今日もワインを飲んでます そして思いついたことを書きつづる

  • フンザ(Hunza)

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    今回はフンザ(Hunza)について勝手に語ります。

     

     

    フンザ(Hunza)はパキスタン・イスラム共和国の北西部にあるギルギット・バルティスタン州にあります。北は中国、北西はアフガニスタンの国境があり、アフガニスタンの先にはタジキスタンが広がっています。
    山岳地帯で、中国のカシュガルへはカラコルム・ハイウェイがあり、沿線には観光ホテルなどもあります。このような集落は点在する形になっています。
    カランダル峠、イルシャード峠は夏の期間だけ通行でき、ワフジール峠を経由するとアフガニスタンのバダフシャーン州や新疆ウイグル自治区カシュガル地区にあるタシュクルガン・タジク自治県(中華人民共和国 )へと通じています。

     

    7000m級のパミール高原の山々が迫る地域で、パキスタンと中国新疆ウイグル自治区を結ぶルートに相当します。そのためかなりの辺境地で、訪れる旅行者は外国人が多く、ほとんどが登山を目的としています。
    自然に恵まれているため、一部では「伝説の地」や「桃源郷」などとも呼ばれています。それほど圧倒されるほどの自然美に囲まれた地域です。

     

    実はここにはフンザワインがあり、旅行者にとっては隠れた名物となっています。
    ただイスラム教の国なので、これは地元の人たちが醸造している一種の密造酒といえます。手に入れるのは容易でないともいわれます。
    どのようなワインなのか、残念ながら情報が少なく、よくわかりません。ただ、通常のワインと比べると酸味が強烈で、つくりたてより少し熟成した方が良いとの話も聞きましたが、真偽のほどは不明です。

     

    酒類を禁止するイスラム教ですが、密造酒があるのもイスマーイール派の信者が多いことにも関係しているかもしれません。イスマーイール派はイスラム教の中では戒律がかなり緩いようです。
    もともとはシーア派の一派で、8世紀に起こったといわれます。特徴的なのは、グノーシス的な神秘主義的教説です。

     

    【参考記事】
    キリストの血入門 5

     

    グノーシス主義だけでなく、新プラトン主義もあり、「隠れた知」が強調されて一派です。そのため他の派が聖典の「コーラン」を信仰の中心的な位置づけにしていますが、イスマーイール派は、そのような外部的解釈だけでなくイマームだけが知ることのできる秘教的な内的真理があるとしています。その二つを明確に区別しているのです。
    もう一点、イスマーイール派の人々は、信仰を意図的に隠すようにしています。

     

     

  • アンカレッジ(Anchorage)経由

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    今回はアンカレッジ(Anchorage)経由の思い出を勝手に語ります。

     

     

    アンカレッジ(Anchorage)はアメリカを代表する港湾都市の一つであり、アラスカの中心都市です。
    しかし、ある一定以上の年齢の日本人で、欧州などへの渡航経験がある人にはなじみの深い都市といえます。具体的には1991年以前にヨーロッパへ北回りルートで旅したことのある人です。この時代、ほとんどがアンカレッジ経由だったからです。

     

    経由していた空港はテッド・スティーブンス・アンカレッジ国際空港(Ted Stevens Anchorage International Airport)です。かつて日本で唯一国際線を運航していたのが日本航空でしたが、その時代には、日本航空がこの空港にもっとも多く離発着していました。1960~1990年頃は、旅客便と貨物便を合わせて1日に十数機が寄航していました。
    それだけ頻繁に日本から寄港していた空港ですが、目的はすべて給油でした。乗客は給油の間、国際線ターミナル内で過ごしていました。滞在時間は1時間から2時間程度でした。
    そのため、空港内には日本人向けの免税店やレストランもあり、うどん屋もありました。日本語のできる従業員も多くいました。

     

    現在はアンカレッジを経由しなくても、ロシア上空を経由して直接ヨーロッパに行けるようになりました。そのため、アンカレッジ経由の便はなくなりました。
    かつての状況を知っている人間からすれば、何とも寂しい気もする反面、ヨーロッパへの飛行時間が大幅に短縮していることにうれしくもあります。

     

    初めてアンカレッジの空港に降り立ったのは、まだ1980年代の東西冷戦時代でした。大韓航空機撃墜事件の記憶もまだ新しいときでした。しかも乗ったのは、フランクフルト発アンカレッジ経由ソウル行きの大韓航空でしたから、周囲からは危ないのでは、ともいわれたことが思い出です。
    大韓航空機撃墜事件は、1983年9月1日におきた事件で、大韓航空のボーイング747が、ソ連の領空を侵犯したことで、ソ連の戦闘機により撃墜された事件のことです。この事件では、乗員・乗客合わせて269人全員が死亡しました。まさにこの航路での事件でした。
    ちなみに、これとは別に大韓航空機爆破事件もあり、これは1987年11月29日の事件でした。偽造された日本国旅券を使った北朝鮮の工作員によるテロ事件でした。

     

    実をいうと、貧乏大学生だった頃は、アンカレッジ経由の北回りでヨーロッパに行けるというのは、ある意味で憧れでもありました。南回りのアジア系航空会社を使った格安航空券が主でしたから、JALやヨーロッパ系キャリアの航空会社の便は、敷居の高いものだったのです。
    北回りのアンカレッジ経由で、唯一チケットがとれるのが大韓航空でした。少し背伸びすると、アエロフロートという選択肢もありましたが、この場合はシベリア経由なおでアンカレッジとは無縁でした。
    そのような状態だったので、実際に経由した思い出より、アンカレッジ経由でヨーロッパを頻繁に行き来することへの憧憬が強かったといえます。

  • キリストの血入門 17

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    ワインが「キリストの血」であることから、キリスト教について勝手に語っていく第17回です。今回もワイン屋の店長が宗教学者になって語りますので、誤りがあっても許してください。

     

     

    前回はローマ帝国の東西分裂についてでした。今回はフィリオクェ問題についてです。

     

    フィリオクェ問題は、キリスト教の神学上最大の論争といわれるものです。これによりローマのカトリック(西方教会)とビザンツ帝国(東ローマ帝国)の正教会(東方教会)とが完全に分離することになりました。東西分裂を決定的にしたものです。
    この問題は、ニカイア・コンスタンティノポリス信条の解釈・翻訳をめぐって対立したものでした。

     

    キリスト教に詳しくない人には、大きな問題だと感じないかもしれませんが、東西の意見対立は根深い物があります。
    論点となるのは「聖霊」あるいは「聖神」についてです。カトリックは「聖霊は父と子より発する」としていますが、正教会では「聖霊」が「聖神」となり、「聖神は父より発する」としています。どちらも父なる神、子にして神、さらに人でもあるのがイエス・キリストとする三位一体の構成なのは共通ですが、この相違点についてはお互いに相容れないものになっていました。

     

    東西対立は9世紀から顕著化していきました。
    しかし、古代から続くキリスト教文化の一体性が大きく分かれたとは、必ずしもいえないようです。
    そもそもが、この時代のキリスト教は、東地中海沿岸でギリシア語、西地中海沿岸でラテン語が主に用いられていたという背景もあります。従来のローマ帝国はラテン語ですが、キリスト教の教義については主に東地中海沿岸で理論的発展してきました。そのためラテン語とギリシア語のそれぞれの文化圏の違いがありながら、神学理論の著述がギリシア語が主だったことから、ローマ教会ではラテン語への翻訳を行っていたという関係がありました。
    言語の違いによる差はありながらも、キリスト教文化という面では一体性は十分に保たれていたとみられます。

     

    この言語の違い、翻訳がこの問題に関係してきました。
    ニカイア・コンスタンティノポリス信条の原文はギリシア語でした。その中で「父より出で」という部分を、カトリックがラテン語で「父と子から出て」というように付け加えて翻訳したことが問題となりました。
    実はこの問題はそれだけでなく、当時のコンスタンティノポリス総主教のフォティオス1世と前の総主教だったイグナティオスとの対立があり、いわばコンスタンティノポリス教会内部の政治的争いでしたが、これにローマ教皇が介入してきたのでした。しかも前の総主教だったイグナティオスを支持したのでした。これにより東西のキリスト教会が分裂するような対立へと進化してしまったのです。

     

    ローマ教会の介入によって、イグナティオスは勝利を収めるとともに、ローマとの関係も改善するように動き、東ローマ皇帝のバシレイオス1世をフォティオスを罷免することになりました。
    これにより東西教会の分裂は調停されるようになりましたが、第4コンスタンティノポリス公会議の正当性についての意見の相違は残り、両教会が完全にもとの状態に戻ることはありませんでした。しかも肝心なフィリオクェ問題では、東西教会で見解が一致することはありませんでした。その結果、1054年に大分裂となったのでした。

     

    この問題は1438年に東西合同で開催されたフィレンツェ公会議で再び採り上げられました。このときに、東方正教会の主教たちは「父と子から出て」を承認しました。これで東西での統一見解となるかと思えましたが、そのようにはなりませんでした。
    この公会議に出席していたキエフ主教を、ロシア正教会が破門し、決議の承認を撤回したのでした。これで東西教会の統一は夢となり、分裂はそのまま継続することになりました。

     

    正教会では、現在でも「聖神は父からのみ発出し、子を通して派遣される」としています。

     

  • チロエ島(Isla de Chiloé)

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    今回はチロエ島(Isla de Chiloé)について勝手に語ります。

     

     

    チロエ島は南緯42度にあるチリの島です。雨が多く、冷涼な島です。
    この南緯42度は、北半球でいえば北緯42度に相当するわけで、日本だと北海道の余市に相当する緯度です。冷涼だということがよくわかると思います。
    この寒いチロエ島の東側にある小さな島にブドウ畑があります。ここはフンボルト海流の影響で寒い地域ではあるのですが、この島周辺は外洋から隔離されていることから、そこまでの寒さにはならないといいます。
    ブドウ畑はこれから本格していきますが、チリ最南端のブドウ畑として成立するかどうかに注目が集まっています。

     

    このチロエ島は南北190 km、東西55から65kmの長方形で、面積は8,394 km2です。チリの島では2番目、南米では5番目に広い島です。2000年にチロエの教会群が世界遺産に登録されました。

     

    チロエの教会群は、18世紀から19世紀の間にかけて建設されたもので、現在では159棟が残っています。建築様式に特色があり、ゴシック建築やバロック建築などのヨーロッパの様式と地元の様式が混ざり合ったものです。チロエ様式といわれています。
    チリ本土から孤立した島ということもあり、本土と異なる資材が使われたことで、独特の建築様式になったといわれています。
    また、イエズス会宣教師たちは、異教徒への布教ということで、木造小教会を多数建造しましたが、結果的にキリスト教と土着信仰の混交的な存在となってきました。

     

    スペインが島を支配した際、島の中心ぐとしてカストロ(Castro) という都市を建設しました。チリ国内で、現在まで続いている都市としては、3番目に古い街です。このカストロがイエズス会布教の拠点となっていました。
    1594年にはカストロの人口は8000人で、ほぼ農民で占められていました。その後、17世紀中頃まで、オランダの海賊によって何度も略奪が繰り返されました。

     

     

    チリ本土とは、チャカオ海峡で隔てられてますが、ここにチャカオ海峡大橋を架ける計画がありました。しかも2012年の完成を目標にしていましたが、残念なことに予算面に問題があり、現在は計画が中断された状態になっています。

  • スングルラレ(Сунгурларе)

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    今回はスングルラレ(Сунгурларе)について勝手に語ります。

     

     

    スングルラレ(Сунгурларе)は、ブルガリアのワイン生産地として知られています。古来より伝統的にワイン生産が続けられてきた地域です。
    そのため、1984年にはワインの博物館も開設されました。ブドウ栽培とワイン生産に関しての展示がされています。この建物はワイン商人の豪邸だったものでした。

     

     

    ブルガス州に属していて、この州の州都はブルガス(Бургас)です。この都市はブルガリア第4の都市ですが、人口は20万人程度です。
    スングルラレはその州都ブルガスかから西北西に約80㎞の距離があります。渓谷の中にあって、古代より人が居住していた地域のようです。それは古墳があり、そこから様々なものが出土していることから裏付けられています。古墳はトラキア人のもので、出土したのは陶器の他、古代ローマの硬貨などもありました。
    トラキア人は、古代の東ヨーロッパ周辺に住んでいた民族で、言語はトラキア語です。インド・ヨーロッパ語族で、古代ギリシアやローマ帝国の文献にも現れています。最初の記録は『イリアス』でした。ここでは、トラキア人がトロイアを支援して戦ったという記述があります。『オデュッセイア』にも記載があります。ヘロドトスの『歴史』では、民族の規模や勢力などがの他、奇習についても記載されています。
    それほどまでに、当時のヨーロッパではかなりの勢力があったといわれますが、 民族形態についてはよくわかっていません。

     

    のちにトラキア人は、ギリシア語を公用語とするようになり、マケドニア王国に征服されて以降、ギリシア語が共通語にまでなっていきました。さらに、ローマ帝国に支配されてからは、ローマ化し、トラキア語はギリシア化とローマ化の影響を受け消滅していきました。
    スングルラレはドナウ川南の地域だったことから、6世紀にはスラヴ人の侵入により、スラヴ化されることになりました。そしてブルガール人に支配され、10世紀までにはブルガリア人となったのでした。

     

    オスマン帝国による支配されていた時代には、スングルラレの44家族がウクライナに移住し、クリミア半島にブルガリア人集落を築いたとの記録もあります。

  • マクドナルドの法則とマクドナルド理論

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    今回はマクドナルドの法則とマクドナルド理論について勝手に語ります。

     

     

    マクドナルド(McDonald’s)といえば、日本人なら知らない人はいないほど有名なファストフードチェーンストアです。年間15億食を提供するほどの世界規模のチェーン店ですから、このマクドナルドにちなんだ「法則」と「理論」があってもおかしくありませんので、今回、ご紹介したいと思います。

     

    マクドナルドの法則

     

    ワイン発祥の地として知られる国がジョージアですが、かつて日本ではグルジアと呼ばれていました。黒海とカスピ海に挟まれた南コーカサスに位置しています。
    マクドナルドの店舗もあります。これは、マクドナルドが進出する国は発展した国である証拠ともいえ、それほどの国であれば、仮に戦争をする場合でも、相手国はマクドナルドが進出していない国である、というのがマクドナルドの法則でした。
    つまり、この時点でジョージアはマクドナルドが進出しているような国とは戦争をおこなうわけがないと思われていたのです。
    ところが、これが崩れました。

     

    同じくマクドナルドのある大国のロシアと戦争をしたのです。
    北京オリンピックのときの2008年でした。ジョージアはロシアが支援していた南オセチア自治州を軍事的に奪還することに動いたのです。軍事力の差は歴然で、ジョージア軍はロシア軍に返り討ちにあいました。
    この戦争は南オセチア紛争(South Ossetia War)とか、ロシア・グルジア戦争(Russian-Georgian War)、あるいは8月戦争(August War)ともよばれました。
    この結果、ロシアは南オセチアとアブハジアの独立を承認することになり、両地域が完全にジョージアから分離されていくことが明確になっていったのです。
    このことから、ジョージアは無謀にも大国ロシアに戦争を挑んで自滅した小国だといわれるようになってしまいました。国際的にネガティブなイメージが根付いたのですが、それでもジョージアはワイン発祥の地としての誇りを持ち、なぜか観光面でも人気が高まってきたのでした。そしてマクドナルドの法則が崩れた唯一の国家です。

     

    マクドナルド理論

     

    Jon Bellさんの提唱する「マクドナルド理論」とは、もっと身近なシーンに登場します。
    ランチのときに、どこのお店に行くか、という話になった時、「マクドナルドに行こうよ」と誰かが提案したとします。すると、満場一致で「マクドナルドはやめようよ」という意見が統一されます。
    つまり、ランチにどこへ行くかの意見が出ない状況で、「マクドナルドにしよう」と言うだけで、不思議なことに様々な良い意見が出てくるということからよりよいアイデアを出すための手法ということです。、
    このマクドナルド理論を使うことで、行き詰まりがちなビジネス会議やプロジェクトで、より優れたアイデアを出すことができるということなのです。このBellさんのマクドナルド理論とは「実行可能なアイデアのうち最低のもの」を提案することで、その最低についてのディスカッションが始まり、その先にクリエイティブになっていくというのです。最悪のアイデアを排除するために、よりよいアイデアを出そうとするというのです。
    これだとマクドナルドは最低のものになってしまいますが、必ずしも最低という意味ではなく、安易な選択がマクドナルドということになるのかもしれません。

     

  • ドイツ語入門(Übersicht)

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    今回はドイツ語入門について勝手に語ります。

     

     

    国別ワイン生産量でベスト10に入り、ヨーロッパでは4位を誇るドイツでは、当然ながらドイツ語が話されています。
    ドイツ語の話者人口は約1億3000万人なので、日本語に近い人数を誇ります。インターネットの使用人口の全体の約3パーセントがドイツ語といわれ、ウェブページの数では、全サイトの約6%を占めているようです。これは英語に次ぐ数の多さで、ヨーロッパ全域でもロシア語に次ぐ多さを誇ります。欧州での共通言語的な役割を担うのは英語でしょうが、実際の話者ではドイツ語は英語に次ぐ規模の人数になっています。
    ただ、ヨーロッパでは話者が多いものの、他の大陸では話す人は少なく、それが英語、フランス語、スペイン語との差になっています。

     

    日本の場合、大学の第二外国語ではフランス語と並んで定番といえますが、日本でのドイツ語教育は世界的にかなり特殊です。
    特に1格、2格、3格、4格という分類方法は独特で、かつてはそれぞれ、主格、属格、与格、対格といっていました。これを男性名詞、女性名詞、中性名詞の定冠詞と不定冠詞にあわせて変化させるように覚えさせるのが一般的です。この手法は、おそらく日本固有のもので、世界中どこを探しても他ではこのようなやり方をしていないでしょう。即刻めたほうが良いものですが、日本ではこれでマスターした人間がドイツ語を教えているので、難しいだろうとも思います。
    また、このやり方は古典的なドイツ語の読解方法としては機能しますが、総合的な学習、特に会話をマスターするには邪魔以外の何物でもありません。

     

    このような日本のドイツ語学習方法は、格変化を数式的にまとめたもので、裏を返すとドイツ語文献を機能的に読解するための日本人の知恵ともいえます。
    この格変化ですが、実は英語にもあります。しかし、わずかに代名詞くらいしか関係しないので、英語の学習経験者からすれば、厄介なものになるのかもしれません。ちなみに、英語の場合は、一人称単数の人称代名詞で「私は」という主語になる場合は「I」、「私の」という所有格は「my」、他動詞を使った際の目的格「私を、私に」だと「me」と変化する、この変化パターンです。ドイツ語の場合は、代名詞だけでなく、冠詞や形容詞も、日本的ドイツ語教育方法でいう1格から4格まで変化するわけです。
    この名残で、大学時代に第二外国語でドイツ語を選択していた人に、覚えているドイツ語があるかときくと、結構な確率で「der des dem den」とか「die der der die」「das dem dem das」という格変化だけ覚えているという人がいます。これをドイツ人にいうと、全く意味不明という顔をされます。

     

    さて、そんなドイツ語ですが、フランス語やイタリア語と同様に方言が多岐にわたっています。
    その中で標準ドイツ語と呼ばれるのは、発音では低地ドイツ語地域のハノーファー周辺の言葉といえます。これはオストファーレン方言(Ostfälisch)の地域ですが、ドイツのテレビでアナウンサーが話す発音に近く、日本人のドイツ語学習者も一番聞きやすいかもしれません。北低ザクセン方言(Nordniedersächsisch)に慣れている立場からしても、この地方の発音は違和感もなく、耳に心地よいドイツ語に聞こえます。
    逆にミュンヘンのあるバイエルンやウィーンを中心とするオーストリアのドイツ語は、特に「s」+母音の発音が濁らないので、油断すると全く意味不明になって聞こえることもあります。また独特な省略もその地方ならではのものがあるので、その違いを許容することが重要です。ちなみにスイスのドイツ語は難しいです。
    ただ、基本的にドイツはどこでも訛りがあると考えていたほうがよいので、むしろ訛りを気にしないのが一番かもしれません。

     

    イタリア語と同様に母音はローマ字読みが基本なので、この点は英語より楽です。ただ、ウムラウトがありますので、これには注意です。特に「Ö, ö」です。旅行会話集などに、「ありがとうございます」をドイツ語のカタカナ表記で「ダンケ・シュエーン」と書かれたりしていますが、この中に「ö」が使われていますので、そのように言っても、ドイツ人には通じません。日本語にはない音だからです。かなり練習しない限り、ありがとうと、日本人はドイツ語で言えません。
    ちなみに「Ö, ö」は、「o」を発する口で「e」と言う音です。

     

    久しく使っていなくて忘れていたドイツ語ですが、この機会に勉強しなおそうかと思っています。

     

  • レソト王国(Mmuso wa Lesotho)

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    今回はレソト王国(Mmuso wa Lesotho)について勝手に語ります。

     

     

    レソト王国(Mmuso wa Lesotho)は、2012年に初めてワインの生産を開始しました。
    最初はわずか50本の生産本数でしたが、2015年には400本まで拡大しました。レスト王国の周囲を囲む南アフリカ共和国から、ワインの技術指導を受け、着実に生産体制を強化しています。

     

    では、南アフリカ共和国に囲まれたレソト王国とはどんな国でしょうか?
    1966年にイギリスから独立したイギリス連邦加盟国のひとつで、世界最南の内陸国です。首都はマセルで、非同盟中立を宣言しています。 国名の「レソト」は「ソト語を話す人々」という意味で、かつてのイギリス領の時代にはバストランド保護領と呼ばれていました。
    周囲を南アフリカ共和国に囲まれているということで、南アフリカ共和国を経由しないと行き来できない地域があります。国土はドラケンスバーグ山脈の山中にあり、「南部アフリカの屋根」ともいわれるほどです。それくらい平地がなく、国土の標高は平均で1400mを超えています。この標高の高さを活かしてアフリカでのワイン生産を進めようとしているわけです。
    レソト王国の最高峰はアフリカ大陸南部の最高峰でもあるタバナントレニャナ山で、その高さは3482mです。

     

    アフリカの大河ともいえるオレンジ川は、南アフリカ共和国との国境付近に源流があります。ナミビアを経由して大西洋へと注いでいます。この川の影響で、強い侵食作用による深い渓谷が所々にあります。
    オレンジ川の支流で主要河川となっているのはカレドン川で、この川の流域が最も人口の多い地域となっています。
    ブドウ栽培に適しているのは気候もそうで、イタリア北部に似た気候だといいます。夏季に降雨が多く、冬季は乾燥しています。

     

    また、レソトで特筆すべきことは、HIV感染者が多いことです。
    特に1990年代以降から激増し、国民の約1/4がHIV感染者であるといわれています。その影響からか、成人死亡率が世界でもっとも高い国となっています。

     

     

  • ナンシー(Nancy/Nanzig)

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    今回はナンシー(Nancy/Nanzig)について勝手に語ります。

     

     

    フランスのロレーヌワインは、AOC(原産地名統制ワイン)に指定されていますが、その産地の近くにはムルト=エ=モゼル県の県庁所在地があります。ナンシー(Nancy)です。ドイツ語では「Nanzig」になります。人口10万人程度の都市ですが、かつてはロレーヌ公国の首都でした。

     

    ロレーヌ公国はフランス語で「Duché de Lorraine」、ドイツ語ではロートリンゲン公国で「Herzogtum Lothringen」になります。
    フランスからルクセンブルクやドイツにまたがる地域の国でした。
    フランス語とドイツ語が並列されるのは、ロレーヌ地方を巡る争いの舞台だったことが原因です。神聖ローマ帝国とフランス王国の狭間に位置することから、歴史的に大国二つの影響を大きく受けてきました。
    1218年のシャンパーニュ伯継承戦争ではテオバルト1世に支配され、神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世によってナンシーは徹底的に破壊されました。その後の再建により、新しい城が拡張され、新たな町となりました。1477年にはブルゴーニュ戦争でナンシーの戦いが起こりました。
    18世紀にはロレーヌ公国がフランス王国に併合され、ナンシーは州都になりました。

     

    フランス革命がおき、その最中の1790年にはナンシー事件が起こりました。
    そして1871年には普仏戦争後のフランクフルト条約によってドイツに併合されました。しかし、ナンシーはフランス領に留まったことで、ドイツ領に反対する人々がナンシーに大多数移住してきたこともありました。
    ただロレーヌは北部とアルザスがドイツ帝国に吸収された状態であり、第一次世界大戦が終結するまでアルザス=ロレーヌはドイツの一部だったわけです。そこで、アメリカが支援したことで、アルザス=ロレーヌ共和国の独立が宣言されました。
    しかし、これはフランスが即占領し、自国へと吸収してしまいました。このときにフランス政府はドイツ語を禁止し、フランス語を使用するような方針としました。
    さらに1940年になると、またドイツの第三帝国により占領されてしまいました。ここでフランス語は禁止されました。さらにドイツの学校での教育が義務付けられたのでした。
    1944年になって再びフランスに戻りました。

     

    このような経緯のため、現在でもドイツ語訛りの方言が生き残っているそうです。
    フランス語の中の特殊な方言で、ロレーヌ・フランコニア語といわれています。

     

    現在のナンシーはアールヌーボーの街として知られています。
    街中には、いたるところにこの様式の建物があり、中でもナンシー商工会議所の玄関はその代表作といわれています。ナンシー美術館には、ガレやドーム兄弟のアントナン・ドームなど、ナンシー派の作品が所蔵されています。

     

     

  • イタリア語入門(panoramica)

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    フランス語に続き、今回はイタリア語入門について勝手に語ります。

     

     

    ワイン生産量の国別ランキングでフランスを抑えてトップに君臨するのがイタリアです。
    そのイタリアで話される言語がイタリア語になります。
    しかし、もともとイタリア半島で使われていた言語はラテン語でした。そのラテン語も古代イタリア人の一派だったラテン人が、古代ローマによるイタリア統一があったからでした。古代ローマだけでなく、イタリア半島周辺の公用語がラテン語となり、やがてローマの拡大とともに広がっていきました。
    ローマ帝国となってからは、支配する地中海沿岸部だけでなく、様々な地域でラテン語が広がっていきました。

     

    しかし、ローマ帝国が東西に分裂し、版図内の各地ではローマとの直接的な結びつきに変化が生じ、民衆ラテン語の方言化を招くことになりました。イタリア半島ですらイタリア方言化したほどでした。その結果、方言の独自化が進み、いつの間にか、他地域の民衆ラテン語とは異なる言語にまで変化し、これが古イタリア語となりました。
    この変化がどのような変遷を辿ったかは分かっていませんが、10世紀頃には民衆ラテン語とは別の古イタリア語が成立していたようです。

     

    では、現在のイタリア語の基盤となったのは、いつごろなのでしょうか?
    ダンテ・アリギエーリ(Dante Alighieri)の影響があったといわれます。彼は当時、都市国家だったフィレンツェ出身の詩人であり、哲学者であり、政治家だった人物です。フィレンツェはトスカーナ地方にあり、トスカーナ方言の言語でしたが、これにナポリ語やシチリア語の語彙を取り入れた言葉で文学作品を執筆しました。これが現在のイタリア語の中核をなしました。
    共通語・標準語を求める動きに対して、このダンテの事績をもとにしたのでした。
    ただこれも反対がありました。トスカーナ方言が標準語になるのに反対する人たちは、トスカーナ方言だけでなく、ガロ・イタリア語、ヴェネト語、ナポリ語、シチリア語、サルデーニャ語などを平等に配分することを主張していました。

     

    最終的に標準イタリア語がダンテのトスカーナ方言を中心とするものとなりましたが、当初は上流階級の言語という扱いでした。そのため、一般民衆は相変わらず方言を話していました。
    そのような状況の中で、フランスが方言を廃止する政策を取り、イタリア政府も国民意識の向上政策として、フランスを見習うことにしました。これで方言の廃止と標準語の浸透が国家政策となりました。
    この言語の統一が民族主義とも結びつくことになり、イタリアの統一から世界大戦へと繋がることにもなりました。その一方で、イタリア国民は標準イタリア語を誰でも理解できるようになり、統一国家としては行政面をはじめ、あらゆる面での利便性もあることになっています。

     

    では、日本人がイタリア語を学ぶとしたら、どうでしょうか?
    発音については、子音と母音が一対一の場合はローマ字読みに近くなります。と、いうよりも、そもそもローマ字なので、ローマはイタリアで、その母音の表記に倣っているわけですから、当たり前の話です。
    一般的にイタリア語は英語などと違って、発音が規則的といわれます。同じ綴りなのに発音が違うというイレギュラーが少ないといわれます。
    ただ母音は7種類なので、単純にローマ字と同じではありませんので、念のため。

     

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