイン用のほうが多いのはご存じでしょうか。全世界のブドウ栽培量の約8割はワイン用なのです。つまり、ほとんどのブドウが生で食べられることを前提にしていないで栽培されているわけです。このような果物は他にないかもしれません。

     

    では本題です。ワイン用のブドウとフルーツ用のブドウの違いとは何でしょうか。
    基本的にフルーツ用のブドウは、食べやすいものが中心で、ワイン用は関係ないといえます。つまり、食べやすいブドウは、大粒で皮の薄いものが多いといえます。種無しブドウというのもそうです。味だけでなく食べやすさを求める品種改良により、このように分かれてきたともいえます。もちろん、これは大雑把な分け方で、例えばデラウェアなどは、どちらかといえば小粒のブドウです。ただし、皮は厚くないので、食べにくいとはいえないでしょう。

     

    このような分け方だと、かなり曖昧になってしまいますので、ワイン用のブドウから見ていくと、実はワインに必須のタンニンの差がフルーツ用と異なるといえます。ただし、これも赤ワインと白ワインでは同列に扱えないので、結局はこの指標も曖昧になってしまいます。それを承知でいうと、ワインの原料となるブドウには、タンニンの含まれる部分が多いのが望ましいため、種や皮が多いのが良いわけです。これがワインの酸味を増す効果になります。一方、フルーツとしてのブドウの場合、酸味が強いと食べにくく、種も皮も不必要なので、それらが少ないものが向いています。
    タンニンは「渋味」を出すものなので、ワインには欠かせませんが、生で食べるには邪魔なものになるわけです。

     

    では糖度はどうか、というと、実はワイン用のほうが高いのです。フルーツ用ブドウのほうが甘いのでは、と思うかもしれませんが、フルーツ用は酸味が弱いので、そこまで糖度が高い必要がないのです。ワイン用ブドウは酸味も強いですが、糖度も高めで、ようするに成分的には凝縮されているといえます。この糖分こそがアルコールになるわけです。
    では、ワイン用のブドウを食べるとどうなるでしょうか。もちろんブドウですから、そのまま食べても問題ありません。フルーツ用と比較すると、皮が厚いこともあり、フルーツ用ブドウを食べなれていると、何だか食べにくい印象を持つかもしれません。それで味は、というと、味覚には個人差がありますが、おそらく多くの人が「おいしい」と感じるのではないでしょうか。

     

    ワイン用ブドウとは、そのまま食べてもおいしいものですが、醸造するのに最も適したブドウ品種ということになるかと思います。フルーツ用は、それに食べやすさが加わったことで、気軽に食べれれるという付加価値を持ったことで、成分の凝縮度が落ちたといえるかもしれません。

     

  • テキルダー(Tekirdağ)

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    今回はテキルダー(Tekirdağ)について勝手に語ります。

     

     

    現在はテキルダー(Tekirdağ)という都市名ですが、古代にはロドスト (Ρωδόστο)、やライデストス (Ραιδεστός) 、東ローマ帝国の時期にはビサンテ (Βισάνθη)、オスマン帝国が勃興時にはロドスチュク (Rodosçuk)、1732年にはテクフルダー (Tekfurdağı)という名でした。テキルダーにはトルコ共和国の成立により正式名称となりました。
    それだけ歴史のある都市で、紀元前4000年には歴史に登場しています。その時代の名はロドストで、都市建設は古代ギリシアの時代で、サモス島(Σάμος)からの島民によるとされています。ギリシャ神話のゼウスの正妻である女神ヘーラーが生まれたとされる島で、東西43km、南北19kmの山ばかりの島です。

     

    トラキア王セウテス2世の領地だった時代があったり、ブルガリアからの略奪もあったといいます。1204年から1235年までのわずかな期間はヴェネツィア共和国に支配されました。
    そのような関係で、住民はギリシア人が中心でしたが、オスマン帝国以降は、キリスト教徒とイスラム教徒を交換する条約により、ムスリムが都市の中心となりました。

     

    場所はイスタンブールに近く、クルマで2時間程度の距離です。別荘が多い都市で、大都市に近いリゾート地域といえます。特に海岸にはリゾート関連施設が並んでいます。近郊にはワイナリーもあり、トルコでも有数の高品質ワインが生産されています。

     

     

    トルコでもヨーロッパ側に位置するテキルダーは、リゾート地だけでなく港としても重要といえます。実際にアンカラのボタシュ石油パイプラインなどはテキルダー港を拠点港湾としています。それだけでなく、トラキアの主要貨物鉄道線に対応するために港を拡張していて、トルコの商業的にも重要な場所になっています。
    ワイナリー巡りも魅力的ですが、古代ローマ時代から続く街道がハイウェイになっていることから、交通至便なりを活かしてトルコ各地へ旅行するにも最適です。ただし、このコロナが収束してからの話ですが。

     

  • ジャララバード(Жалалабат)

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    今回はジャララバード(Жалалабат)について勝手に語ります。

     

     

    日本と兄弟の関係の国だという説がある(日本の「隠れた兄弟国」)キルギスですが、首都については以前に紹介したことがあります。(「ビシュケク(Бишкек)」)
    そのキルギスの国産ワインを生産している地域にジャララバード(Жалалабат)という州があります。州都は州名と同じジャララバードです。主に白ワインが生産されています。白ワインだけでなくスパークリングワインもつくらています。ブドウ品種は「ルカシテリ」が中心です。

     

    ジャララバードというと、アフガニスタンで長年支援活動に携わってきた日本人医師の中村哲氏が銃撃された都市名として記憶している人もいるでしょう。しかし、その都市はアフガニスタンの東部にあるナンガルハル州のジャララバードで、キルギスのジャララバードとは関係ありません。

     

    州都のジャララバードは人口が約7万5千人で、ウズベキスタンとの国境に近いせいか、住民の3分の2はウズベク人となっています。州としてのジャララバードは面積が広く、キルギスの全面積の16.9%相当になります。に当たる。フェルガナ盆地の北部に広がる平野部を除くと、ほとんどが山岳地帯になっています。この山岳地帯には多くの湖があり、クルミの森も多くあります。その規模は世界最大です。

     

    また、ジャララバードは温泉でも知られています。温泉と言っても鉱泉です。この鉱泉はハンセン病(Hansen’s disease, Leprosy)に効くと信じられてきました。アルマウェル・ハンセン(Gerhard Henrick Armauer Hansen)に由来するハンセン病は、かつての日本では「らい病」として、差別的に扱う人が多くいました。これに関連する映画もありました。現在では治療法が確立しましたが、かつては不治の病であり、恐れられていました。感染経路は、経鼻・経気道によるものが中心ですが、実は感染力そのものは非常に低くいものです。そのため、新型コロナウイルスのような感染力でパンデミックを起こすものではありません。しかし、適切な治療を受けないと、皮膚に重度の病変が生じてしまい、これが二次感染の原因となる場合があります。
    ソ連時代にはジャララバードは温泉療法として、多くの療養施設が設けられました。現在でも、鉱泉は瓶詰めにされて海外でも販売されています。

     

     

    中央アジア5カ国で「最も民主的」といわれるキルギスですが、政権交代により、キルギスの大統領たちは国外に亡命しているという事実もあります。2020年には大規模な反政府運動があり、総選挙結果の無効が宣言されたこともあります。
    日本人からすれば、なじみがなく、謎の国かもしれませんんが、ワインを生産している国でもあるので、機会があれば調べてみるのも良いのではと思います。

     

  • フラスカーティ(Frascati)

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    今回はフラスカーティ(Frascati)について勝手に語ります。

     

     

    D.O.C.ワイン「フラスカーティ」は、イタリア共和国ラツィオ州ローマ県フラスカーティ(Frascati)が産地です。人口約23,000人の基礎自治体です。ローマの東から南にかけての近郊に広がるアルバーニ丘陵にあります。
    ブドウ品種は、マルヴァジアとトレッビアーノの白ワインです。白ワインの色としてはかなり輝くような印象のある色調で、麦わら色といえます。イタリアのワインらしく、パスタやリゾットにあうことで知られています。

     

    このワインが多くつくられるようになったのは、ローマ帝国アウグストゥス(Augustus)の時代(紀元前27年~14年)といわれます。アウグストゥスといえばローマ帝国の初代皇帝です。養父のカエサルの後を継ぎ、「内乱の一世紀」に終止符を打ち、さらに地中海世界を統一した人物です。ローマを帝政にし、その結果、パクス・ロマーナ(ローマでの平和)を実現しました。このアウグストゥスという名はラテン語の「尊厳ある者」を意味しています。

     

    ローマからは比較的気軽に行ける場所で、ローマ近郊の鉄道路線のローマ=フラスカーティ線(Ferrovia Roma-Frascati)が使えます。ローマの代表的な中心駅であるローマ・テルミニ駅からフラスカーティ駅までを結んでいます。近郊鉄道線ですが、ラツィオ地方鉄道網(FL lines)FL4の一部も構成しています。歴史は古く、1856年に教皇国家最初の鉄道として敷設されたため、イタリア最古の鉄道路線の一つです。最初の始発駅はポルタ・マッジョーレ駅でしたが、1874年にローマ・テルミニ駅まで接続されました。フラスカーティ駅は1884年に新しく開業されました。

     

     

    ところで、フラスカーティのワインですが、白ワインとしては様々な味わいがあり、多彩な味を堪能できます。その中でもD.O.C.G.フラスカーティ・スペリオーレは、厳しい規定をクリアしてるだけあって、熟成期間も長く、アルコール度数にも厳しい規定があります。高級なワインらしい風格もあります。甘口ではD.O.C.G.カンネッリーノ・ディ・フラスカーティがあり、これも上品なワインです。色は琥珀色を帯びています。

     

  • モーニントン・ペニンシュラ(Mornington Peninsula)

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    今回はモーニントン・ペニンシュラ(Mornington Peninsula)について勝手に語ります。

     

     

    オーストラリアのメルボルン(Melbourne)は、シドニー(Sydney)と並ぶオセアニアを代表する都市です。 人口508万人の巨大な都市で、ヴィクトリア女王時代の建築物がロンドンに次いで多く残っていることから、歴史的な文化都市といえます。
    そのメルボルンから南下したところにあるモーニントン・ペニンシュラ(Mornington Peninsula)がワイン産地です。ここには大規模なワイナリーはなく、小規模なブティックワイナリーが点在しています。気候は冷涼で、海に囲まれた地域です。海から冷涼な風が吹き、その気候に最適なブドウ品種のピノ・ノワールやシャルドネなどが栽培されています。

     

    メルボルンからは、車で南へ約1時間程度で行くことができます。鉄道も便利で、メルボルン中心部にある全ての駅から行くことができるのです。フランクストン行きの電車は、約15分ごとに出ています。また、メルボルン空港かなら、フランクストン方面行きのシャトルバスも運行されています。

     

    モーニントン・ペニンシュラは半島になっていて、小さな半島に50以上のセラードア(cellar door)があります。このセラードアですが、ニュージーランド、オーストラリア、アメリカなどでよく見られるもので、「ワイナリーに併設されている試飲直売所」のことです。もともとは、「ワイン貯蔵庫の扉」を意味するものでした。このセラードアではワイナリーが製造しているワインを試飲することができます。流通させていない限定販売のワインを扱っていたりもします。
    モーニントン・ペニンシュラの名産であるピノ・ノワール、シャルドネだけでなく、最近ではシラーズやピノ・グリ、ピノ・グリジオも評判が高くなっているようです。

     

     

    またペニンシュラ温泉もあります。
    オープンしたのは2005年6月で、オーストラリア最大級の温泉施設です。実はこのオーナーは、世界30か国以上のスパを研究した人物で、特に日本の温泉に着目していました。源泉は半島の地下637メートルから湧き出るもので、湧出した天然温泉の温度は約50℃です。温泉施設もオーストラリアでは唯一の天然温泉の総合温泉施設です。露天風呂や洞窟風呂などもあります。
    こんな温泉に浸かって、モーニントン・ペニンシュラのワインをじっくり楽しむのは最高の贅沢かもしれません。

     

  • クタイシ(Kutaisi)

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    今回はクタイシ(Kutaisi)について勝手に語ります。

     

     

    最古のワインで知られるジョージアですが、その西部にクタイシ(Kutaisi)という都市があります。人口は約15万人で、旧ソ連時代にはグルジア第二の工業都市として知られていました。
    このクタイシはコルキス(Colchis)の首都でした。かつてカフカース地方にあった古代グルジアの王国でした。このコルキス王国を初期グルジア国家という位置づけになります。また、ギリシア神話にも登場しています。

     

    トロイア戦争より前の時代、イオルーコスの王子イアーソーンは、父から王位を奪ったペリアースに王位の返還を求めたところ、その代わりにコルキスにあるという黄金の羊の毛皮(金羊毛)を要求されてしまいました。そこでイアーソーンは、女神アテーナーの助言を受けて、船大工のアルゴスに巨船を建造させました。船名は「アルゴー」でした。そして船員を募ると、ギリシア中から勇者たちが集まってきました。一行は、数々の冒険を経て、ようやくコルキスに達しました。ここで、イアーソーンの恋人となるコルキスの王女メーデイアが加わりました。これで目的の金羊毛の獲得に成功しました。4ヶ月間の航海でした。

     

    神話とは別に、コルキスにはアマゾーン族もいたといわれ、またコルキス人については、青銅器時代中期には既にカフカースに定住していたものと思われています。
    国家としては、近隣国家との戦争が絶えなかったようで、領土の吸収もあれば、奪われたこともありました。紀元前730年代からは、キンメリアとスキタイの侵略を受けるようになり、ついにコルキス王国は崩壊してしまいました。さらに紀元前6世紀にはアケメネス朝に支配されました。このときに、宮廷に100人の少女と100人の少年を5年ごとに送ったといわれています。

     

    グルジア王国としての首都だったのは975年から1122年の期間でした。1260年から1810年で続いたイメレティ王国の首都でもありました。そのため、首都でなくなった現在のジョージアでも国会はこのクタイシにあります。

     

    ユネスコの世界遺産に登録されたのは、2つあります。
    1つ目はバグラティ大聖堂(Bagratis tadzari)で、クタイシのランドマークです。丘の頂上にあり、建造されたのは11世紀初頭でした。グルジア王のバグラト3世(Bagrat III)の治世下だったことから、大聖堂の名の由来となっています。ジョージア正教会(グルジア正教会)の生神女就寝祭を記憶する大聖堂で、17世紀にオスマン帝国軍の砲撃で廃墟になりました。これが見事に再建されています。しかし、この再建が世界遺産に登録されたバグラティ大聖堂を除外する結果となってしまいました。
    今でも世界遺産に登録されているのは、ゲラティ修道院(The Monastery of the Virgin – Gelati)です。1106年にグルジア王国の王ダヴィド4世によって創設されたものです。ゲラティ修道院はアカデミーがあって、ジョージアを代表する科学者、神学者、哲学者たちを擁していました。

     

     

    ワインの歴史を語る上で外せないジョージですが、かつての首都にまで足を伸ばせば、また異なる歴史が見えてくる気がします。

     

  • クマノヴォ(Куманово)

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    今回はクマノヴォ(Куманово)について勝手に語ります。

     

     

    以前に「北マケドニア共和国(Република Северна Македонија)」をご紹介したことがありましたが、ここは隠れたワイン生産国といえます。量は少ないですが日本にも輸出されています。今回はその北マケドニアのクマノヴォ(Куманово)を取り上げます。ここは、基礎自治体としては国内最大の人口を誇ります。都市としては3番目になります。

     

    古代の住居跡がいくつかあり、古くから人が居住する地域であったようですが、記録に登場するのは16世紀になってからでした。この頃から地域の中心的な都市に発展したようです。ところが1689年のカルポシュ蜂起(Karposh Uprising)があり、状況に変化が訪れました。これは、中央バルカン半島でのキリスト教の反オスマン蜂起でした。反乱の指導者であるカルポシュは、クマノヴォに近いヴォイニク(Vojnik)出身でした。彼は若い頃から鉱山労働者として働き、のちにオスマン帝国の重臣にまでなりました。ところがオスマン帝国の新し税制に不満を持つ人が増加したことを背景にしたとき、反乱指導者へと変貌しました。折しもオーストリア軍がオスマン帝国のバルカン半島に進出していました。

     

    バルカン半島の軍事情勢は大きく変化し、ついに反乱軍が劣勢となると、オーストリア軍は撤退していくことになりました。そしてオスマン軍はクマノヴォを攻撃し陥落させたのでした。カルポシュは逮捕され、死刑となりました。 これ以降、クマノヴォは停滞期を迎えることになりました。

     

    オスマン帝国との戦争は20世紀にまで影響しました。第一次バルカン戦争の際にもクマノヴォの戦い(Battle of Kumanovo)の舞台となりました。ここで勝利したことにより、オスマン帝国からの支配から抜け出すことに成功しました。しかし、独立を勝ち取ったわけではなく、支配者はセルビア、ユーゴスラビアと移っていきました。

     

    もう一点、クマノヴォ周辺で注目すべき場所があります。巨石天文観測施設コキノ(Kokino)です。4000年前のものといわれています。2001年に発見されたもので、クマノヴォからは30キロの距離にあります。NASAにより、世界で4番目に古い古代天文観測施設とされました。

     

     

1 2 3 4 5 6 41

ワイン通販なら

想い出生まれ年ワイン、デザイン自由オリジナルワイン

スペシャルコンテンツ

オールドワインの魅力

最新のブログ記事

カテゴリー

タグクラウド

月別アーカイブ