プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
今回はクリュニー修道院と修道院改革について勝手に語ります。
ロマネ・コンティを生み出し、シャルドネの故郷でもあるブルゴーニュは「ワインの王」とも形容される地方です。
このブルゴーニュワインの歴史はベネディクト派のクリュニー修道院から始まったといわれています。
では、このクリュニー修道院とな一体、どんな修道院なのでしょうか?
クリュニー修道院の正式名称はサン=ピエール・エ・サン=ポール・ド・クリュニー修道院で、フランス語では「Abbaye de Saint-Pierre et Saint-Paul de Cluny」になります。
設立は909年9月11日といわれています。
フランス革命で破壊されてしまうまで存続しました。
クリュニー修道院は、中世に大きな役割を果たしました。
それがクリュニー改革とよばれる修道会改革運動で、その中心になっていたからでした。
修道院改革とは、10世紀から11世紀にかけておきたもので、旧来の修道院の腐敗状況を是正していく一連の動きです。当時、シモニア(聖職売買)などを行う修道院が多く、カトリックでありながら司祭が事実上の結婚したりするケースも多く、まさに腐敗状況にあったといわれています。
この修道院改革運動は、11世紀初頭のロートリンゲンで広がりを見せましたが、この原点となる動きこそクリュニー修道院だったのです。
クリュニー修道院は教皇以外の一切の権力の影響を受けない自由修道院でした。そのためカトリック教会最古の修道会である 聖ベネディクトゥスの会則・修道精神に厳格に従っていました。それが広く伝わり、大きな影響を与えたのです。
皇帝ハインリヒ3世はクリュニー修道院の姿勢に共鳴し、シモニア(聖職売買)に反対的立場から批判を繰り返し、カトリック教会の改革を進めていくことにしたのです。
ところが、この流れは後に世俗的な権力闘争の要素が加わり、修道院改革運動とは別のベクトルへ動くこともありました。
皮肉なもので、修道院改革運動はクリュニー修道院の精神が影響を与えて拡大したものの、教皇主導による改革が急進化していくと、今度は逆にクリュニー修道院は教皇庁と距離を置くようになっていくことになりました。
この修道院改革の流れはやがてグレゴリウス改革へと繋がります。しかし、直接的にクリュニー修道院がグレゴリウス改革を生み出したとするのは短絡的との考えもあります。この部分については当時の背景も考慮しないと見えない部分もあります。
さらに皮肉な内容を付け加えると、11世紀後半以降は貨幣経済が浸透していき、既存の中世的な経済の変容によって、クリュニー修道院だけでなくベネディクト会修道院は同じように財政が悪化してしまうことになりました。「聖」と「俗」も近代へと向かう経済には逆らえず、また、のちの宗教改革によるプロテスタントとの視点で見るのも意味があるかもしれません。
ブルゴーニュは「ワインの王」とも形容される地方ですが、修道院の歴史から見ていくと、まるで優雅なワインとは別の面が目立ちます。
そうはいっても、ブルゴーニュワインを楽しむには関係ないのかもしれませんが。