今日もワインを飲んでます そして思いついたことを書きつづる

  • シャロン=シュル=ソーヌ(Chalon-sur-Saône)

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    今回はシャロン=シュル=ソーヌ(Chalon-sur-Saône)について勝手に語ります。

     

     

    シャロン=シュル=ソーヌ(Chalon-sur-Saône)は、ブルゴーニュ=フランシュ=コンテ地域圏ソーヌ=エ=ロワール県北部にある都市です。県内では最大の人口がありますが、それでも4万6千人程度です。
    ここの周辺は、ブルゴーニュ・ワインの産地として知られるシャロネーズ地区です。

     

    シャロネーズ地区は、ソーヌ川に面した場所で、以前はワイン商の重要な活動拠点でした。当時は川の港から出荷していました。場所的に北方と地中海を結ぶ交易地で、ローマ時代から重要な港でした。
    しかし、現在は川での交易はなくなり、ワインと直接関係する産業は廃れ、一般的な産業都市へと変貌しています。
    ブドウ栽培は、平野部から丘陵地帯へと続いていますが、平野部のワインは特徴がなく、何の評価もありません。これが西の丘陵地帯のブドウとなると、良質のワインと評価されます。

     

    気候は場所によって変化があり、特に南側へと進むと地中海性気候の影響を受けてきます。土壌や地形にも変化があり、それによってブドウ品種も変わってきます。ピノ・ロワールやシャルドネだけでなく、ガメイとアリゴテのブドウなども栽培されています。そのため完成したワインも多種多様で、変化に富んだワインが楽しめる地域といえます。また、価格も比較的リーズナブルといえます。

     

    この丘陵地帯には、リュリ(Ruly)、メルキュレ(Mercurey)、ジブリ(Gvry)、ビュクシー(Buxy)など、ブルゴーニュ・ワインの有名産地の村々が点在しています。
    また、市内の旧市街地にはサン・ヴァンサン大聖堂(Cathédrale Saint-Vincent)があり、フランス文化省から「芸術・歴史都市」に指定されています。この大聖堂は8世紀に建てられたもので、シャロン司教が置かれていました。1801年には、政教条約によってオータンの司教区に統合されました。一部に8世紀の創建時の部分が残っていますが、現在の姿は19世紀の改築後のものが中心で、ファザードがネオ・クラッシック様式となっています。1903年には歴史記念物に指定されました。
    市庁舎(Hôtel de ville)はサン・ピエール広場(Place Saint-Pierre)にあり、元々は修道院でした。1845年に修道院跡に移転されました。

     

     

  • カール大帝とコルトン・シャルルマーニュ(Corton-Charlemagne)

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    今回はカール大帝とコルトン・シャルルマーニュ(Corton-Charlemagne)について勝手に語ります。

     

     

    世界で最も偉大な赤ワイン産地」とも呼ばれるコート・ド・ニュイの南端にはニュイ・サン・ジョルジュがあります。ここからさらに南下するとコルトンの丘に至ります。ここは標高400m程度の丘陵地で、森林で覆われています。
    このコルトンの丘の斜面にある広大なブドウ畑からコルトン・シャルルマーニュというグラン・クリュ(特級畑)が産み出されています。
    赤ワインではなく、白ワインとして有名なコルトン・シャルルマーニュです。

     

    シャルルマーニュとは、フランス語で「Charlemagne」ですが、歴史の教科書ではフランク王国のカール大帝となります。フランク王国の大帝ですから、ドイツとフランスの始祖ともいわれる人物です。
    なぜカール大帝の名が関係するのかといえば、ここには伝説があるからです。

     

    カール大帝はコルトンの丘にブドウ畑を所有していたといいます。主に赤ワインを生産させていたそうです。
    ある日のこと、カール大帝はここで赤ワインを飲んだところ、白くなった髭がワインで赤く染まってしまいました。威厳が保てない姿になってしまいました。また、一説では、自慢の髭が赤く染まったことで、戦いに明け暮れた若い頃の血を連想させたともいわれ、カール大帝は激怒しました。
    そこでカール大帝は白ワインしか飲まなくなり、コルトンの丘でも白ブドウの栽培しか許さなくなったという伝説です。
    これがコルトン・シャルルマーニュの誕生となりました。

     

    単なる伝説だと思えますが、カール大帝のエピソードのあるワインというだけで貴重な気もします。
    ただし、カール大帝が飲むようになった白ワインと現在のコルトン・シャルルマーニュが同じものとは思えません。なぜなら、このエピソードから1000年経過した時代には、コルトンの丘では赤ワインだけがつくられていたといわれているからです。
    では、現代のコルトン・シャルルマーニュはいつ誕生したのかというと、19世紀末頃だといわれます。ルイ・ラトゥールによるもので、この時代、フィロキセラの影響でコルトンの丘のピノ・ノワールが壊滅的な被害を受けてしまいました。この時に、シャルドネを植樹して、カール大帝に因んでコルトン・シャルルマーニュと名付けたようです。

     

    ブルゴーニュワインを探す

     

    カール大帝は5回結婚し、しかも第二夫人も4人いたといいます。
    子どもも20人以上いたといわれます。しかも、娘たちを結婚させなかったため、娘たちは駆け落ちしたりするケースがあったといいます。
    さらに、カール大帝は娘を寵愛するあまり、娘たちとの近親相姦の関係があったともいわれています。近親相姦は実の妹のギゼラ(ジゼル)ともあり、二人の間にローランが生まれたといいます。
    もちろんこれも伝説で、そもそもローランは「ローランの歌」という文学作品に登場する勇将で、この物語ではカール大帝の甥で、7年間、スペイン遠征に従軍した人物です。
    これだけの伝説を残すカール大帝ですから、コルトン・シャルルマーニュの伝説があっても何ら不思議ではないといえます。

     

  • シトー修道会(Ordo Cisterciensis)

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    今回はシトー修道会(Ordo Cisterciensis)について勝手に語ります。

     

     

    正月なので、人が集まって乾杯する機会も多くあるかと思います。
    やはりそんなときに飲むワインは、フランスワインの代表であるブルゴーニュワインが華を添えてくれるでしょう。
    フランス中東部に位置するブルゴーニュ地方は、ゲルマン民族大移動の時期(5世紀)に「ブルグンド王国」が由来となっています。(ブルゴーニュとブルグント王国
    この王国が滅亡したのち、この周辺はブルゴーニュと呼ばれるようになったそうです。
    古代ローマ時代からブドウ栽培が盛んな地域で、ブルグント王国の時代には、すでに修道院主体でワイン生産が行われていました。

     

    修道院によるワイン生産といえばベネディクト派の修道院でした。その中でもクリュニー修道会とシトー修道会がワイン造りでは高品質なものを生産していたことで知られます。ベネディクト派では「必要とするものは、自ら生産すべし」という教えがあり、それを実践していたわけです。
    ちなみにベルギーのベネディクト派修道院ではビールが造られています。
    さて、そのシトー会ですが、修道士モレームのロベール(Robert de Molesme)により、1098年に設立されたものです。シトーは地名です。
    シトー修道会の特徴は「聖ベネディクトの戒律」を厳密に守る点にありました。そのため豪華な典礼を否定し、彫刻や美術を使った教示も禁止していました。教会の装飾も十字架だけで、簡素無比のシトー式の建築が生まれました。
    そのため、同じくベネディクト会修道院のクリュニー会の貴族的なやり方とは真っ向から対立する関係となっていました。
    壮麗な衣類を身にまとい、華美な雰囲気を持つクリュニー会の修道士と違い、シトー会の服装は質素で、染料を使わない白い修道服を着ていました。「白い修道士」とも呼ばれる所以です。

     

    またシトー会は森林の開墾も行い、新しい農法を普及させ、自ら農作業をしながら農民らを指導していきました。
    ただ農民への布教や貧民救済については、クリュニー会でも行っていました。しかし、俗世間の有力者からの支持を受けていたのがクリュニー会だったため、有力者により私有修道院の寄進なども行われていました。この点でも違いは明確でした。

     

    修道士モレームのロベールは、シトー会の原点を創設したものの、厳しすぎる修道生活を嫌った修道士とともにモレーム修道院へ戻ってしまいます。彼はもともとクリュニー会の修道士で、モレーム修道院院長だったのです。
    内部分裂により、ロベールはシトー修道院を設立したといわれています。
    ロベールのあと、シトーのアルベリック(Albéric de Cîteaux)が後任となり、次にステファン・ハーディング(Stephen Harding)が後を継ぎました。この3人がシトー修道会の創立者となっています。

     

    ロベール死去後、西暦1222年にローマ教皇ホノリウス3世により列聖されました。
    ただ、シトー会設立とその方向性を決めた功績はあるものの、わずか1年でモレーム修道院に戻ったことから、どれだけ後世に影響を与えたのか疑問もあります。
    クリュニー会に反する簡素で清貧な要素についても、後世のイメージでしかなく、むしろクリュニー会の伝統を延長したものではないかという話もあります。実際、ロベールの牧杖は金メッキされた豪華なもので、シトー会でイメージされる「簡素」という要素はなかったともいわれています。

     

    ロベールの功績はともかく、シトー会では高品質なワインが作られていたのは事実で、ブルゴーニュワインの品質を保証するものだったわけです。
    新年会でぜひともブルゴーニュのワインをお召し上がりください。

     

  • 世界で最も偉大な赤ワイン産地

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    今回はコート・ド・ニュイ(Côtes de Nuits)について勝手に語ります。

     

     

    コート・ド・ニュイは、別名「世界で最も偉大な赤ワイン産地」とも呼ばれる地域です。
    具体的には、マルサネ・ラ・コートからニュイ・サン・ジョルジュまでの約20キロに及ぶ地域です。
    ブドウ畑は横に伸びているわけではなく、幅はわずかに数100メートルから長くても1キロ程度の範囲で、細長く広がっています。
    「世界で最も偉大な赤ワイン産地」と呼ばれるのは、ロマネ・コンティやシャンベルタンなどのブドウが栽培されているからです。

     

    マルサネ・ラ・コートは、人口わずかに5千人ほどしかいません。
    コート・ドール県の県庁所在地がディジョンですが、実はディジョンの中心街から6km程度しか離れていません。
    ブドウの産地という側面とは別に、1960年代にはディジョンのベッドタウンにもなり、人口が急増してきました。
    AOCではマルサネのワイン生産地区になっています。
    ブルゴーニュワインでは唯一の村名AOCとして認証されているロゼがあります。AOCマルサネ・ロゼです。
    また、コート・ドール県内のワイン産地では最北端になっています。
    赤ワインはミディアムボディーです。

     

    ブルゴーニュワインを探す

     

    ニュイ・サン・ジョルジュ(Nuits-Saint-Georges)も、人口は5,600人程度なので、規模は同じようなものですが、ベットタウン化はしていません。

  • ブルゴーニュのクリマ(Climat)

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    今回はブルゴーニュのクリマについて勝手に語ります。

     

     

    2015年の7月4日に「ブルゴーニュのクリマ」はにユネスコの世界遺産に登録されました。
    ディジョン、ボーヌ、マランジュなどのブドウ畑が世界遺産になったのです。ブドウ畑の景観だけでなく、建築物、そして、ブドウ畑を開墾する独自ノウハウまでを文化遺産として認定されました。

     

    登録名の「クリマ」(Climat) とは何かというと、ブルゴーニュのブドウ畑の小さな栽培区画のことになります。
    世界遺産の認定は、1,247カ所のクリマが選ばれ、ボーヌ市街、ディジョンの歴史地区も含まれています。
    クリマという栽培区画ですが、これは単にブドウ畑の区割りという以上に、それぞれの区画のテロワールを意味しています。しかも区画は数世紀をかけて画定されたもので、それぞれの区画に名前があり、歴史があります。
    当然ながら、テロロワールの違いは味の変化にも繋がり、格付けにも関係してきます。
    世界遺産認定のクリマには、世界的に有名なものが多く含まれ、例えば、シャンベルタン、ロマネコンティ、クロ・ド・ヴージョ、モンラッシェ、コルトン、ミュジニーなどもあります。

     

    ブルゴーニュ地方でのブドウ栽培からワイン醸造は、修道院との関係が深いのですが、フィリップ2世 (ブルゴーニュ公)の影響もあるといえます。
    フィリップ2世は、ヴァロワ家の初代ブルゴーニュ公で「豪胆公」(le Hardi)と呼ばれます。
    フランス王ジャン2世(善良王)とボンヌ(ボヘミア王ヨハン(盲目王)の王女)の四男です。
    彼は武勇に優れ、権勢拡大をした人物です。
    ブルゴーニュ公領を与えられたのは1363年ですが、それだけでなく、フランドル、アルトワの伯領も領有し、欧州最大規模の裕福な領土を有していました。しかも1390年にはシャロレー伯領も獲得し、この伯位はブルゴーニュ公の相続人に与えられるようにもなりました。

     

    そんなフィリップ2世は、当時ブルゴーニュで栽培されていた赤ワイン用ブドウ品種の中で、最も質の良いピノ・ノワールだけを栽培させることにしました。他の品種の栽培を禁じたのです。
    これは現代でも続いているわけではなく、19世紀にはピノ・ノワールよりガメのほうが多く栽培され、コート・ドールの栽培面積を85%以上を占めたりもしました。しかし、現代では、コート・ドールで使われる赤ワイン品種はピノ・ノワールになっています。

     

    ブルゴーニュワインを探す

     

  • ヴォーヌ=ロマネ

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    今回はヴォーヌ=ロマネについて勝手に語ります。

     

    ロマネ・コンティ(Romanée-conti)といえば、ブルゴーニュワインを代表するというより、フランスを代表するワインとえいます。
    そのロマネ・コンティを始め、単独でAOCを名乗れる特級畑が6つもあるコミューンがヴォーヌ=ロマネ (Vosne-Romanée)です。
    セーヌ川の源泉を擁する場所にあるコート=ドール県(Côte-d’Or)に位置します。

     

    コート=ドール県はフランスでは珍しく、国内で唯一、地理的な名称ではありません。何と、「黄金の丘」という意味のついた県名なのです。
    命名者はブルゴーニュ=フランシュ=コンテ地域圏の首府であり、コート=ドール県の県庁所在地であるディジョン(Dijon)の議員だったシャルル・アンドレ=レミ・アルノーによります。
    さらに付け加えれば、ブルゴーニュ州から分割されたことで誕生した県になるため、その際に命名されたという逸話があります。

     

    ヴォーヌ=ロマネは人口わずかに500人に満たないほどで、ここから世界ナンバーワンの赤ワインが生産されています。その代表格はロマネ・コンティです。
    ブドウはピノ・ノワールで、当然ながらAOC認定です。
    ロマネ・コンティの生産量は少なく、年間6,000本程度です。ブドウ畑の面積も少ないのですが、収穫したブドウもかなり厳選したものが使われることもあり、希少価値があるのは事実です。

     

    とにかく高価なワインの生産地がヴォーヌ=ロマネで、庶民には縁のないワインです。

     

  • ムロン・ド・ブルゴーニュ

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    今回はムロン・ド・ブルゴーニュについて勝手に語ります。

     

     

    ムロン・ド・ブルゴーニュ(Melon de Bourgogne)は、もともとブルゴーニュ地方で栽培されている白ワイン用のブドウ品種でした。
    しかし今では原産地のブルゴーニュよりも、ロワール川河口付近にあるミュスカデ地区で栽培されているのが主になっています。
    この品種はマスクメロンに似た香りを持っていることから「ムロン」という名がついているそうです。

     

    なぜ、ブルゴーニュよりもロワール地方で多く栽培されているかというと、1709年の異常気象が原因でした。その年は異常なほどの厳冬で、ロワール地方ペイ・ナンテ地区はブドウが壊滅的な被害を受けました。そこで、このような凍害があっても強い品種ということで、ムロン・ド・ブルゴーニュを植えることにしたのです。
    それほどまでにムロン・ド・ブルゴーニュは寒さに強い特性があったのです。

     

    ただし、ムロン・ド・ブルゴーニュは寒さに強いというメリットはあるものの、高級な味を醸し出すほどの個性がなく、やや強い酸味と、マスクメロンに似た香りがある程度ではありました。
    しかし、それが逆に極端な個性を主張しないことで、どんな料理とも合わせやすく、気軽に飲むワインとしては悪くありません。
    現在ではロワール地方のミュスカデ(Muscadet)で生産される白ワインは、100%ムロン・ド・ブルゴーニュを使っています。

     

    そのミュスカデは、軽く、さっぱりとした味わいの辛口白ワインとして知られます。
    実はこの地区のワイン生産は歴史が古く、ローマ皇帝プロブスのころからだといいます。それが18世紀になってから凍害により、現在のようになったわけです。

     

  • 2007年ヴィンテージワイン

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    今回は2007年のフランスワインについて勝手に語ります。

     

     

    ワインのブログらしく、ヴィンテージワインの特定の年について、それなりのことを書こうと思います。
    プレゼントする相手の誕生年だったり、会社の創立年だったりする場合、自ずとヴィンテージワインの選択肢は限られます。それでもその年が、どのような出来栄えだったかは少しは気になることでしょう。
    特にその年の気候状況によってブドウの生育が大きく左右され、最終的にワインの評価にも影響します。
    ただ、各年を細かく調べるのは大変なので、気が向いたときだけこのブログに掲載しようと思っています。

     

    そこで、最初に取り上げるのが2007年です。
    平成から令和になりましたが、2007年は平成19年です。
    この年にスティーブ・ジョブズが初代iPhoneを発表した年なので、この年を意味もなく選びました。
    では、本題です。フランスワインの2007年ヴィンテージは全体的に良好な評価を得ているようです。
    しかし、気候的には決してブドウ栽培に最適とはいえませんでした。特にシャンパーニュでは5月に雹の被害があり、夏まで雨の多い年だったこともあり、ブドウに病気が発生したといいます。
    気候が回復したのは8月くらいで、その後は良い条件でしたが、雨と病気の影響を完全に払拭することはできませんでした。

     

    ブルゴーニュも春から夏にかけて気候は不安定だったこともあり、ブドウにとっては日射量が少なめでした。
    湿度も高かったことで、カビの問題もありました。
    それでも2007年のヴィンテージワインとしては、まずますの出来栄えともいわれ、決して損はないといわれます。

     

    ブルゴーニュワインを探す

     

    ボルドーでも雨の影響はありました。
    ここでも湿度が悪影響を与え、病気も一部で発生したようです。
    ただし、天候が回復してから収穫を遅らせるなどで、良質なワインとなったともいわれます。

     

    ボルドーワインを探す

     

    改めて2007年を振り返ると、個人的にはブルガリアとルーマニアがEU加盟国になったことが思い出深い気がします。
    ウィーンで東欧の人々との交流が多かったこともあり、感慨深いものがありました。
    フランスワインを語りながら、実はドイツ語圏やハプスブルク家と関係のあった国々、スラブ系の国々に関心が高いことも影響します。

     

     

    機会があれば、別の年も調べましょう。

     

  • ドメーヌ・シャトー・ネゴシアン、さらにマイクロ・ネゴシアン

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    今回はドメーヌ・シャトー・ネゴシアン、さらにマイクロ・ネゴシアンについて勝手に語ります。

     

     

    今回もブルゴーニュのワインに関連してドメーヌ・シャトー・ネゴシアン、さらにマイクロ・ネゴシアンを取り上げます。
    よほどの人でなければ聞き慣れない単語の羅列かもしれませんが、ブルゴーニュワインを理解する上で欠かせない単語とも言えます。

     

    ブルゴーニュワイン一覧

     

    まずこれらの単語の中で最も一般的に馴染みがありそうなのは「シャトー」かもしれません。
    シャトー(Château)は、ドメーヌ(Domaine)とほぼ同じ意味です。ただ、シャトーは本来は「城」の意味で、ブルゴーニュのドメーヌに対比したボルドーのワインで使われます。
    どういうことかというと、どちらもブドウ畑からブドウを栽培し、醸造、熟成、瓶詰までを一貫して行う施設のことで、ボルドーは大規模経営の生産者にシャトーを、ブルゴーニュは小規模ばかりなので、小規模生産者にドメーヌを使います。
    それだけブルゴーニュのドメーヌは、小規模な家族経営であるものの、何代も続く歴史を持つ生産者が多いということになります。

     

    次にネゴシアン(Négociant)やマイクロ・ネゴシアン(ミクロ・ネゴス)についてです。
    ネゴシアンは、ドメーヌとは関係深いものの対照的な立場といえます。
    ワインを生産者から樽の状態で買い付け、それを瓶詰めして販売する商売の人のことです。
    しかしブルゴーニュワインの場合は、この本来の意味とは少し様相が異なります。これがブルゴーニュならではの特徴です。
    ワインを樽で購入する代わりに、ブドウの段階で購入するのです。そのうえで自身でワインの醸造を行うため、いわば仕入れがワインではなくブドウになります。そのため、ブドウを大量に仕入れ、ワインの大量生産も可能にできるため、大規模生産者のほうがシックリくるかもしれません。

     

    マイクロ・ネゴシアンは読んで字のごとく、ネゴシアンの小規模なものです。
    ドメーヌが自分のブドウ畑から栽培・醸造するのに対して、マイクロ・ネゴシアンやネゴシアンはブドウやブドウ果汁を仕入れ、それで醸造します。
    畑という土地を所有しなくともワイン生産ができるので、新規参入もしやすいといえます。

     

    ブルゴーニュワイン一覧

     

  • ブルゴーニュとブルグント王国

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    今回はブルゴーニュとブルグント王国について勝手に語ります。

     

     

    ブルゴーニュワインといえば、フランスを代表するワインであり、フランスのAOC認証ではコート・ド・ニュイ、オート・コート・ド・ニュイ、コート・ド・ボーヌ、オート・コート・ド・ボーヌ、コート・シャロネーズ、マコネー、ボジョレー、シャブリの8つの地区になっています。
    これらの地域はブルゴーニュ地域圏ですが、現在では正式な地域圏(région)ではなくなっているようです。ただ歴史的には古く、ドイツ語で「Burgund」というように、地名はゲルマン人のブルグント族に由来しています。そのため、今でもドイツ語ではブルゴーニュとはいいません。

     

    このブルグンド族ですが、スカンジナビア半島にいたゲルマン人で、ヨーロッパ大陸を南下したといわれてます。言語は東ゲルマン諸語だったようです。
    スカンジナビアが起源であるというのは、伝承ではありますが、考古学的には間違いないとする人も多く、また各地名の由来等からも裏付けられるともいわれます。
    しかし文献・史料に基づく歴史学では、古代のローマ文献にどこからの移動なのかについて記述がなく、その後の歴史のほうに主眼が置かれています。

     

    地理的にローマ帝国との関係が大きく、ゲルマン民族の大移動の影響も受けてきました。
    ブルグント王国として建国したのは、ブルグント族のグンダハール(Gundahar、Gundicar)により、傀儡皇帝を擁立したことによります。
    ローマ帝国との同盟関係になりましたが、ガリア・ベルギカ北部地域へ襲撃しました。しかし、ローマ帝国はフン族の傭兵により反撃を開始し、ブルグント王国の破壊へと繋がりました。

     

    不思議なことに、ブルグント族は王国滅亡後、再びローマとの同盟関係に戻り、移住はさせられるものの以後8代の王により統治される王国が復活しました。
    最終的にはフランク族により滅亡しました。

     

    ブルゴーニュの地域に目を向けると、中世になって以前に取り上げたクリュニー修道院などが創設されました。
    その後にブルゴーニュ公国となったり、一部がハプスブルク家に併合されたりした歴史があります。
    激動と血なまぐさい歴史を経て、現在のブルゴーニュはボルドーと並ぶ世界的なワイン産地となったのです。

     

    ブルゴーニュワイン一覧

     

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