今日もワインを飲んでます そして思いついたことを書きつづる

  • ニトラ(Nitra)

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    今回はニトラ(Nitra)について勝手に語ります。

     

     

    ニトラ (Nitra) はスロヴァキアにあるニトラ河畔の都市です。ドイツ語ではノイトラ (Neutra) といいます。
    首都のブラチスラヴァは約70km西に向かった場所にあります。
    スロヴァキア第4の都市ですが、人口はわずかに84,000人程度です。

     

    スロヴァキア自体が小さな国ですが、ブドウ栽培については歴史があり、高品質なワインを生産しています。ワイン産地は6つあり、ニトラを中心とする地方もその中に含まれています。

     

    ニトラは日本人には馴染みのない街ですが、現在のスロヴァキア領域では最初にキリスト教会がつくられた都市です。
    9世紀初頭にはニトラ公国の中心地となりました。しかし、建国後まもなくモラヴィア王国に併合されてしまいました。モラヴィア王国はスラヴ人の王国です。
    フランク王国の領土と接していたモラヴィア王国はキリスト教を受け入れ、キリスト教国家となりました。ザルツブルク大司教座の布教が行われ、パッサウの司教がモラヴィアの教会を管轄することになり、フランク王国に服属する関係となりました。

     

    ニトラでは11世紀からハンガリー王国の支配下に入り、17世紀後半にオスマン帝国領となりました。
    第一次世界大戦後はチェコスロヴァキア領となり、1993年にチェコスロバキアがチェコとスロバキアに分離したことで、スロヴァキア領となりました。

     

    現代のニトラでは、工業団地に企業を誘致しています。
    日本語に対応している工業流通団地もあるそうです。
    この都市の観光名所としてはニトラ城です。城は高台にあるので街のどこからでもだいたい見えます。
    城の手前には聖ペテロとパウロ教会(Kostol svätého Petra a Pavla)があります。オスマン帝国が侵攻してきた際、被害を受けたかもしれません。
    ニトラ城が最初に文献に現れるのは871年のことです。丘の上にある城ですから、いかにも守備に適した城といえます。
    城から街を見下ろしながら、スロヴァキアのワインを味わうのは格別かもしれません。
    ただ、この都市は英語は通じないそうです。ドイツ語はかなり通じるといわれます。

     

  • ワイン・ラーオ(wine lao)

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    今回はワイン・ラーオ(wine lao)について勝手に語ります。

     

     

    ラオス人民民主共和国は、東南アジア諸国連合(ASEAN)加盟10カ国の中で唯一の内陸国です。海のない国で、面積は日本の約63%相当の広さがありますが、約70%は高原や山岳地帯になっています。
    ラオス人民革命党による一党独裁制による社会主義共和制国家です。
    おそらくワインのイメージはないでしょうが、フランスの植民地だった歴史があるため、国内にワインは普通に流通しているようです。首都のヴィエンチャンにはワイン専門店まであります。
    ただ一般国民が日常的に飲むというより、植民地時代からの流れで宗主だったフランス人や一部の富裕層のためかもしれません。酒類の中では贅沢品として扱われているようです。

     

    ラオスの歴史はナンチャオ王国(南詔国)から始まるといわれます。
    ナンチャオ王国は、中国南西部で現在の雲南省にあった国です。この国の領土が広がり、支配地域が現在のラオスにまで南下してきました。
    そしてナンチャオ王国が滅亡すると、1353年に統一王朝が誕生しました。これが、ラーンサーン王国です。
    「百万頭の象の王国」という意味を持つ国で、支配地域は現在のラオス領土を網羅していました。
    山地タイ人の「ムアン(国家)」の一つで、ラーオ族による統一王朝です。ラーオ族の古来から受け継がれた制度と上座部仏教を統合した王権思想に基づく統治で、建国はファー・グム王でした。

     

    最盛期はスリニャ・ウォンサー王の時代で、上座部仏教による文化や文芸が花開いていました。
    しかし18世紀になると、ヴィエンチャン王国、ルアンパバーン王国、チャンパーサック王国の3国に分裂してしまいます。さらにシエンクアーン王国を加えた4つの国で、対立や抗争を繰り返すことになりました。この結果、分裂したすべての国が疲弊し、1779年に3つの国がタイのトンブリー王朝の宗主下に入ることになり、ラーンサーン王家の独立は終焉を迎えました。
    ただ厳密にはヴィエンチャン王国とルアンパバーン王国は王朝としては存続していて、20世紀になって独立する際には、ルアンパバーンの王がラオス王国の国王として即位しました。

     

    タイの支配下から抜け出したのはフランスの力を借りたことによります。1893年の仏泰戦争により、ラオスはフランスの保護国となり、フランス領インドシナに編入されました。
    このフランス領インドシナが解体されたのは、日本軍の進駐によるものでした。日本は1945年に独立宣言をすることに協力しました。
    しかし第二次大戦が終結すると、フランスは仏領インドシナ連邦を復活させようとしました。これが1946年の第一次インドシナ戦争に結びつきました。そして1949年には、ラオスはフランス連合内のラオス王国として名目上の独立となりました。
    完全独立は1953年になってからで、フランス・ラオス条約によるものでした。

     

    完全独立は必ずしも平穏な時代をもたらしてくれませんでした。
    右派、中立派、左派という三つ巴のラオス内戦が勃発し、しかも長期化したのです。
    さらに隣国のベトナム戦争にも巻き込まれました。
    ラオスは北ベトナム(ベトナム民主共和国)の補給路(ホーチミンルート)に使われていたのです。
    ベトナム戦争は1973年にアメリカが撤退し、翌年、三派連合によるラオス民族連合政府が成立しました。
    ここからまたベトナム戦争の影響が大きくなります。1975年に南ベトナム(ベトナム共和国)の首都サイゴンが陥落したことで、社会主義体制の優勢によりラオスの連合政府が王政の廃止を宣言したのです。
    これによってラオスは社会主義国となりました。
    東西冷戦という背景と地理的に中ソ対立という国際情勢とその環境下で、ラオス人民民主共和国もベトナムとソ連の影響下になりました。

     

    フランスが支配し、日本により独立、再度のフランス支配、そして完全独立後の内戦という歴史のあとに、ベトナムとソ連の影響下による社会主義国というラオス。
    そんな激しい時代の波に翻弄された国のワインは、どんな味がするのでしょうか。機会があれば一度味わってみたいと思います。

     

  • シトー修道会(Ordo Cisterciensis)

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    今回はシトー修道会(Ordo Cisterciensis)について勝手に語ります。

     

     

    正月なので、人が集まって乾杯する機会も多くあるかと思います。
    やはりそんなときに飲むワインは、フランスワインの代表であるブルゴーニュワインが華を添えてくれるでしょう。
    フランス中東部に位置するブルゴーニュ地方は、ゲルマン民族大移動の時期(5世紀)に「ブルグンド王国」が由来となっています。(ブルゴーニュとブルグント王国
    この王国が滅亡したのち、この周辺はブルゴーニュと呼ばれるようになったそうです。
    古代ローマ時代からブドウ栽培が盛んな地域で、ブルグント王国の時代には、すでに修道院主体でワイン生産が行われていました。

     

    修道院によるワイン生産といえばベネディクト派の修道院でした。その中でもクリュニー修道会とシトー修道会がワイン造りでは高品質なものを生産していたことで知られます。ベネディクト派では「必要とするものは、自ら生産すべし」という教えがあり、それを実践していたわけです。
    ちなみにベルギーのベネディクト派修道院ではビールが造られています。
    さて、そのシトー会ですが、修道士モレームのロベール(Robert de Molesme)により、1098年に設立されたものです。シトーは地名です。
    シトー修道会の特徴は「聖ベネディクトの戒律」を厳密に守る点にありました。そのため豪華な典礼を否定し、彫刻や美術を使った教示も禁止していました。教会の装飾も十字架だけで、簡素無比のシトー式の建築が生まれました。
    そのため、同じくベネディクト会修道院のクリュニー会の貴族的なやり方とは真っ向から対立する関係となっていました。
    壮麗な衣類を身にまとい、華美な雰囲気を持つクリュニー会の修道士と違い、シトー会の服装は質素で、染料を使わない白い修道服を着ていました。「白い修道士」とも呼ばれる所以です。

     

    またシトー会は森林の開墾も行い、新しい農法を普及させ、自ら農作業をしながら農民らを指導していきました。
    ただ農民への布教や貧民救済については、クリュニー会でも行っていました。しかし、俗世間の有力者からの支持を受けていたのがクリュニー会だったため、有力者により私有修道院の寄進なども行われていました。この点でも違いは明確でした。

     

    修道士モレームのロベールは、シトー会の原点を創設したものの、厳しすぎる修道生活を嫌った修道士とともにモレーム修道院へ戻ってしまいます。彼はもともとクリュニー会の修道士で、モレーム修道院院長だったのです。
    内部分裂により、ロベールはシトー修道院を設立したといわれています。
    ロベールのあと、シトーのアルベリック(Albéric de Cîteaux)が後任となり、次にステファン・ハーディング(Stephen Harding)が後を継ぎました。この3人がシトー修道会の創立者となっています。

     

    ロベール死去後、西暦1222年にローマ教皇ホノリウス3世により列聖されました。
    ただ、シトー会設立とその方向性を決めた功績はあるものの、わずか1年でモレーム修道院に戻ったことから、どれだけ後世に影響を与えたのか疑問もあります。
    クリュニー会に反する簡素で清貧な要素についても、後世のイメージでしかなく、むしろクリュニー会の伝統を延長したものではないかという話もあります。実際、ロベールの牧杖は金メッキされた豪華なもので、シトー会でイメージされる「簡素」という要素はなかったともいわれています。

     

    ロベールの功績はともかく、シトー会では高品質なワインが作られていたのは事実で、ブルゴーニュワインの品質を保証するものだったわけです。
    新年会でぜひともブルゴーニュのワインをお召し上がりください。

     

  • 初詣と古代イスラエル

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    今回は初詣と古代イスラエルについて勝手に語ります。

     

     

    新年、最初に出かけるとすれば、初日の出か初詣というのが一般的な日本人の風習といえるでしょう。
    初詣は寺院でも良いですが、神社にお参りするというのは、これもかなり一般的といえるでしょう。このお参りする対象ですが、例えば伊勢神宮系列の神社であれば天照大神、出雲大社系の神社では大国主大神ですが、いずれも神像を拝むわけではありません。寺院であれば仏像が対象になるでしょうが、神社の場合、神々の形をした彫像を見ることはありません。
    大昔には神像もありましたが、一般に普及した神社にはなく、中には拝殿だけで信仰の対象は山そのものだったりする場所もあるほどです。
    神々が多く登場するヒンズー教やギリシア神話などでは、神像が多く作成されました。それが日本の神社にはないのです。

     

    では、何を拝んでいるのでしょうか?
    例えば社殿の中には鏡があったり、剣があったりすることがあります。でも、それが信仰の対象となっているのかどうか、どうも分かりません。神が宿っているという考えもあるのでしょうが、神様そのものという感じがしません。
    つまり、神社は偶像崇拝ではない、といえるのです。
    偶像崇拝を禁止したキリスト教といえども、実際には教会に十字架があり、そこへ向かって祈りを捧げます。正教会でもイコンがあります。これらを厳密に分類すれば、禁止しているはずの偶像崇拝を行っている宗教だといわれても仕方ない気がします。(もちろん異論もあるでしょうが、あくまでハヤシの私見です)
    本来は、聖なるものは目に見えないもの、だから目に見える姿で神様を崇拝してはいけないというのが偶像崇拝の禁止で、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教に共通するものです。それがキリスト教では、聖なるものが芸術にまで昇華したり、荘厳な雰囲気を形成し、信仰をより強固にする等々により、文化面で大きな発展を遂げることになりました。その意味で、仏教美術と同じようにキリスト教芸術が発展したのは当然の帰結といえます。
    イスラム教は偶像崇拝の禁止を厳格にしたため、そのような文化はなく、信仰は生活の一部となりました。
    これに対して古代イスラエルでは、特殊な状態となります。

     

    よくいわれる日本の神道との共通点です。
    たとえば、古代イスラエルの神殿には、三種の神器がありました。これは、十戒の石の板、アロンの杖、マナの入った壺です。
    日本の三種の神器とは種類が異なりますが、聖なる場所に置かれている点は同じです。
    目に見えない神様を拝み、神殿に三種の神器を置くというスタイルは、世界でも他に例のないイスラエルと日本の特徴といえます。このような宗教形態は本当に珍しいといえるのです。
    さらに具体的にういうと、例えば日本で神宝とよばれるものが祀られた神社がありますが、実は信仰対象は目に見えない神で、神宝は神が宿った物体という扱いになります。古代イスラエルでは、ダビデが神との契約の箱である「主の箱」をエルサレムに運び、神殿としましたが、民衆はこの箱を拝んだわけではなく、信仰対象はあくまでヤーウェでした。「主の箱」は神が降臨した物体なのです。
    つまり、古代イスラエルも日本の神道もこのような特殊な信仰なのです。

     

    新年の初詣に、そこまで考えて行く人はいないでしょうが、これは興味深い内容なので、今年は言及していくかもしれません。乞うご期待。

     

  • 令和2年 謹賀新年

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    令和2年、西暦2020年、皇紀2680年になりました。
    あけましておめでとうございます。

     

     

    本年は東京オリンピックの年です。7月24日から8月9日までの期間で開催されます。
    パラリンピックは、8月25日から9月6日までの期間で開催されます。
    1月14日にはWindows7のサポートが終了します。
    天皇誕生日は今年から2月23日となります。
    また、今年に限って祝日が一部変更されます。
    具体的には、通常は7月第3月曜日の海の日が今年に限って7月23日に変更され、通常は10月第2月曜日の体育の日がスポーツの日と名称変更され、今年に限って7月24日に変更されます。通常は8月11日の山の日も今年に限って8月10日に変更されます。

     

    世界に目を向けてみると、10月3日はドイツ再統一から30周年です。
    選挙では、1月11日には中華民国総統選挙が行われ、11月3日にはアメリカ合衆国大統領選挙の一般投票が行われます。
    ちなみに7月5日に東京都知事選挙もあります。

     

    また、現在当たり前のサービスが記念の年を迎えます。
    2月14日はYouTubeリリースから15周年、10月6日はInstagramリリースから10周年、11月20日はMicrosoft Windows初リリースから35周年です。12月1日はBSデジタル放送開始から20周年を迎えます。

     

    本年も様々なことがあるでしょうが、プレゼント専用ワインのシエル・エ・ヴァンを何卒よろしくお願い致します。

     

1 2 3

ワイン通販なら

想い出生まれ年ワイン、デザイン自由オリジナルワイン

スペシャルコンテンツ

オールドワインの魅力

最新のブログ記事

カテゴリー

タグクラウド

月別アーカイブ