プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
今回はティラナ(Tiranë)について勝手に語ります。
以前にアルバニア共和国(Republika e Shqipërise)を取り上げたことがあります。1991年まで鎖国をしていた国としてご紹介しましたが、今回は首都のティラナ(Tiranë)についてです。
ちにみにアルバニアは、氷河期でもブドウが自然に育った数少ない場所の1つといわれ、この地域で見つかった最も古いブドウ種子は、4,000〜6,000年前のものといわれています。そのため、ローマ帝国がバルカン半島に進出する数百年前からブドウ栽培が行われ、ワインの歴史も古い地域です。
実際にティラナ周辺部では先史時代から人が住んでいたことが分かっています。アルバニアの中でも最も古い時代から人が住み始めた地域だともいわれています。
都市としての歴史としては、オスマン帝国支配の時代に、オスマン帝国の町として設立されました。イスラム教国家なのでモスクやバザール、ハンマームが設けられました。キャラバンサライのある都市としても交易の拠点となり、発展をとげていきました。そのため地理的にはヨーロッパですが、完全なイスラム文化の都市でした。
その中でエトヘム・ベイモスクも着工されました。このモスクの建築にはアルバニアでも有数の職人が集められたといいます。1821年に完成しました。
一方でキリスト教徒も1800年頃から移住してきました。アルーマニア人でした。
また、バルカン戦争ではセルビアに占領されたこともありました。
ティラナは恒久的な首都の地位を獲得したのは1925年のことですが、その前の1923年には都市計画がオーストリアの建築家たちによりまとめられていました。
周辺各国との間では、ユーゴスラビア王国などの攻撃があり、1924年にはティラナ中心の蜂起もありました。結局、1925年アルバニア共和国、1928年にゾグー1世の即位によりアルバニア王国となりました。
1941年になるとアルバニア労働党が設立さ、ティラナはアルバニアの共産主義の中心地になりました。これによりイタリアのファシストや後のナナチス・ドイツへの抵抗に繋がりました。ナチスは最終的に共産主義勢力に敗北することになったのでした。
共産主義の勢いは強くなり、宗教建築物の破壊、大規模な社会主義様式の高層住宅の建築、ソビエト様式の文化宮殿の建築に加え、街にレーニンの像までできました。そしてアルバニアの鎖国主義宣言でした。
共産主義の衰えはベルリンの壁崩壊、ソ連解体などと同じ時代で、1990年代でした。
ティラナにはやヨハネ・パウロ2世なども訪問するようになりました。カトリックのトップであるヨハネ・パウロ2世の訪問は、アルバニアにとっては歴史的なことで、マザーテレサに続く宗教的指導者の来訪でもありました。
一方で1997年のアルバニア暴動、翌年にはクーデター未遂事件なども起こりました。