プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
不定期連載のヨーロッパ(Europa)の基礎知識ですが、今回は第7回になります。
前回はヨーロッパの都市圏について語りました。今回は歴史に戻って、古代ローマを取り上げます。
ローマ帝国は地中海世界全域を支配し、世界をリードする覇権国家ですが、最初は都市国家でした。
あまり知られていませんが、正式な国号は「元老院ならびにローマ市民(Senatus Populus que Romanus)」でした。この国号は共和政が成立してからで、世界帝国となり、東西分裂し、滅亡するまで維持された名です。体制が変わっても変えられませんでした。
ローマの歴史は、都市国家から王政へと変わりました。王政ローマ(Regnum Romanum)は、ローマ最初期の政体になります。
建国伝説があります。
トロイア戦争で敗れたトロイア人のアイネイアースらは、ギリシアやカルタゴを転々とした後、イタリア半島のラティウムに上陸しました。ここで現地の王の娘を妻にし、ラウィニウムを築きました。アイネイアースの死去後、息子のアスカニオスが王位を継ぎました。しかし、その後、ラウィニウムを去り、アルバ・ロンガと名付けた新しい街を建設しました。
時代が経過し、王の二人の息子による権力闘争があり、敗れた兄の娘が巫女となりました。シルウィアです。ある日彼女が眠ったときに、ローマ神マールスが降りてきて彼女と交わいました。これでシルウィアは双子を産みました。これに怒った叔父の王は双子を川に流しました。双子は狼に、その後羊飼いに育てられ、ロームルスとレムスと名づけられました。成長し出生の秘密を知った兄弟は協力して大叔父を討ち、追放されていた祖父を王に復位するために協力しました。
兄弟は自分たちが育った丘に戻り、新たな都市を築こうとしました。しかしここでも兄弟の間でいさかいが起こり、レムスは殺されてしまいました。
この丘こそが、ローマだったという伝説です。
この伝説により、ローマの初代の王はロームルスとなります。即位は紀元前753年4月21日だとされています。
ただし、この頃は国家とはいえ、人口はわずかに数千人で。丘2つを巡る防塞を設けただけの小村だったようです。
やがて争いが起きました。近隣の部族との間で、娘たちの扱いについてが原因でした。隣のサビニ人の娘たちを祭りに招待したものの、その娘たちを抱きかかえて自宅に連れていき、そのまま帰さなかったことに怒ったサビニ人の攻撃があったのです。
しかし、娘たちはローマの男たちの妻となり、決して虐げられていないので、争いをやめて欲しいと懇願したのでした。
この懇願をサビニ人のタティウス王は受け入れ、和平を承諾しました。しかも、ロームルスは、サビニ人に、部族をあげてローマに移住するように提案したのでした。そのため、ローマによるサビニ人の併合ではなく、融合だったといえます。サビニ人はローマ人と同じ市民権が与えられ、タティウス王はロームルスと共同して統治にあたるおうになりました。
タティウス王はその後、長くは生きず、ローマの指揮はロームルスがとりました。
しかし、ロームルスが死去した際には、暗殺という噂が飛び交いました。そのため次の王になることは、疑惑を解消するという状況でもありました。
そんな疑心案義を払しょくするため、何の利害関係もない市外の人物から王を選ぶことにしたのでした。そこで選ばれたのが、サビニ人のヌマ・ポンピリウスでした。当然、ローマの非居住者ということで、断りましたが、結局は引き受けることになりました。
そしてヌマが王の時代には、戦争はなく、国内の改革を行っていきました。この改革は、ローマ暦の改革、農業推奨政策、職業別の組合の誕生、宗教改革など多岐にわたりました。
特に宗教改革は、サビニ人の信仰が基になったといわれています。
第3代の王になったのはトゥッルス・ホスティリウスでした。
続きは次回にしましょう。