プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
今回はオラン(Oran)について勝手に語ります。
イスラム教の国家でありながら、ワイン生産をするアルジェリアは、以前に「古代カルタゴから続くアルジェリアワイン」で取り上げました。今回はノーベル文学賞受賞者のアルベール・カミュの「ペスト(La Peste)」の舞台となったオラン(Oran)に焦点をあててみます。
オランはアルジェリア第2の都市で、人口は116万人を超える大都市です。
アルジェリアを代表する港町ということもあり、イスラム教の国でありながら夜の賑わいも華やかです。飲酒できるバーが建ち並び、様々なショーが催される店舗もたくさんあります。港町特有の開放的な歓楽街がある一方で、大学都市でもあり、旧市街地には歴史的な遺産も多く残っています。
もともとはイスラム教勢力が地中海を超え、イベリア半島にまで達したことにより、そこへ向かう拠点であり商業地として都市がつくらえました。小麦粉などはイベリア半島への供給地にもなっていました。
しかし、イスラム教世界としての繁栄は、1509年にスペインのフランシスコ・ヒメネス・デ・シスネロス(Francisco Jiménez de Cisneros)により占領されたことで止まりました。彼はカトリックの異端審問所長官としての情熱にあふれ、スペイン王のフェルナンド2世の野心が合致したもので、オラン攻略を進めたのでした。
1708年にはオスマン帝国に征服され、1732年になると再びスペインが奪回するというように、オランを巡っての攻防戦は続きましたが、スペイン王カルロス4世はオランの重要度が低くなったとして、オスマン帝国に売却し、1791年からオスマン帝国に編入されました。
このオスマン帝国の支配は1830年まで続き、次にフランスにより占領されました。これはフランスがアフリカの植民地の拠点とするためでした。さらに1831年にはフランスに併合され、ヨーロッパからの入植者が増加しました。そのためヨーロッパ的な近代的都市へと変貌していきました。
フランスに併合されてからのオランはヨーロッパ系の入植者が多く居住し、まさにカミュの「ペスト」の舞台にふさわしい都市として繁栄していました。
そして第二次世界大戦では、事実上のドイツ占領下になり、1942年に連合国軍が奪還し、再びフランスが占領されるようになりました。
そしてアルジェリア独立戦争です。オランはフランス領であり、フランス人だけでなく他のヨーロッパ系の移民が多く居住する都市でした。これがアルジェリア独立戦争により、ヨーロッパ系住民やユダヤはがフランスなどへと脱失していきました。これは、1962年7月5日に、オランではヨーロッパ人大虐殺ということがあったことも関係します。ただこれはオランはの人口を大幅に減少することにも繋がり、半分にまでなったといわれています。
それでもアルジェリアとフランスの関係は、現在でもワインではまだまだ強く、アルジェリアのワインの大部分はフランスに輸出されています。