プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
今回はフィロキセラ(Phylloxera)とチャールズ・バレンタイン・ライリー(Charles Valentine Riley)について勝手に語ります。
フィロキセラ(Phylloxera)、あるいはブドウネアブラムシ(葡萄根油虫)という昆虫は、ワイン生産者に多大な被害を与えました。ブドウ樹の葉や根にコブを生成し、ブドウの樹の生育を阻害してしまう昆虫だからです。フィロキセラの被害にあったブドウの樹は、やがて枯死に至ってしまうます。
この被害は、1862年に始まりました。南フランスのガール県でワインを醸造していたジョセフ=アントワーヌ・ボルティが、アメリカからブドウの苗木を購入したことが契機でした。
苗木を畑に植え、生育していたものの、2年後にはブドウがしおれ始めたのでした。そしてついに枯死してしまったのでした。
この得体のしれないブドウの病気は、ジョセフ=アントワーヌ・ボルティのブドウ畑だけに終わらず、周辺地域にも被害が拡大されていきました。結局、その後の10年間で、フランス全土に蔓延してしまったのです。
さらに国境を越え、ポルトガル、スペイン、ドイツ、オーストリア、イタリアにまで被害が拡大していきました。
これに対し、フランス政府は調査委員会を設置しました。
さらに、フランス政府は30万フランの賞金を出し、解決策を広く求めていきました。
イギリス生まれでアメリカで昆虫学を学んだチャールズ・バレンタイン・ライリー(Charles Valentine Riley)は、アメリカのブドウにフィロキセラへの耐性があることと判断しました。そこで、アメリカブドウの根にフランスブドウを接ぎ木して育てることを提案しました。
これこそがフランスのワイン産業にとって、救世主となりました。彼の提案方法は大成功を収めました。そしてライリーはレジオンドヌール勲章を授けられたのでした。
彼は上司や部下の感情を気にかけないほど、自身の研究には精力的な人物だったようです。上司を無視して議会に直訴したりするのも珍しくなく、予算の要求も過大だったといいます。さらには、部下の成果を自分のものにしたなどと言ったこともあるようで、周囲との調和をとることができませんでした。
そのような人物だったこともあり、昆虫学長官の辞任騒ぎもありました。
しかし、彼がいたからこそ、フランスをはじめとする世界のワイン産業は継続を可能にしたことは事実です。
ちなみにフィロキセラに全く関係なく生き続けたブドウの樹は、交通の便の悪い地域、特に隔離された地域のものだけといわれます。具体的にはギリシャのサントリーニ島、イタリアのアマルフィ、フランスのピレネーなどです。