今日もワインを飲んでます そして思いついたことを書きつづる

  • メドラロイト(Mödlareuth)

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    今回はメドラロイト(Mödlareuth)について勝手に語ります。

     

     

    メドラロイト(Mödlareuth)といっても、日本人で分かる人はほとんどいないでしょうが、東西冷戦時代にドイツに滞在していた人間には、「リトル・ベルリン」として記憶している人もいるでしょう。
    ドイツ南部の小さな村でありながら、中央部分が壁によって、東西ドイツに分断されていたのです。ベルリンの壁と同じ状況ですが、小さな村だけあって、村の東側の東ドイツ(DDR)に23人、西側の西ドイツ(BRD)に27人と分かれていました。分断していたのはベルリンの壁と同じコンクリート壁で、1966年に東ドイツが設置しました。その壁の全長は700メートルに及んでいました。

     

    なぜ、このようになったかといえば、第二次大戦後、西側をイギリス、フランス、アメリカの3カ国、東側をソ連が、ドイツを分割して占領していました。その境界として現在のバイエルン州を西側に、現在のテューリンゲン州の北部を東側としたのです。そのために両地区を隔てる壁が建設され、分断されたわけです。
    メドラロイトは州の境界上にあるとはいえ、別々の州だったわけなので、ベルリンとは事情が違うではないか、と思うかもしれません。しかし、州が分かれていても1つのコミュニティーだったのです。そのため、学校や消防署は共有していましたし、祝日もともに祝うのが当然の場所でした。
    異なるのは行政上の部分で、州が違い、電話の市外局番も異なりました。でも、おもしろいのは、あいさつの言葉です。現代ドイツ語ではフォーマルな場を除くとあまり使われませんが、定番の「Guten Tag」(こんにちは)を使うのはチューリンゲン州側、つまり東ドイツです。一方、バイエルン州側、つまり西ドイツは「Grüß Gott」といいます。ウィーンをはじめ、オーストリアでよく使われるあいさつの言葉です。これは「神があなたに挨拶しますように」といった意味合いで、時間に関係なく南ドイツからオーストリアではよく使われます。

     

    同一コミュニティーでありながら、言語も微妙に異なるというのは、古くから境界線にある村だったからともいえます。ナポレオン戦争時代、現在のバイエルン州のバイエルン王国と、北部のロイス・ゲーラ侯国(その後、テューリンゲンに含まれます)の国境が、メドラロイトの村内を流れる川になったのでした。その川はタンバッハ川で、国境をイメージするような規模の川ではなく、かなり小さな川だったため、住民にとっては、その後140年の間、国境は大きな意味を持ちませんでした。村の規模も小さく、学校が一つ、食堂が一つの、本当に小さな集落だったのです。

     

    東西ドイツの再統一前だった1983年、アメリカの当時の副大統領だったジョージ・H・W・ブッシュがこの村を訪問しています。このときに有名な逸話が残っています。
    ブッシュはドイツ語で「Ich bin ein Mödlareuther!」と挨拶したのです。どこかで似たような言葉があります。ジョン・F・ケネディです。ベルリンに訪問した際に行った演説で、「Ich bin ein Berliner.」と言っていたのです。
    つまり、ケネディがベルリンで、私はベルリン市民だ、とドイツ語で言ったのを、リトル・ベルリンでブッシュが、私はメドラロイトの村民だ、と言ってもじったのでした。

     

    ちなみにメドラロイトの壁は、ベルリンの壁崩壊から7ヶ月後に取り壊されました。現在残る壁の一部は、記録的な目的のためにあるだけです。

     

  • キリストの血入門 19

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    ワインが「キリストの血」であることから、キリスト教について勝手に語っていく第19回です。今回もワイン屋の店長が宗教学者になって語りますので、誤りがあっても許してください。

     

     

    前回はイスラム勢力の台頭後の東西教会についてでした。今回は少し時間を遡りつつ、修道院についてです。

     

    修道院は、修道士による修道生活、要するに共同生活を行う施設です。キリスト教の祈りや労働を行います。
    修道制度としては、古代に始まったものです。最初は洞窟や砂漠で1人で修行しました。隠者の生活といえるもので、この始祖は聖アントニウスだという伝承もあります。
    ただし、このような修道生活というのは、他人と最低限の接触しか持たないことで、多くの困難がありました。そこで、修道士たちが集まり、集団生活を行う制度として誕生したのが修道制度の起源といわれています。
    その一方で、ローマ帝国によるキリスト教迫害時代が終わると、虐げられて状況が解放された反動もあり、迫害時代のように、あるいはより禁欲的な生活を求める人々も現れました。やはり砂漠や人里はなれた場所での求道的な生活を行いました。このような流れも修道者として確立されていきました。

     

    修道院には、男子修道院と女子修道院とに分かれます。修道士と修道女です。どちらも一生独身で、結婚することはありません。
    修道院はすべての教派にあるわけではありません。あるのは、カトリック教会、東方諸教会、正教会、聖公会、ルーテル教会などです。この中でルーテル教会を完全なプロテスタントで、この例外を除けば、基本的にプロテスタントに修道院はありません。
    また、ローマ帝国の東西分裂も関係して、修道制度も東西で異なった展開となりました。
    特に東方では、前回にも述べた(キリストの血入門18)でも触れた聖像破壊運動に対する聖像擁護などのように、民衆の代弁者という機能もありました。

     

    カトリック教会の場合、修道会の制度というのがあります。
    中世の修道院運動の中から多くの修道院が誕生しました。しか修道院の創立者の霊性を保持することで、ある種の権威を保ちつつ、独自の会則や組織化を進めていきました。従って創立者のカリスマ性とそれぞれの使命により、それぞれの活動を行うようになりました。
    あくまで修道会は修道生活が中心ということもあり、祈祷が重視されていました。これが宣教を目的としていったのが近世のイエズス会でした。
    また、17世紀以降になると、領主から独立した社会福祉団体により、地元の司教のもとで女子修道会が誕生しました。代表的なのがサレジオ会でした。
    観想修道会の場合は、修道士は修道院の敷地内を出ない生活でした。自分の意思で修道院から出られませんでした。この代表的なものとしてはトラピスト会が挙げられます。

     

    ブルゴーニュのワインに関連するシトー会も修道院で、ベネディクト会から派生しました。
    ベネディクト会は、西ヨーロッパ的修道制度を代表するもので、ベネディクトゥスが創始しました。ここでの修道制度は、同一グループに属するすべての修道者たちが会憲・会則という形で同じ精神を共有するのが特徴でした。
    女子修道院は、ベネディクト会を見習い、同じ精神と生活スタイルを持った女性たちの集まりとなりました。
    また、ベネディクト会は、従来の祈祷中心の信仰生活だけでなく、労働を重視しました。土地の開墾、農業技術、ワインの醸造技術など、彼らが発展させたともいえます。

     

    修道院はまた、病院のルーツでもありました。ホスピス(hospice)の役目を担うこともありました。余命いくばくもない人が最後の時間を心やすく過ごすための施設です。
    巡礼者の宿泊施設という側面もありました。

     

  • サンタカタリーナ州(Estado de Santa Catarina)

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    今回はサンタカタリーナ州(Estado de Santa Catarina)について勝手に語ります。

     

     

    ブラジルといえば、南米最大の面積を誇る国であり、南米大陸で初めてのオリンピックを開催した国です。飲料でいえば、やはりコーヒーの産地として知られています。
    そんなブラジルですが、ワインも生産されています。生産地は南部に集中していて、ワイン産地としては6つになります。以前に取り上げたのは、リオ・グランデ・ド・スル州でした。

     

    リオグランデ・ド・スル州

     

    今回はサンタ・カタリーナ州(Estado de Santa Catarina)です。
    「情熱の国のワイン」と謳われているブラジルのワインは、イメージ通り、パワフルな感じのする味わいといえるかもしれません。その一方で、少し優雅な感じのする味わいのワインや、長期熟成したワインなども評価されています。

     

    実はこのサンタカタリーナ州は、ビールでも知られています。
    ドイツではおなじみのオクトーバフェストが行われる都市があるのです。それがブルメナウ(Blumenau)です。

     

     

    これには理由があって、ドイツ移民による町だからなのです。1850年9月2日に、ヘルマン・ブルーノ・オットー・ブルーメナウ博士と17人のドイツ人移民がこの町をつくりました。
    現在でもドイツ系移民の子孫が中心となっていますが、その子孫だけでなく、第二次世界大戦の前、さらに第二次大戦の敗戦後、それぞれ移民がやってきました。
    有名な話では、ナチスの戦犯容疑者などの移民です。そのため、ナチス関連の小説や映画などには、よく登場する場所となっています。特にナチスのマルティン・ボルマンの逃亡先だと噂されたことが原因になっています。
    ブラジルには珍しく、現在でも人口の90%以上がゲルマン系住民になっています。
    街並みも当然ながらドイツ風です。そしてドイツ系のビールが製造され、さらにドイツ風のワインも醸造されています。

     

    サンタカタリーナ州の大西洋岸は、夏のリゾート地が多くあります。ブラジル屈指の海水浴場が連続してあります。観光客の数も多い地域です。

     

  • 【動画】プレゼントに生まれ年・記念年のワインを

    ギフトワイン専門ショップcielet Vin シエル・エ・ヴァンです。
    フランス産ワインを中心に、ヴィンテージワインを取り揃えております。

     

    今回、新しい動画完成しました。

     

  • ノヴィ・パザル(Novi Pazar)

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    今回はノヴィ・パザル(Novi Pazar)について勝手に語ります。

     

     

    ノヴィ(Novi)が「新しい」で、パザル(Pazar)が「市場(バザール)」という意味なので、「新市場」が都市名となっているノヴィ・パザル(Novi Pazar)は、セルビア南西部にある都市です。トルコ語名はイェニ・パザール(Yeni Pazar)で、「Pazar」はトルコ語由来です。また、セルビア国内ではボシュニャク人の文化的な中心地となっています。

     

    セルビアの北部、ベオグラード以北はオーストリア・ハンガリー帝国の支配下にありましたが、セルビア南部はオスマン帝国の支配下にあったことで、同じ国ながら雰囲気が全く異なるといえます。特にノヴィ・パザルは、オリエンタルな雰囲気が漂い、東洋と西洋が交差しています。
    そのため、イスラム教の影響が大きくあり、街にはモスク、女性はベールに身を包んだ姿が見られます。それでいてイスラムの雰囲気だけでなく、ヨーロッパの雰囲気もあり、この異種の融合は独特なものといえるでしょう。

     

    街のシンボルはセビリでしょう。オスマン帝国時代の、いわゆる水飲み場のことですが、砂漠から生まれたイスラム教らしい文化遺産です。今では本家のトルコでも現役なものは少ないですが、セルビアだけでなくバルカン半島では現役のまま残されていて、ノヴィ・パザルのセビリもメインストリートの11月28日通りにあります。この周辺はオスマン帝国の建築物が多く、平屋建てで、石屋根が特徴です。その先はヨーロッパ的な街並みになります。
    一方でキリスト教関連でいうと、13世紀後半に建てられた修道院もあります。これはステファン・ウロシュ1世が寄進したもので、セルビア正教会のソポチャニ修道院です。世界遺産にも登録されています。他にも聖ペトル聖堂、ジュルジェヴィ・ストゥポヴィ修道院などがあります。
    モスクではアルトゥン・アレムモスクがバルカン半島最大規模で、16世紀に建てられています。

     

     

    ここへの生き方ですが、ベオグラードとノヴィ・パザルには直行バスがあります。本数は1日10本ほどだそうです。ただセルビア南部は道路の整備情愛は必ずしも良いわけではありません。山間部の道路は狭く、バスでの移動は想像するより時間を要するようです。
    ただ観光地化されておらず、トルコよりオスマン帝国の雰囲気を残しつつ、ヨーロッパの都市であるという、この特殊さこそが魅力と言えます。

     

  • ブレスト(Брэст)

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    今回はブレスト(Брэст)について勝手に語ります。

     

     

    現在、何かとニュースを賑わせているベラルーシですが、このブログでは過去に以下のような話題で投稿しています。

     

    アルコール消費量1位の国
    ヨーロッパ最後の独裁国家

     

    ヨーロッパの独裁国家であり、強権統治を続けてきたことに対し、ミンスクの独立広場には、反体制派を示す紅白旗を掲げたデモ参加者が集結しました。
    そんなベラルーシの西部の都市で、ポーランドとの国境近くに位置するブレストは、かつてリトアニア大公国の都市でした。その当時は、ブレスト=リトフスク(Brest-Litovsk)(リトアニアのブレスト)とも呼ばれていました。そして、この都市の中央駅は、ベルリンとモスクワを結ぶ鉄道で、レールのゲージの変換点です。レールは欧州規格とロシア規格が異なり、ロシア規格は広軌で、欧州規格は日本の新幹線と同じ標準軌です。

     

    現在はベラルーシの都市ですが、最初に文献に登場したのはスラヴ人の都市としてでした。その後、キエフ大公国に関連する小国の一部だったり、モンゴル軍やリトアニア人などに占領されました。そして1569年にポーランド・リトアニア共和国の一部となり、その後にウクライナ東方カトリック教会が誕生した場所になりました。
    ロシア帝国に支配されるようになったのは1795年からで、第一次世界大戦中にはドイツ帝国に占領され、その後の1919年には、ポーランドの領土となりました。
    第二次世界大戦では、ナチス・ドイツがポーランドに侵攻したことで、ブレストは激しい戦闘を繰り広げることになりました。この戦闘は4日間続きましたが、結局ポーランド軍は敗れました。
    さらに独ソ不可侵条約により、ブレストはソ連に併合されました。しかし、すぐにドイツのソ連の侵攻があり、ブレストはまたドイツ軍の攻撃を受けてしまいました。このときの抵抗は激しく、約1ヶ月続きました。それでも最終的にドイツ軍が占領し、ナチスはブレストのユダヤ人の虐殺をしました。
    ソ連による奪還は1944年でした。

     

    ポーランドに隣接していることから、支配者の交代が激しく、劇的な運命に弄ばれたブレストですが、1945年のヤルタ協定により、ソ連領であることが確定され、ソ連崩後は、独立したベラルーシに領となっています。
    ポーランド、ロシア~ソ連、そしてドイツに翻弄された都市で、現在の人口は約33万人です。シェンゲン協定に加盟していないため、すぐ隣のポーランドに行くにも、税関・パスポートコントロールの手続きが必要です。かつてのソ連衛星国だったポーランドが西側に近づき、ベラルーシはソ連の面影を残しつつ、独裁国家として独立したことで、この二つの国の対比が顕著にわかる都市といえそうです。

     

     

  • ファールス(Vaals)

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    今回はファールス(Vaals)について勝手に語ります。

     

     

    三国点の迷路(Labyrint Drielandenpunt)でお馴染みのファールス(Vaals)はオランダの南東端に位置しています。
    ベルギーとドイツに接している国境の町で、実際の国境は中心部からわずかに数百メートル離れた場所にあり、そこはファールス山(Vaalserberg)です。実はこの山はオランダ本土では最も標高の高い山です。といっても、わずか海抜322.5メートルなので、丘のようなものです。ここに三国国境点(Drielandenpunt)があり、ウィルヘルミーナ展望台や公園があります。この公園内に迷路もあります。

     

    このような国境というと、1816年から1919年までの期間のモレネ中立地帯が有名です。これは、ナポレオン戦争の終結後のことでした。
    モレネ中立地帯は面積約3.4平方キロメートルで、細長くなっていました。中立地帯となったのは、菱亜鉛鉱の主要な産地をめぐるドイツ、オランダの争いによります。そのためにどの国にも属さない中立地帯が設定され、自治権も認められました。人口も当初は256人だけでしたが、5000人近くまで増えていきましあ。しかし、それも第一次世界大戦によって終焉を迎えました。

     

    ファールスはオランダの町ですが、ドイツ人の居住者割合が約26%もいます。
    観光客もドイツのアーヘン(Aachen)から立ち寄る人が多いようです。

     

     

    コロナ禍で海外旅行に行けない今年は、こんな場所でも調べてみるのも良いかもしれません。

  • 失われたカルメネールの再発見

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    今回はチリの英語サイト「ロッジカーサチュエカ」の中から「カルメネール」についてご紹介したいと思います。英語だけでなくドイツ語ページもありましたので、翻訳はそこから行うことにしました。勝手に翻訳して語りますが、専門の翻訳家ではないので、間違いがありましてもご容赦ください。

     

     

    In Chile wurde die längst verloren geglaubte Rebsorte Carmenère wieder entdeckt.

    チリで、長い間失われていたブドウ品種「カルメネール」が再発見されました。

     

    Im chilenischen Zentraltal herrscht ein gemäßigtes, mediterranes Klima mit sehr warmen, trockenen Sommern. Tagsüber klettert das Thermometer bis auf 32 Grad Celsius, während nachts die Nähe zu den Anden immer für Abkühlung sorgt. Die Böden haben sehr unterschiedliche Eigenschaften und werden mit mineralreichem Schmelzwasser aus den Anden bewässert – ideale Bedingungen für gesundes Rebwachstum. Die starke Erosion durch die Andenschmelze und die natürliche Begrenzung Mittelchiles durch die Berge und das Meer verhindern Infektionen und Insektenbefall der Reben, vor allem das Eindringen der Reblaus, einer Vertreterin der Phylloxeriden. Im 19. Jahrhundert zerstörte die Reblaus andernorts fast den gesamten Rebenanbau, zunächst in Europa, dann in Übersee, indem sie sich in den Wurzeln der Weinstöcke festfraß und diese zersetzte. Heute müssen daher in allen wichtigen Weinanbaugebieten der Alten Welt, Nordamerikas und Australien Weinstöcke „gepfropft“, d.h. auf reblausresistente Wurzeln aufgepflanzt werden. Nur in Chile gedeihen Trauben noch auf wurzelechten Reben. Chile ist außerdem das einzige Land, in welchem heute Carmenère-Trauben angebaut werden. Bis vor einigen Jahren wurde die Carmenère-Rebe mit der verwandten Merlot-Rebe gleichgesetzt.

    チリの中央谷は、穏やかな地中海性気候で、夏は非常に暖かく、乾燥しています。日中は温度計が32℃まで上昇しますが、夜はアンデス山脈に近いため気温が一気に落ちます。土壌の特徴は非常に特徴的で、アンデス山脈からのミネラル豊富な雪解け水を灌漑しています。ブドウの成長には理想的です。アンデスの雪解け水による強い浸食と、山と海によるチリ中央部の自然が境界線となっていて、ブドウの木の感染や害虫の侵入を防ぎ、特にフィロキセラの侵入を防ぐことができます。19世紀、フィロキセラはヨーロッパを皮切りに世界へと、ブドウの木の根に食い込んで腐敗させていきました。ほとんどのブドウ栽培を壊滅状態にしました。そのため、今日では、旧世界、北米、オーストラリアの主要なワイン生産地では、ブドウの木は「接ぎ木」、つまりフィロキセラに耐性のあるものを植えるようになりました。チリだけが、今でも根に強いブドウの木で繁栄しています。また、現在カルメネール種のブドウが栽培されているのはチリだけです。数年前までは、カルメネールの木は、関連するメルローの木と同じものと思われていました。

     

    Im 19. Jahrhundert von Bordeaux nach Chile gekommen, entfaltete die Carmenère sich hier prächtig, während die Reblaus sie in Europa ausrottete. Heute bemühen Önologen in Chile sich darum, aus dem Carmenère einen ganz besonderen, unverwechselbar „chilenischen“ Wein zu machen. Chile hat eine weitaus geringere Weinanbaufläche als das Nachbarland Argentinien, erzeugt aber sehr guten, international anerkannten Wein. Auf den Rebflächen um die Hauptstadt Santiago und in den verschiedenen Flusstälern der Anden (siehe Weinregionen) werden heute größtenteils europäische Edelreben für Exportweine und gute bis sehr gute Inlandsweine angebaut. Nur für sehr einfache Tischweine wird noch die traditionelle País-Traube verwendet. Cabernet Sauvignon, Merlot und Carmenère sind die wichtigsten roten Reben, Sauvignon Blanc und Chardonnay die herausragenden Weißweintrauben. Das wichtigste Weinanbaugebiet Chiles ist das Flusstal Valle de Maipo nahe der Hauptstadt Santiago. Vor allem die Cabernet-Weine erregen internationale Aufmerksamkeit, und der berühmteste unter ihnen, Don Melchor vom Weinproduzenten Concha y Toro, schafft es regelmäßig auf Spitzenplätze bei internationalen Wettbewerben. Die chilenischen Rotweine verfügen über eine sehr fruchtige, aber auch würzige Note und enthalten zumeist einen eher geringen Tannin-Anteil. Die Weißweine sind frisch, fruchtig und zeichnen sich durch ihre außergewöhnliche Fülle aus.

    カルメネールは19世紀にボルドーからチリに来ました。ヨーロッパでは、フィロキセラを見事に駆逐していました。今日、チリのワイン醸造家たちは、カルメネールを特別な、紛れもなく「チリの」ワインにしようとしています。チリは隣国のアルゼンチンよりもブドウ栽培面積が小さいものの、国際的に認められた非常に良いワインを生産しています。首都サンティアゴ周辺やアンデスの様々な川の谷間にあるブドウ畑(略)では、ほとんどがヨーロッパ産の高貴なブドウの木です。輸出用のワインだけでなく、良質な国産ワインのために栽培されています。テーブルワインにのみ、伝統的なパイス地方のブドウが使用されています。カベルネ・ソーヴィニヨン、メルロー、カルメネールは赤ブドウ、ソーヴィニヨン・ブラン、シャルドネは卓越した白ワイン用ブドウです。チリで最も重要なワイン生産地は、首都サンティアゴの近くにあるヴァレ・デ・マイポ川の谷です。特にカベルネワインは国際的な注目を集めており、その中でも特に有名なのが、ワイン生産者コンチャ・イ・トロのドン・メルチョールで、定期的に国際的なコンクールで上位入賞を果たしています。チリの赤ワインは、非常にフルーティーでありながらもスパイシーな香りがあり、ほとんどの場合、タンニンの含有量はかなり低低めです。フレッシュでフルーティーな白ワインは、並外れたコクが特徴です。

     

    見出しが気になって中身を読むと、肩透かしとなる内容です。
    再発見の経緯や、どのような人々がカルメネールの醸造をしようとしているのか、その方法は、など、知りたいことはたくさんあります。
    新たな内容に更新されるのを期待したいところです。

     

  • 困難な2020年(Das schwierige Jahr 2020)

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    今回はオーストリアのwebeサイト「Der Winzer」から、「Das schwierige Jahr 2020(困難な2020年)」という記事を引用させて頂き、勝手に語ろうと思います。専門の翻訳家ではないので、間違いがありましてもご容赦ください。

     

     

    2020 wird für die Weltweinwirtschaft nicht nur wegen der Corona-Krise ein denkwürdiges Jahr.

    2020年はコロナの危機だけでなく、世界のワイン業界にとっても忘れがたい年になるでしょう。

     

    見出しから衝撃的な内容になっています。コロナだけでなく、欧州のワイン産業がどれだけ悲劇的な年となったのか、やはり気になります。

     

    Schon am Beginn gab es dramatische Entwicklungen. Zuerst die riesigen Buschbrände in Australien, die auch den dortigen Weinbau in Mitleidenschaft gezogen haben. Dann die leidige „Trump’sche“ Sondersteuer für bestimmte europäische Weine beim Export in die USA: Strafzölle in der Höhe von 25% für einige europäische Weinländer, in denen der Luftfahrtkonzern Airbus tätig ist. Vielleicht hat bei diesen Handelskriegen eine Rolle gespielt, dass der kalifornische Weinbau massive Traubenüberschüsse zu verzeichnen hat. Nicht zu vergessen sind die bisherigen und vor allem kommenden Auswirkungen des Brexits, also des Austritts Großbritanniens aus der Europäischen Union und damit aus dem Binnenmarkt.

    まず、今年最初から劇的な展開がありました。オーストラリアで起きた大規模な森林火災は、その地域のブドウ栽培にも影響を与えました。次に、アメリカへの輸出に際して、特定のヨーロッパのワインに対する面倒な “トランプ “特別税です。これは、航空会社エアバスが運航しているヨーロッパの地域のワインについて、25%という懲罰的な関税です。おそらくこれは、カリフォルニアのワイン業界で、ブドウが大量に余っているという事実により、これらの貿易戦争に大きく影響しているのでしょう。ここで忘れてはならないのは、イギリスのEU離脱、つまり国内市場からの撤退などで、EU離脱の以前の影響、特に将来への影響です。

     

    Schon zu Beginn des Jahres zeichneten sich die ersten Vorboten der Corona-Krise in Asien mit der Absage einiger Weinmessen ab, bis dann Ende Februar bzw. Anfang März die Krise, verursacht durch das COVID-19-Virus, auf Europa und auf die ganze Welt hereingebrochen ist und sich in kurzer Zeit zur Pandemie ausgewachsen hat. Zumindest in Europa konnte die erste Infektionswelle mit rigorosen Maßnahmen eingedämmt werden. Derzeit beobachtet man in allen Ländern sehr genau die weitere Entwicklung in Bezug auf den drohenden Ausbruch einer zweiten Welle, jetzt oder im Herbst.

    今年の初め、アジアでのコロナ危機の最初の兆候は、いくつかのワインフェアが中止されたことで現れ始めましたが、2月末から3月初旬には、コロナウイルスによる危機がヨーロッパや世界中へと広がり、あっという間にパンデミックに発展しました。少なくともヨーロッパでは、第一波の感染は厳格な対策によって食い止められました。現在、すべての国が第二の波の脅威に関連して、現在または秋にさらなる進展を注意深く監視しています。

     

    Deutlicher Konsumrückgang in Europa

    欧州での消費の大幅な減少

     

    Die wirtschaftlichen Auswirkungen des fast dreimona-tigen Lockdown sind jedenfalls enorm. Nachwirkungen werden noch über Jahre hin bemerkbar sein. Das gilt für die gesamte europäische Wirtschaft, natürlich auch für die Weinwirtschaft. Mit 183 Mio. Hektolitern Wein hatte Europa ähnlich wie Österreich im Jahr 2018 eine sehr große Weinernte, die die Weinbestände anwachsen ließ. Die Ernte 2019 war mit 157 Mio. Hektoliter eine durchschnittliche Ernte, ebenfalls ähnlich wie in Österreich. Aufgrund des Konsumausfalles während des Lockdown wäre davon auszugehen, dass auch heuer wieder am Ende des Wirtschaftsjahres die Bestände weiter ansteigen. Hochgerechnet auf das ganze Wirtschaftsjahr geht man in Europa von einem Konsumrückgang von 7% im heurigen Jahr aus.

    いずれにしても、約3ヶ月に及ぶロックダウンの経済効果は計り知れません。余波はこの先何年にもわたって感じられるでしょう。これは、もちろんワイン業界だけでなく、欧州経済全体に当てはまります。1億8,300万ヘクトリットルのワインを取り揃えたヨーロッパは、オーストリアと同様に、2018年に非常に多くの収穫があり、ワインの在庫が増えていました。2019年の収穫は平均的な収穫で、1億5700万ヘクトリットルでした。オーストリアも同じような平均的収穫量でした。ロックダウン中の消費がなくなったことで、年度末の在庫は増えていることが想定されます。事業年度全体に外挿してみると、今年度の欧州の消費は7%の減少を見込んでいます。

     

    >Destillation, Grünlese, Lagerhaltung 

    蒸留、グリーンハーベスト、貯蔵

     

    Aufgrund von massiven Interventionsmaßnahmen in den Hauptweinbauländern, vor allem in Richtung Destillation, wird sich der Endbestand im heurigen Wirtschaftsjahr (Ende Juli) auf dem Niveau des Vorjahres einpendeln. Wobei eben das Vorjahresniveau aufgrund der großen Weinernte 2018 ohnehin relativ hoch liegt (177 Mio. Hektoliter). Um dieses Vorjahresniveau zu erreichen, werden in Frankreich 1,9 Mio. Hektoliter destilliert, und noch einmal 2 Mio. Hektoliter auf Lager gelegt. In Spanien werden 2 Mio. Hektoliter destilliert, in Italien ebenfalls 1,7 Mio. Hektoliter und im Hinblick auf die heurige Weinernte wird eine größere Menge Weingärten „grün gelesen“, das heißt, der gesamte Ertrag eines Weingartens wird im unreifen Zustand auf den Boden geschnitten. Ähnlich verhält es sich auch mit dem Außenhandel. Sowohl die Einfuhren in die EU als auch die Ausfuhren aus der EU sind massiv zurückgegangen.

    ここでの冒頭の文書で「vor allem in Richtung Destillation」が何を意味するか最初は全くわかりませんでした。素直に訳せば「特に蒸留の方向に」となります。ワインを蒸留させ、別の飲料や製品とする方向のようでした。そのつもりで、素直なこの訳を日本語の文章にいれてみます。

     

    主要ワイン生産国、特に蒸留の方向で大規模な介入策を講じた結果、今年度(7月末)の最終的な在庫レベルは昨年と同レベルとなります。しかし、2018年のワインの大収穫により、いずれにしても前年の水準は比較的に高い(1億7700万ヘクトリットル)ものでした。この前年の水準に到達するために、フランスでは190万ヘクトリットルの蒸留が行われ、さらに200万ヘクトリットルが貯蔵されています。スペインでは200万ヘクトリットル、イタリアでも170万ヘクトリットルの蒸留が行われており、今年のワインの収穫を考慮して、より多くのブドウ畑が「グリーンハーベスト」、つまりブドウ畑の全収穫量を未熟な状態で地面に切り倒すことが行われています。対外貿易でも状況は似ています。EUへの輸入、EUからの輸出ともに大幅に減少しています。

     

    Die Suche nach Traubenabnehmern

    ブドウの買取業者を探す

     

    Auch in Österreich sollen rund 100.000 Hektoliter Wein destilliert werden. Über Sensale werden Weine des Jahrganges 2018 und älter durch den Genossenschaftsweinkeller in Wolkersdorf gesammelt und bei der Agrana in Pischelsdorf destilliert. Der daraus erzeugte Industriealkohol wird vorzugsweise zu Desinfektionsmittel verarbeitet. Im Hinblick auf die kommende Weinernte ist daher jedem Traubenproduzenten zu empfehlen, sich frühzeitig um Abnehmer seiner Trauben zu kümmern.

    また、オーストリアでは約10万ヘクトリットルのワインが蒸留される予定です。2018年の以降のヴィンテージ・ワインは、ヴォルカースドルフ協同組合のワインセラーに集め、ピッシェルスドルフのアグラナで蒸留しています。これにより蒸留で製造される工業用アルコールは、アルコール消毒剤に加工されます。したがって、すべてのブドウ生産者は、こ来るべきブドウの収穫を視野に入れ、早い段階で栽培されるブドウの買い手を探し始めることをお勧めします。

     

    ワイン消費が減少し、余剰ワインをウイルス対策用の消毒剤の原料になっているわけです。このヨーロッパの事実をご存じでしたでしょうか?
    メジャーなニュースで報道されているわけではないので、ほとんどの人が知らなかったと思います。ワイン屋の店長としては、実に複雑な現実です。

  • アメリカ大陸最南端のワイン

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    今回はパタゴニア(Patagonia )について勝手に語ります。

     

     

    アメリカ大陸最南端のワインはパタゴニア(Patagonia)のブドウ畑で栽培されています。
    南アメリカ大陸の南緯40度付近を流れるコロラド川以南の地域のことです。そのため、アルゼンチンとチリにまたがりますが、最南端のワインはアルゼンチン側にあります。
    アルゼンチンのリオ・ネグロ州やネウケン州は果樹の産地です。南半球なので、北部の地域よりもかなり冷涼な気候です。そのためブドウの生育期間はワインベルトの北限と同じように生育期は長いといえます。
    この地域に20世紀初頭、フランスのボルドーからブドウの挿し木が輸入され、ブドウ畑となり、パタゴニアでは初めての本格的な商業用ワイナリーが設立されました。
    ブドウ畑は拡大され、21世紀になるとパタゴニア全体の3,800ヘクタールにまでブドウ栽培面積が増えました。

     

    生産されているブドウ品種は、シャルドネ、ピノ・ノワール、マルベック、セミヨン、トロンテス・リオハーノなどのです。冷涼な気候に適した品種で、アメリカ大陸最南端のブドウ畑から良質なワインがつくられています。

     

    パタゴニアでアルゼンチン側にブドウ畑があるのに対して、チリ側では大規模なフィヨルドが広がっています。氷河期時代のものです。氷河の数は大小50以上あるといわれ、規模としては、南極、グリーンランドに次ぐ量だといわれています。
    またパタゴニアは、冷涼なだけでなく、風が強いことでも知られています。そのため、イギリスの探検家・エリック・シプトンは「嵐の大地」と呼んだそうです。

     

    パタゴニアにはパタゴン(Patagon)という巨人族の伝説もあります。「パタゴンの住む土地」がパタゴニアの地名の由来です。
    この伝説は、最初に訪れたヨーロッパ人探検家たちに伝えられたものです。
    では、伝説の巨人族はどのくらい巨人だったかというと、身長は12~15フィート、つまり3.7メートルから4.6メートルもあったといいます。しかもこの伝説は、ヨーロッパでは250年間にも語り継がれていたようです。
    パタゴン族とは、1520年にマゼランが命名したもので、現在のパタゴニアに住んでいた先住民をそのように呼びました。「パタ」(Pata)はスペイン・ポルトガル語の「足」ですが、「ゴン」は何を意味するかは分かっていません。あるいは、イタリア語の複数形の「Patagoni」に由来してマゼランが名付けたという説もあるようです。
    16世紀から18世紀のヨーロッパでは、南北アメリカ大陸に地図に、パタゴニアを巨人国(regio gigantum)としていたものも多くあったといいます。
    ただこれも、後世になると、ヨーロッパ人航海者たちの悪ふざけや、単なる誇張、あるいは誤報だったといわれるようになりました。

     

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