プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
今回はグラーツ(Graz)について勝手に語ります。
オーストリアの首都はウィーン(Wien)で、国内最大の都市です。
日本人なら大抵は知っているかと思いますが、ではオーストリアの第2の規模を誇る都市となると、途端に知らないとなるのではないでしょうか。
それがグラーツ(Graz)です。
そのグラーツのあるのがシュタイアーマルク州(Steiermark)で、この地域は、ブドウの栽培に適した石灰質の土壌です。しかも内陸部ながら地中海性気候の影響を受けているようで、オーストリア国内でも有数のワイン産地になっています。ここで生産されるワインはドイツと同じで、辛口の白ワインが主流です。実は日本食にも合いそうな味ですが、流通しているのは主に国内だけです。
最も多いのがリースリング(Riesling)で、価格もお手頃のものが多く、現地のスーパーなどではよく見かけます。
グラーツは1999年に街の中心部が世界遺産に登録されました。さらに2010年には拡大登録されました。
登録は「グラーツの市街-歴史地区とエッゲンベルク城」としてされました。時代ごとに異なる様々な建築様式の流入と調和をよく保存しているとして、グラーツの中心街が評価され、2010年の拡大登録では、その価値を補強するものとしてエッゲンベルク城が含まれるようになりました。
ドイツ語圏ですが、もともとはスラブ系の人々の町として誕生し、丘の上に城砦を築いたことから、スラブ語で「小さな城」を意味するグラデツ (gradec) がグラーツの語源となりました。12世紀には丘の麓に市場が形成され、教会、庁舎なども建てられ、都市としての発展につながっていきました。
13世紀になると都市特権を得ることとなり、14世紀にはハプスブルク家の分家に当たるレーオポルト家がグラーツを居住地としました。ハプスブルク家支配となったことで、15世紀には神聖ローマ皇帝フリードリヒ3世が輩出され、グラーツは神聖ローマ帝国の首都となりました。王宮と大聖堂も築かれました。
ただ、ここでもオスマン帝国の脅威があり、砦を補強し、防衛機能も強化していきました。オスマン帝国の脅威はその後も17世紀後半まで続いものの、オーストリア大公カール2世の時代である1586年にはグラーツ大学が創設されました。さらにグラーツは文化的・芸術的な繁栄しました。
しかし、皇帝がフェルディナント2世になると、首都をウィーンへと遷都したことにより、グラーツの華やかな文化は翳りを見せるようになりました。
その一方で、世界遺産に登録されたエッゲンベルク城はこの時代に建設されました。
オーストリア第二の都市ですが、グラーツの現在の人口はわずかに25万人程度です。それでも主要都市らしく、グラーツ空港もあり、グラーツ中央駅(Graz Hauptbahnhof)には、ウィーンへ直通する特急列車が2時間間隔で発着しています。また、ザルツブルクやインスブルックなどの国内主要都市を結ぶ特急列車だけでなく、スロヴェニア、クロアチア方面、チューリヒ、ブダペスト方面への国際特急列車も発着しています。
市内には路面電車も走っていて、Sバーン(都市近郊鉄道網)もありますので、人口の規模の割には利便性の高い都市といえます。
白ワインも安く、ヨーロッパらしい歴史空間が広がるグラーツは、おすすめの都市です。
ウィーンやザルツブルクは日本人も多く訪れますが、ここは穴場といえるので、中欧方面への旅行の際は、ぜひ、グラーツ訪問もご検討ください。