プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
今回はヨハネス22世(Ioannes XXII)について勝手に語ります。
フランスのAOCカオール(Cahors)といえば、「黒ワイン」とも表現されるほど濃い赤ワインで有名で、以前にカオール(Cahors)の「黒のワイン」でご紹介したことがありました。ロット県(Lot)内の45か所の地域で生産されていて、ブドウ品種はマルベック(Malbec)が70%以上使われていることが条件となっています。
そのカオールで、1249年に靴屋の息子として誕生したローマ教皇がいます。その教皇がヨハネス22世(Ioannes XXII)です。裕福な中産階級出身でした。そしてアヴィニョン捕囚時代のローマ教皇でした。
【参考ページ】
アヴィニョン(Avignon)
キリストの血入門 23
クレメンス5世(Clemens V)が1314年に死去し、その後の約2年の間、教皇が不在となっていました。それが1316年、新しい教皇にジャック・ドゥーズ(Jacques Duèze)が選出されました。この当時72歳という高齢だった新教皇がヨハネス22世でした。ヨハネス22世は、過去のどの教皇も手を付けなかった財政再建を進めました。その行動は驚くべき根気強さでした。また、これに関係して行政改革も行いました。
伝道する地域にちては、アジア方面を奨励しました。文化面ではアヴィニョンに図書館や故郷のカオールにカオールに大学を創設しました。その反面で魔女狩りの教皇としても知られています。
神聖ローマ帝国のルートヴィヒ4世(Ludwig IV. der Bayer)との関係は最悪でした。これは、ヨハネス22世が皇帝のルートヴィヒ4世に帝冠を授けようとしなかったからでした。そのため、ルートヴィヒ4世は教皇を教会会議の開催を求め、その会議で教皇を廃位させようとしました。このルートヴィヒ4世側に味方したのは、ヨハネス22世に弾圧されていたフランシスコ会聖霊派でした。そこで1328年には、フランシスコ会のピエトロ・ライナルドゥッキを対立教皇としてローマに擁立したのでした。ルートヴィヒ4世の戴冠については、アナーニ事件の首謀者のひとりだったシアッラ・コロンナからローマ市民を代表するかたちで受けたのでした。その上でヨハネス22世の教皇廃位を宣言しました。
ところがルートヴィヒ4世の思惑通りには進まず、彼がローマを離れると、ピエトロ・ライナルドゥッキ(ニコラウス5世)はとらえられてしまったのでした。1330年、ニコラウス5世はヨハネス22世に屈してしまったのでした。
そんなヨハネス22世でしたが、晩年には異端的教説との非難を浴びることとなり、最後は輝かしい教皇とは異質な生活でした。