今日もワインを飲んでます そして思いついたことを書きつづる

  • ティラナ(Tiranë)

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    今回はティラナ(Tiranë)について勝手に語ります。

     

     

    以前にアルバニア共和国(Republika e Shqipërise)を取り上げたことがあります。1991年まで鎖国をしていた国としてご紹介しましたが、今回は首都のティラナ(Tiranë)についてです。
    ちにみにアルバニアは、氷河期でもブドウが自然に育った数少ない場所の1つといわれ、この地域で見つかった最も古いブドウ種子は、4,000〜6,000年前のものといわれています。そのため、ローマ帝国がバルカン半島に進出する数百年前からブドウ栽培が行われ、ワインの歴史も古い地域です。

     

    実際にティラナ周辺部では先史時代から人が住んでいたことが分かっています。アルバニアの中でも最も古い時代から人が住み始めた地域だともいわれています。
    都市としての歴史としては、オスマン帝国支配の時代に、オスマン帝国の町として設立されました。イスラム教国家なのでモスクやバザール、ハンマームが設けられました。キャラバンサライのある都市としても交易の拠点となり、発展をとげていきました。そのため地理的にはヨーロッパですが、完全なイスラム文化の都市でした。
    その中でエトヘム・ベイモスクも着工されました。このモスクの建築にはアルバニアでも有数の職人が集められたといいます。1821年に完成しました。

     

    一方でキリスト教徒も1800年頃から移住してきました。アルーマニア人でした。
    また、バルカン戦争ではセルビアに占領されたこともありました。
    ティラナは恒久的な首都の地位を獲得したのは1925年のことですが、その前の1923年には都市計画がオーストリアの建築家たちによりまとめられていました。
    周辺各国との間では、ユーゴスラビア王国などの攻撃があり、1924年にはティラナ中心の蜂起もありました。結局、1925年アルバニア共和国、1928年にゾグー1世の即位によりアルバニア王国となりました。
    1941年になるとアルバニア労働党が設立さ、ティラナはアルバニアの共産主義の中心地になりました。これによりイタリアのファシストや後のナナチス・ドイツへの抵抗に繋がりました。ナチスは最終的に共産主義勢力に敗北することになったのでした。
    共産主義の勢いは強くなり、宗教建築物の破壊、大規模な社会主義様式の高層住宅の建築、ソビエト様式の文化宮殿の建築に加え、街にレーニンの像までできました。そしてアルバニアの鎖国主義宣言でした。

     

    共産主義の衰えはベルリンの壁崩壊、ソ連解体などと同じ時代で、1990年代でした。
    ティラナにはやヨハネ・パウロ2世なども訪問するようになりました。カトリックのトップであるヨハネ・パウロ2世の訪問は、アルバニアにとっては歴史的なことで、マザーテレサに続く宗教的指導者の来訪でもありました。
    一方で1997年のアルバニア暴動、翌年にはクーデター未遂事件なども起こりました。

     

     

  • ドイツ語入門 番外(Amerikanische Deutsch)

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    今回はドイツ語入門の番外編を勝手に語ります。

     

     

    前回は「ドイツ語入門2(Deutsche Verbstellungen)」で、ドイツ語らしい動詞の位置についてを取り上げました。今回は、番外編としてアメリカ・ドイツ語(Amerikanische Deutsch)についてです。

     

    ドイツ語が日常的に使われている地域は、当然ながらドイツやオーストリア、スイスなどですが、ヨーロッパから遠く離れたアメリカでも、ドイツ語が使われている地域があります。その代表格といえばアメリカのペンシルベニア州です。そこで使われるドイツ語は「ペンシルベニア・ドイツ語(Pennsylvania-Dutch, Pennsilfaani-Deitsch)」ともいわれ、ドイツ語の一変異言語という扱いにもなっています。カナダからアメリカ中西部で。約15万から25万人が話者だといわれます。系統としては、高地ドイツ語の上部ドイツ語で、アレマン語の一方言です。しかし、実際には複数地域の方言が融合して、独特な言語になったとも考えられています。
    17世紀から18世紀にかけて、ドイツ、スイス、フランスのアルザス・ロレーヌ地方から移住してきた人々の子孫だといわれています。そのほとんどはキリスト教ルーテル派を起源とする信徒で、「アーミッシュ」や「メノナイト」といわれる人々です。

     

    このペンシルベニア・ドイツ語ですが、「transeuro Academy」というサイトのブログに、「主の祈り」というキリスト教の主祷文での例文が掲載されていました。引用させて頂きたいと思います。

     

    ペンシルベニア・ドイツ語
    Unser Vadder im Himmel,
    Dei Naame loss heilich sei,
    Dei Reich loss komme,
    Dei Wille loss gedu sei, uff die Erd wie im Himmel.

     

    標準ドイツ語
    Vater unser, der Du bist im Himmel.
    Geheiliget werde Dein Name.
    Zu uns komme Dein Reich.
    Dein Wille geschehe wie im Himmel also auch auf Erden.

     

    日本語訳
    天にまします我らの父よ
    汝の名を讃えよ
    汝の国は我々に来た。
    あなたの御心は、天にあるように地上でも行われる。

     

    かなり難しいというのが、正直な感想です。
    やはり、独自に発展した方言は分かりにくいといえます。
    次に、Wikipediaで調べてみると、アメリカのドイツ語について、かなり面白くまとめてありましたので、こちらも紹介したいと思います。この中で「特徴」として、「文末に来る動詞も前に来る」「過去形と同じ意味の完了形(haben+過去分詞)を現在形のように用いる」「ウムラウト記号を無視する」などは、興味深いといえます。
    これらの中で、過去分詞の扱いが、完全に英語のような扱いになっている例が、じつに分かりやすいといえました。

     

    アメリカ・ドイツ語
    Ich habe gekauft das auto.

     

    まず「auto」ですが、名詞なのに大文字にしないのも英語的ですが、何といっても「gekauft」の位置です。ドイツ語らしくない語順なので、違和感だらけです。
    普通のドイツ語にしましょう。

     

    標準ドイツ語
    Ich habe das Auto gekauft.

     

    ただ、2格を使わずvonを使うというのは、それほど違和感はありませんでした。

     

    標準ドイツ語
    Ich habe das Auto gekauft.

     

    Ich bin ein bürger von der Europaisch Bund.
    Ich bin ein Bürger der Europäischen Union.

     

    おそらく、「von」は標準ドイツ語でも決しておかしくないし、むしろ2格を使わないほうがスマートな気もします。でも、実際はどうなのでしょうか。
    少し調べただけですが、かなり興味を持ちましたので、今後も情報を集めようかと思う次第でした。

     

  • ヘプ(Cheb)エーガー(Eger)

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    今回はヘプ(Cheb)エーガー(Eger)について勝手に語ります。

     

     

    人口わずかに3万3千人程度の都市ですが、2004年に欧州連合(EU)にチェコが加盟して以降、ドイツからの観光客が激増しました。ドイツに近いこともありますが、アルブレヒト・ヴェンツェル・オイゼービウス・フォン・ヴァレンシュタイン(Albrecht Wenzel Eusebius von Wallenstein)が暗殺された場所でもあり、かつてのドイツ領ということも関係しているのかもしれません。

     

    このアルブレヒト・ヴェンツェル・オイゼービウス・フォン・ヴァレンシュタインですが、三十年戦争のときのボヘミアの傭兵隊長であり、ドイツの作家ヨーハン・クリストフ・フリードリヒ・フォン・シラー(Johann Christoph Friedrich von Schiller)が彼の生涯を書き上げた戯曲でも有名です。
    1799年に三部作が完成したもので、長いプロローグ、ヴァレンスタインの収容所、ディーピッコロミニとヴァレンシュタインの死で構成されています。ヴァレンシュタインの衰退を扱ったものです。
    彼の傭兵隊については、後世に影響を与えたことで知られます。それまでは、傭兵は現地調達するもので、占拠した地域から略奪したものを傭兵への手当てにあてていました。ヴァレンシュタインの場合、占領地からの略奪をしない代わりに、軍税という税金の徴収により、効率よく取り立て、それを傭兵隊の報酬にしました。占領地からすれば、負担の重さは変わりませんが、街の破壊や治安には影響しません。傭兵にとっても、定期収入のもとになることから常備軍として機能するようにしたのでした。
    そのため、最盛期には12万5000もの大軍にまでなっていたヴァレンシュタインでしたが、急速な出世は周囲からの不評に繋がり、また軍税を負担する諸侯からは反感を買うことになりました。
    当時は自立した軍人が台頭することは排除されることになり、最終的に暗殺されることになったわけです。

     

    神聖ローマ帝国の時代にはドイツ語名のエーガー(Eger)が町の名でしたが、1850年には、チェコ系の住民の力が増したことで、チェコ語のヘプ(Cheb)と併用することが決まりました。さらに第一次世界大戦後にはオーストリア・ハンガリー帝国が解体し、チェコスロヴァキアになりました。それでも多数の住民はドイツ系ということもあり、これが第二次世界大戦前のナチス支持とも関係し、1938年にはナチスによる併合で、ドイツ領となりました。
    第二次世界大戦でドイツの敗北が決定し、ヘプはまたチェコスロヴァキア領へ戻りました。その際にドイツ人追放が行われ、ドイツ系住民は市民権も財産も没収されてしまい、バイエルン州へと強制追放されたのでした。その結果、街並はドイツ、住民はチェコという町になりました。
    そして現在はチェコとスロヴァキアが分離されたことで、チェコ共和国のドイツ国境に近い小さな都市になっています。

     

    首都のプラハまでは鉄道で約4時間半かかりますが、ドイツのニュルンベルクへは2時間かからない距離のため、ドイツ人が古いドイツの街並みを見に行くのに最適なのかもしれません。

     

     

  • イビサ島(Ibiza)

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    今回はイビサ島(Ibiza)について勝手に語ります。

     

     

    地中海に浮かぶイビサは、世界中からセレブの集まる島であり、EDM系の音楽で弾け、しかも島全体が世界遺産に指定されています。セレブ御用達のリゾート地だけでなく、豊かな自然とともに中世の遺跡にも囲まれています。
    地中海西部のバレアレス諸島にあり、スペインの自治州・バレアレス諸島州に属しています。「Ibiza」はスペイン語表記で、カタルーニャ語表記では「Eivissa」になります。語源はフェニキア語の「Yibosim」だそうで、実は古代フェニキア人によってスペインで最初にワインが造られた島でもあります。
    地中海の温暖な海風と陽光とともに、土壌はブドウ栽培に最適です。海底が隆起して誕生した島らしく、土壌の深部にはミネラルが豊富に含まれているそうです。この環境で育ったブドウは複雑な味をもたらします。

     

    古代フェニキア人が最初にこの島で港を検察したのは、紀元前654年でした。カルタゴの支配下のフェニキア人植民地となり、フェニキア人の主要交易航路の中継地にもなりました。
    地中海に浮かぶ島という特性上、地中海正解の覇権を握った国に支配される運命にあり、以降、東西ローマ帝国、イスラム諸国家などにより支配権が争われて来ました。
    近世以降になって、スペインの領地が中心となりましたが、当初はアラゴン王国の支配でした。スペインがアラゴン王国を統合したことで、現在の自治州になっています。

     

    イビサ島というと、第二次大戦後、ヨーロッパのヒッピー文化の中心地になったことで一躍注目されるようになりました。1980年代終盤からはバレアリックという独特のダンス音楽スタイルが有名となりました。その結果、1990年代にはヨーロッパのクラブカルチャー、ダンスミュージックの中心地にまでなりました。世界中からクラバーたちが押し寄せることとなりました。
    現在でも島には有名なクラブが多くあり、特に夏は世界中の有名DJたちが集結する島になっています。
    その中でも世界で最も有名なバーとして、西海岸の「Cafe del mar」などもあり、ここでは日没の美しい風景と、DJによる独特の音楽が観光客を虜にしています。他には、Pacha、Amnesia、Space、Privilege、DC10など、有名なバーがたくさんあります。世界最大のクラブとしてギネス世界記録に登録されているのは、Privilegeで、ここはもともと植物園を改装したもので、収容人数は何と1万5000人といいます。

     

    ブドウ栽培については、スペイン最古の歴史を誇るものの、19世紀に大きなダメージを受けてしまいました。ヨーロッパ中に甚大な被害をもたらしたフィロキセラ禍でした。これによりワイナリーの数は残念ながら減少してしまいました。
    これを復活させようとして、新たなワイナリーも誕生しています。

     

     

  • ソミュール(Saumur)

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    今回はソミュール (Saumur)について勝手に語ります。

     

     

    フランスのメーヌ=エ=ロワール県の都市であるソミュール(Saumur)は、ロワール河岸にあり、ロワールワインの産地です。 石を採掘するために掘られたトンネルがり、それを利用して、地元のブドウ園がワインの保管場所としています。
    採掘される石というのは、美しいが壊れやすいといわれるテュフォストーンというもので、これはチョーク質石灰岩です。ソミュールの民家の多くも、この石灰岩で建設されています。

     

    この都市には新石器時代の巨石墳墓群があります。「ドルメン・デ・バニュー」というもので、このことから数千年前よりこの地に居住した人がいたことを意味します。それだけ太古より居住地に向いていたわけですが、この街が大きく変貌したのはノルマン人(Normanean)の侵入かもしれません。
    ノルマン人はスカンディナヴィアやバルト海沿岸にいた北方系ゲルマン人のことです。8世紀後半から活発化し、9世紀になるとヨーロッパ各地を侵略していました。
    ソミュールは845年に略奪され、10世紀になるとノルマン人防衛を目的とするため、ブロワ伯ティボー1世によってソミュール城(Château de Saumur)が建設されました。トゥエ川とロワール川の合流点を見渡せる位置にあります。1067年には破壊されてしまいましたが、12世紀後半にイングランド王ヘンリー2世によって再建されました。最終的にはシャトー(château)になりました。

     

    宗教改革の時代にはカルヴァン主義(Calvinism)の影響を受け、ソミュール大学でプロテスタント神学者のMoses Amyrautによる「Amyraldism 」あるいは「School of Saumur 」という学派が誕生しました。
    フランス革命期に発生したカトリック王党派の反乱であるヴァンデの反乱(Rébellion Vendéenne)では、戦場となりました。王党派の白軍と共和国側を青軍が激しく戦闘し、白軍はロワール川の北に追い詰められました。1794年のル・マン、サヴネの戦いにより、組織的抵抗は壊滅しましたが、以後はゲリラ戦へと続いた反乱でした。

     

    第二次世界大戦でもソミュールの戦いがありました。1940年6月18~20日でした。
    ソミュールの人々は、愛国心を見せ、必死の抵抗をしました。このことから、クロア・デ・ゲール勲章を授与されることにもなりました。
    現在はロワールワインの産地として、人口わずかに2万7千人の平和な都市になっています。

     

     

  • ヴァイマール(Weimar)

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    今回はヴァイマール(Weimar)について勝手に語ります。

     

     

    日本では「ヴァイマール(Weimar)」というより、ワイマールという言い方のほうが馴染があるかもしれません。「フォルクス・ヴァ-ゲン」ではなく「フォルクス・ワーゲン」、「ヴァンダーフォーゲル」ではなく「ワンダーフォーゲル」というように、「W」を英語的に発音しながら、「V」を英語的でなくドイツ語的に発音する独特の読み方をする日本ならではの表現です。
    それはさておき、ヴァイマールというと「ワイマール憲法」を思い浮かべる人も多いかもしれません。ドイツではこの憲法によるヴァイマール共和国(Weimarer Republik)という時代もありました。第一次世界大戦の敗戦から、ナチス台頭によるヒトラー政権までのわずかな期間です。国名から考えて首都がヴァイマールではないかとも思えてしまうでしょうが、首都はあくまでベルリン(Berlin)でした。

     

    では、なぜ憲法や国にヴァイマールの地名がついたのかというと、第一次世界大戦後の1919年に憲法制定会議が行われた場所だからです。具体的にはヴァイマル国民劇場でした。
    ドイツ帝国が崩壊したことで、新しくドイツで制定された憲法で、1918年の「ドイツ革命」ともいうべきものでした。国民主権、男女平等の普通選挙、議会制民主主義体制、大統領制などの基本的な国家の根幹に加え、基本的人権の「社会権」が初めて規定されたものでした。当時、世界でもっとも民主的な憲法だといわれていました。
    それにも関わらずナチスの独裁を生んだのは、憲法第48条の「大統領大権」の存在でした。国家が危急の事態に瀕した場合には、緊急令を発令して必要な措置を講ずることができるというものです。日本は新型コロナウイルスの蔓延による緊急事態宣言がありましたが、ヴァイマール憲法では、緊急令の成立には国会の審議が必要ありませんでした。しかも「危急の事態」の明確な定義がないため、大統領の裁量次第ではなんでもできるものだったのです。
    そこでヒトラー政権はヒンデンブルグの大統領大権を利用したのでした。合法的にて、ヴァイマール憲法が定める人身の自由や、言論・集会・結社の自由といった基本的人権を停止することができたのです。

     

    ヒトラー政権については、別の話題になってしまうので、都市としてのヴァイマールについてです。東西分断時代は東ドイツにあり、エアフルト(Erfurt)のすぐ近く(東へ20㎞程度)の位置です。

     

    【参考】
    テューリンゲン紀行4(Erfurt)

     

    神聖ローマ帝国の時代には、ザクセン・ヴァイマル公国、その後はザクセン・ヴァイマル・アイゼナハ大公国の首都として栄えていました。特に有名なのは、J.S.バッハやゲーテが仕えていた国だったことでしょう。
    現在の人口は6万5千人程度の小さな都市ですが、歴史的にはとても重要な場所です。

     

  • キリストの血入門 21

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    ワインが「キリストの血」であることから、キリスト教について勝手に語っていく第21回です。今回もワイン屋の店長が宗教学者になって語りますので、誤りがあっても許してください。

     

     

    前回は十字軍についてでした。今回は正教会を単独で取り上げます。

     

    中世の東西教会分裂後の東ローマ帝国では、新たな修道精神の勃興が起きていました。東ローマ帝国の静寂主義が起こり、修道熱も高まりました。
    その前に、正教会について改めてまとめておきます。

     

    まず、名称ですが、「正教会」は一般的には「ギリシャ正教」や「東方正教会」ともいい、西ローマ帝国のカトリックと並ぶ伝統的なキリスト教の教派です。正教会の場合、国名や地域名を冠したローカルなキリスト教組織を形成しています。ロシア正教会、セルビア正教会、ルーマニア正教会、ブルガリア正教会、グルジア正教会などです。日本にも日本正教会があります。また古代総主教庁も地名を冠して、コンスタンディヌーポリ総主教庁、アレクサンドリア総主教庁、アンティオキア総主教庁、エルサレム総主教庁などのようになっています。
    地名を冠しているだけで、それぞれが別の教派ではなく、あくまでローカルな組織の名にすぎません。従ってロシア正教からグルジア正教に「改宗」するというのはありえないわけです。

     

    東ローマ帝国の国教であり、地中海の沿岸の東側地域を中心に広がったことから、西ローマから見て「東方」ということになっていますが、現在では必ずしも東方だけの教会とはいえません。確かにギリシャを中心にして、東欧各国で多数の信徒を誇っていますが、移民などにより世界中に信徒が分布しています。
    あまり知られていませんが、今ではイスラム勢力の強い中東においても、初代教会から継承されるものがあります。
    また、東欧はソビエト連邦の影響下であった時期があるため、その時期は正教会は大きな被害を受けました。共産主義にとって宗教は麻薬であるとのことで、弾圧による被害がありました。しかしソ連崩壊後から再び正教会が復興しています。

     

    東欧各国が正教会の国となったのは、東ローマ帝国の首都であるコンスタンティノープルから、スラヴ地域へ宣教していったという歴史があるからです。
    まず最初に、9世紀に宣教師キュリロスとメトディオスの兄弟により、スラヴ語のための文字を考案したのでした。なぜならスラヴの言語は話し言葉ではあっても文字がなかったからです。これをもとに聖書をスラヴ語に翻訳し、この翻訳が教会スラヴ語として現在でも礼拝で使われています。
    この文字がのちにキリル文字になり、スラヴ文化の新たな形成と発展に繋がっていきました。

     

    ブルガリアはトルコ系の遊牧民族のブルガール人の移住地でしたが、ブルガリア帝国でも870年に正教会が建立されました。言語は異なっていましたが、スラヴ語典礼が行われ、ブルガール人はスラヴ人と同化していきました。
    ルーマニアはそのブルガリアの支配地だったため、初期から正教会があり、しかもラテン語からスラヴ語典礼へと変えていきました。

     

    そして冒頭の新たな修道精神の勃興についてです。
    14世紀に、アトス山の修道院で「静寂主義」といわれるヘシュカスムが体系化されました。グレゴリオス・パラマス(日本ハリストス正教会ではグレゴリイ・パラマ)によるものです。正教会はカトリックより神秘思想的な傾向が強く、それを決定的にしたといえるものでした。
    カラブリアのバルラアムが唱えた「恩寵は神によって作られた」とする説に反論し、恩寵の非被造性を説いたのでした。非被造の恩寵が人間を照らし、神の働きを知ることへと導くとしました。さらに霊的な指導を徹底したのでした。
    このヘシュカスムとは、「祈らずして祈る」者だけが、神の作られざる恩寵の光に与り、恩寵によって神の性質と等しいものになるとし、この過程における絶対的な静寂(ヘシュキア)を体験するというものです。神秘的要素が多く、バルラアムはこの論争に敗れることになり、東ローマ帝国を追放されてしまいました。何と、彼を迎え入れたのはカトリック教会で、司教となりました。

     

  • 果実酒とフルーツワイン

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    今回は果実酒とフルーツワインについて勝手に語ります。

     

     

    果実酒というと、ワインのことを指すような気がしますが、必ずしもそうではありません。確かに狭義では、果汁から作られた醸造酒のことですから、まさにブドウから醸造したものはワインとなります。
    しかし、一般に果実酒となるとより広いものを指すことになり、果実を中性スピリッツのような酒に浸漬した混成酒も含まれたりします。欧米でも、これらを含めてフルーツワインとなります。ただし、歴史的に固有の酒として古くから認知されている種類、例えば、リンゴ酒のシードル、洋ナシを使ったベリー、ハチミツ酒のミードなどは、フルーツワインとはいわない場合があります。

     

    日本の場合、酒税法第3条により、果実酒の分類は、果実を原料として発酵させたものとなっています。従って、発酵後に中性スピリッツなどを添加しても果実酒となるわけです。ただし、シードルは発泡性酒類に分類され、「その他の発泡性酒類」になっています。
    またフルーツワインの場合、ブドウ原料のワインと区別するために、ワインの前に原料名をつけています。プラムワイン、エルダーベリーワインなどのようにです。この背景には、欧州連合 (EU)で「ワイン」は法的に定義していることも関係します。ワインと単独で表現できるのは、ブドウ果汁を発酵させたものだけに限定しているからです。

     

    果実を発酵させることによりできるものが果実酒ということは、発酵可能な果実であれば、どの植物でもつくることが可能ということを意味します。しかし、ブドウを除くと、飲用できるものとして、最低限必要な糖分や酸、あるいはタンニンなど、バランスよくなっているとは限りません。そこで、果実酒では発酵時にいくつかの栄養素を入れることでバランスを調整することが多くあります。
    その栄養素の役目には、風味をよくするためや、アルコール度数を上げることを目的として添加するものがあります。特に砂糖などは、発酵中にアルコールになるため、かなり多くの果実酒で使われています。

     

    では具体的な果実酒、フルーツワインとは何か、というと、日本で代表的なのは梅酒でしょう。青梅を焼酎に漬けて作るもので、日本だけでなく韓国や中国でも飲まれています。
    酒精強化ワインやリキュールを作るために使用されることもあるチェリーワインも代表的なものでしょう。サクランボから作られるもので、デンマークのフレドリクスダル・チェリーワインなどが有名です。
    他にもオレンジワインやパイナップルワインなどもあります。ヨーロッパではなじみがないですが、アメリカではタンポポワインもあります。タンポポの花弁と砂糖にレモン果汁を組み合わせたものです。アルコール度数も手ごろな範囲にあるので、気軽に飲めるフルーツワインです。

     

  • ケファロニア島(Κεφαλονιά)

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    今回はケファロニア島(Κεφαλονιά)について勝手に語ります。

     

     

    ギリシャでアドリア海に浮かぶイオニア諸島には、小さな島々が7つあります。その中でケファロニア島(Κεφαλονιά)は最大の面積をもち、なおかつワインの原産地呼称に認定された産地があります。歴史の古いギリシャには古代からワインが伝わっていますので、ケファロニア島のワインにも注目です。

     

    古代ギリシア語ではケパレニア島(Κεφαλληνία)と呼ばれていました。
    島で最大の都市はアルゴストリ(Αργοστόλι)で、人口は1万3,000人弱です。 18世紀にはギリシャで最も活気のある港町にまでなっていました。
    島としては山が多く、平地は少なく、全体の15%程度しかありません。

     

    東地中海貿易による海洋国家として「アドリア海の女王」と呼ばれたのが、ヴェネツィア共和国ですが、この島も統治されていました。この国は正式には「晴朗きわまる共和国ヴェネツィア(Serenìsima Repùblica de Venexia(Venessia)」です。信教の自由や法の支配が徹底された国家でした。
    ヴェネツィア商人の交易が活発で、交易品の中にはワインだけでなく、故障、絹、オリーブオイル、羊毛皮などに加え、奴隷も含まれていました。特に交易では東ローマ帝国での特権が大きく大きな利益をあげていました。

     

    西地中海への交易は、イベリア半島のレコンキスタの影響で進出していきました。ジブラルタル海峡が安定したことで、東地中海だけでなく、ロンドンにまで及んでいきました。これは地中海と北ヨーロッパを結ぶものとして、陸路ではなく海路が活発化することなりました。

     

     

  • スヒンドル(Сухиндол)

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    今回はスヒンドル(Сухиндол)について勝手に語ります。

     

     

    ブルガリア北東部のにあるスヒンドル(Сухиндол)はヴェリコ・タルノヴォ州に属しています。ドナウ平原の中央部分は、ワイン生産に適した土地ということもあり、
    世界的に知られるワインと蒸留酒の産地になっています。ワイン生産共同組合”Gamza”は、町の名前を冠しています。スヒンドルのワインは、地元の品種のディミャト(Димят / Dimyat)だけでなく、にカベルネ・ソーヴィニヨンやメルローも生産しています。

     

    スヒンドルのあるヴェリコ・タルノヴォ州の州都は、第二次ブルガリア帝国の首都だった時期があります。12世紀後半から14世紀末まで存在した国家でした。
    第一次ブルガリア帝国の滅亡後、東ローマ帝国領となりましたが、ブルガリア貴族や高位聖職者の特権は保証されました。ところが、その後の皇帝によりブルガリアへの圧政が始まりました。それは、財政改革によりブルガリアの農民にも及びました。
    そこでペタル・デリャンの蜂起がおこり、デリャンはブルガリア帝国の再建を掲げました。結局、この蜂起は鎮圧されましたが、これが第二次ブルガリア帝国への序章となりました。
    さらに十字軍の影響もあり、神聖ローマ帝国との同盟などから、東ローマ帝国からの脱却を図り、第二次ブルガリア帝国が成立しました。

     

    スヒンドルはヴェリコ・タルノヴォから北北西の位置にあり、近くには、ロシツァ川(Росица / Rositsa)にかかるダム湖があります。周囲は丘陵地帯になっていて、緑にあふれています。バルカン山脈のふもとにゆるやかな丘陵が広がり、ブドウの栽培からワイン醸造まで行われているわけです。

     

1 2 3

ワイン通販なら

想い出生まれ年ワイン、デザイン自由オリジナルワイン

スペシャルコンテンツ

オールドワインの魅力

最新のブログ記事

カテゴリー

タグクラウド

月別アーカイブ