今日もワインを飲んでます そして思いついたことを書きつづる

  • キリストの血の味

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    今回はキリストの血の味について勝手に語ります。

     

     

    令和元年も残すところあとわずかになりました。
    プレゼント専門ワインのシエル・エ・ヴァンをご愛顧頂きありがとうございました。新しい年もよろしくお願い致します。

     

    さて、今年最後の投稿は、「キリストの血」の味についてです。
    新約聖書の福音書にて、最後の晩餐のシーンがあります。このときに、イエス・キリストがワインを自分の血だと表現して以来、キリスト教では「キリストの血」、つまりワインは重要なものとなりました。
    この最後の晩餐の舞台となったイスラエルは、ワインの本格的な生産が始まったのが1880年代からで、キリストよりはるかに後の時代になります。しかもフランスから輸入したブドウを使って生産していたのです。
    では、イエス・キリストが誕生したベツレヘムや、十字架にかけられたエルサレムなどでは、その時代、どのようなブドウ品種でワインが生産されていたのでしょうか?

     

    実はベツレヘムは、現在はパレスチナ自治区になっていて、太古より現代までブドウとオリーブの産地になっています。しかし、イエスの時代の品種や醸造方法がそのまま受け継がれているわけではありません。
    紛争の耐えない中東にあって、そこまで伝統的なワインが継続されるのは確かに無理があります。

     

    しかし、アリエル大学のワインの研究者であるエリヤシブ・ドローリ氏は、遺跡発掘現場より掘り出されたブドウの種を調査し、イエスの時代のワイン生産に使われていたブドウの品種をつきとめたそうです。
    その結果、120種類ものブドウ品種があり、ほとんどが外来種ではなく、その中で約50品種は栽培されていたようです。ワインには約20品種が使われていたといいます。
    また、当時は特定の品種を使ってワインを造っていたわけではなさそうだといいます。
    このことから、イスラエル、パレスチナはブドウの固有品種が豊富な地域だったことが分かりました。
    しかも、調査した品種は、現在でも残っているというのです。失われたイエスの時代の品種ではないため、固有種を使うことで、現在でもイエス・キリストが口にしていたかもしれないワインを造ることが可能となりました。
    その挑戦が、現在、盛んに行われているそうです。

     

    イエス・キリストが生誕し、活躍した地では、いくつかのワイナリーが固有種のブドウのみを使ったワイン造りを行なっています。
    イスラエル北部のラカナティ・ワイナリーでは、固有種のマラウイというブドウを使ったワインを生産しています。
    ベツレヘムとエルサレムの間にある丘陵のレミサン・ワイナリーは、固有種のダボウキ、ハムダニ、ジャンダリ、バラディなどを使ったワインを生産しています。
    どれも馴染みのないブドウ品種です。

     

    洗練されたフランスワインも良いですが、このような夢のあるワインも新しい年には飲んでみたい、と思いつつ、令和元年最後の日を迎えたいと思います。
    皆様、よいお年を!

     

  • フランクフルト・アム・マイン (Frankfurt am Main) 1990-4

    今回はフランクフルト・アム・マイン (Frankfurt am Main)の思い出の4回目・最終回です。
    ラウバッハ (Laubach)からフランクフルトへと戻ってきました。

     

     

    1ヶ月半ぶりに戻ったフランクフルトですが、特に感慨深いものはなく、マイン川を渡って慣れ親しんだザクセンハウゼンへと入りました。
    雲が暗く、いつ雨が降ってもおかしくないような雰囲気でしたが、その分、夏なのに気温は低く、少し肌寒いようでした。昨今のドイツの夏の異常気象と異なり、この年は本来の夏の気候でした。ただこの日は少し気温が低い感じでした。

     

    駐車場にクルマを停め、まるで通学路のように馴染んだ道を歩いてアパートへ。
    最上階にある大家さんの部屋のインターフォンを押すと、老婆の声が応答しました。やや掠れた声で、電話で話したときより聞き取りにくいドイツ語でした。
    名前を告げると、すぐに入り口のドアの施錠を解除してくれました。薄暗い廊下は短く、すぐに階段になります。そのまま上階へと登ります。
    老夫婦で暮らしているとの情報でしたが、このとき自宅にいたのは老婦人だけでした。警戒感なく、部屋へ案内されました。
    電話で話していたからなのか、それともかつての居住者を訪ねてきた日本人を歓迎しようとしたのか、よく分かりませんでしたが、かなりフレンドリーに接してくれて、すぐに打ち解けた様子でコーヒーを差し出してくれました。

     

    探し求めていた日本人ピアニストは、確かに春先までこのアパートに住んでいました。
    小柄なので、孫のように可愛かったと語りました。
    一緒にアップルワインを飲みに行ったこともあるといいます。
    そういえば彼女から届いた絵葉書に、そんなことが書かれていたことを思い出しました。確かそれは、昨年のクリスマスマーケットで、大家さんと初めて外食して楽しかった、と記されていたような気がします。「Wunderbar!」は、こんなときに使うんだ、とも書かれていました。
    老婦人は思い出話を語ったあと、今年初めに何かのオーディションに落ち、かなりのショックを受けていたと言いました。それを慰めてくれた人がいたようで、その人の関係で、ここを引っ越すことになったという話しになりました。

     

    「?」

     

    ドイツ語の能力が劣っているせいか、よく意味が分かりません。
    仕方なく、拙い言葉で何度も確認しながら話を組み立てていきました。老婦人はしつこい問いにも嫌な顔を見せずに対応してくれました。
    それによると、ピアニストの彼女は、同じオーデションに落ちたドイツ人の女性と仲良くなったそうです。最初はお互いを慰め合う関係だったものが、親友であり、ライバルでもある関係になったようです。
    その親友が新たに挑戦するオーディションがゲッティンゲン(Göttingen)であり、二人でそこへ引っ越すことになったという話でした。
    ただ、その親友について、彼女から紹介はされたことがあるが、名前は忘れたようです。移転のとき、最後に記念写真を撮ったので、その写真はある、ということでした。名前も分からないのに、写真だけ見ても仕方ないですが、せっかくの好意なので見せて頂きました。
    ドイツ人ということですが、ブルネットで、どこかアジア的にもラテン的にも見える女性でした。ピアニストの彼女と並んでいるので、背の高さが際立ちますが、小柄な彼女の身長から考えるとおそらく170cm前後だろうと思われました。

     

    雑談も含めると2時間近くもお邪魔していることとなり、昼の時間も過ぎたので、お礼を言って辞去しました。
    彼女が現在いるかもしれないゲッティンゲンは、昨日アウトバーンで通過してきた都市です。アウトバーン7号線沿いで、ヒルデスハイム(Hildesheim)とカッセル (Kassel)の間にある都市です。現在はどうだか分かりませんが、当時は人口10万人程度の大学都市というイメージです。
    これからウィーンへ向かう身としては、そこまで戻る気にはなりません。しかも手がかりは少ないのです。
    どうしようか、と考えていると、ふとひらめくものがありました。
    ゲッティンゲンで行われたオーディションです。ピアニストが受けるオーディションといえば、劇やオペラなどの上演のための一種の登用試験です。採用されるかどうか分からない段階で引っ越すということは常識的にありえないわけで、二人揃って移転したのであれば、必ずオーディションに合格し、ピアニストとしてか、あるいはそれに関係する何かとして出演している可能性が高いといえます。
    そのゲッティンゲンには、フルート奏者でウィーン在住の男が行く予定があることを思い出しました。演奏旅行だったはずです。
    その彼とはあまり親しくないものの、これから向かうウィーンの知り合いは、おそらく親しいはずだと思い出しました。彼に事情を話せば、ゲッティンゲンに行った際に何か情報がとれるかもしれません。
    考えれば考えるほど、素晴らしいアイデアだと自画自賛し、駐車場に戻ったのでした。

     

    これでまたフランクフルト・アム・マインともお別れです。

     

    どうでもいい人探しの思い出でしたが、フランクフルトという都市を舞台にした部分はこれで終わりです。
    特にこの結末など興味のある人はいないでしょうが、行方不明だったピアニストは、現在、二児の母です。結婚相手はドイツ人ではなく日本人です。
    機会があれば、この話題の続きに触れることもあるでしょう。

     

  • ミハイル・フョードロヴィチ・ロマノフ(Михаи́л Фёдорович Рома́нов)

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    今回はミハイル・フョードロヴィチ・ロマノフについて勝手に語ります。

     

     

    ミハイル・フョードロヴィチ・ロマノフ(Михаи́л Фёдорович Рома́нов)は、17世紀に始まったロシアのロマノフ朝の最初の君主です。
    父親が失脚したことで、母親と一緒にコストロマのイパチェフ修道院に隠棲していました。ロシアの「空位期間」を経て、1613年の全国会議にてミハイルはツァーリに選出されました。
    即位後、専制政治ではなく、貴族会議と全国会議との合議体制による国政をしていました。
    1619年には、ミハイルの父であり、失脚したフィラレートがロシアに帰国し、モスクワ総主教となりました。「大君」の称号となり、ツァーリと同格の扱いとなりましたが、結局、これは息子であるミハイルを抑えて実質的な統治者となったことを意味しました。

     

    ところで、ミハイルは16歳でツァーリになったわけですが、即位直後に「宮廷の庭」をつくるよう命じました。
    実はこの「宮廷の庭」こそが、ロシア初のブドウ園でもあったのです。
    場所は、ヴォルガ川(Волга)にある三角州の場所で、アストラハニの修道院に設けられました。ブドウ栽培のノウハウがない点は、ドイツから園芸家を招聘しました。

     

    政治的には父親のフィラレート時代(1619年~1633年)となり、中央集権化の政策を推し進めていきましたが、成果は乏しい状態となりました。
    スモレンスク戦争後にフィラレートが死去し、ポーランドとの講和となりました。この戦争の終結はロシアの国家財政を逼迫に追い込むことになりました。

     

    ミハイルの結婚については2度ありました。
    1回目は1624年で、大貴族の娘マリヤ・ドルゴルーカヤでしたが、結婚直後に死別してしまいました。そこで2年後の1626年にエヴドキヤ・ストレシニョヴァと再婚しました。この二人の長男がアレクセイで、彼はアストラハニの「宮廷の庭」で栽培されたブドウでつくられたワインを飲んでいたといいます。正真正銘のロシア・ワインですが、この頃には、ブドウ栽培地域は広がっていました。

     

    ミハイル・フョードロヴィチ・ロマノフは、ロマノフ朝の始祖という立場ですが、それほどの派手なことはなく、国家の建て直しに翻弄した君主といえます。
    それでも初のロシア・ワインをつくる契機をなしたのは特筆すべきことかもしれません。

     

  • 無原罪の御宿り(Immaculata Conceptio Beatae Virginis Mariae)

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    今回は無原罪の御宿りについて勝手に語ります。

     

     

    クリスマスをイエスの誕生日だと勘違いしている人が多いのが日本の現状ですが、イエスの母についてもどれだけ知っているか疑問に感じます。
    聖母マリアとして知られるイエスの母ですが、実はキリスト教でも宗派によって捉え方が異なるのです。
    まず「マリア崇拝(Mariolatry、Marianismo)」と「マリア崇敬(devotion to Mary)とは異なります。日本語では一字違いで、同じような印象を持ちますが、同じに扱ってはいけないものなのです。

     

    マリア崇拝は、文字通りの意味で、聖母マリアを崇拝する行為です。
    キリスト教では本来、禁じられているものなのです。と、いうと「?」と、不思議に思う人も多いかもしれません。そもそもキリスト教の聖典は「聖書」であり、その中にはマリアを神聖化する記述は一切ないのです。
    そればかりか「マルコによる福音書第3章」では、イエスが群衆に福音を述べている時に、弟子の一人が「お母さんが外で呼んでおられます」と言ってきましたが、イエスは「私の母、私の兄弟とは誰のことか。見なさい、ここに私の母、兄弟がいる。神の御心を行う人こそ、私の兄弟、姉妹、また母なのだ」と返答しているのです。母親の立場から見たら、何という息子だと思うでしょうし、第三者的に見れば、この親子関係はうまくいってないのでは、と感じることでしょう。
    ところがカトリックでは、聖母マリアに仲介者 (Mediatrix)の役割を担わせることで、三位一体の神へ取り次ぐ立場となるので、それによって神性化を行ったのです。すなわちカトリック教会の教義としての概念です。
    これをマリア崇敬といいます。
    従って祈る対象が聖母マリアではなく、あくまで神ですが、マリアとともに神に祈ることが宗教的表現となっているのです。

     

    それに対して、19世紀くらいからプロテスタント系の諸派が、この「マリア崇敬」のことを「マリア崇拝」だとして、偶像崇拝に接触するものだと言及しだしたのです。
    つまりカトリック教会は偶像崇拝とマリア崇拝だとして、真っ向から反対したわけです。「聖書」から読み解く限り、たしかにマリアの神性化は意図的なもので、仲介者というのもある種のロジックでしかありません。
    しかし、だからといって、完全に否定するのもどうかという点もあります。
    それは、なぜカトリックが聖母マリアを重視したのか、その背景には神の父性にあるかもしれないのです。特にローマ帝国のキリスト教を国教化する前には、母性を求める信仰があり、それを聖母マリアと結びつけることで、聖母マリア崇敬は父性の神を補完するようになったともいえます。ミトラ神をクリスマスに取りいれたのと同じようにキリスト教を発展させる要素となったのは間違いないといえるでしょう。

     

    「無原罪の御宿り(Immaculata Conceptio Beatae Virginis Mariae)」というのがカトリックにはあります。
    簡単にいえば、マリアは生まれた時から神の恵みで原罪から解放されていたということになります。原罪とはアダムとイヴから受け継がれた罪のことであり、イエスは原罪を取り除く者ですから、マリアは最初から原罪のない特殊な人となります。と、いうよりは、イエスは罪なき神の子なので、聖母マリアはイエスと同じ立場ともいえます。
    当然ながらこの考えには反対意見もあり、中世の代表格なのはトマス・アクィナスです。

     

    最後にもう一つ福音書から引用しましょう。「ヨハネによる福音書第2章」です。
    ガリラヤのカナの婚礼のシーンです。イエスは、葡萄酒を取りに行かせようとした母マリアに対し、「婦人よ、あなたは私と何の係りがありますか」と言いました。これは、親族の結婚式のために没頭するマリアに対して、イエスは不快な感情を表したシーンになっています。
    キリスト教信者なら誰もが読む聖書の中の、こんな記述を改めて読むと、無原罪の御宿りとはどんなものなのか、と思ってしまうのも致し方ないかもしれません。

     

    それはともかく、今宵はキリスト生誕を祝ってワインで乾杯しましょう!

     

  • 黒いサンタクロース(Knecht Ruprecht)

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    今回は黒いサンタクロースについて勝手に語ります。

     

     

    サンタクロースといえば、よい子にプレゼントを授けますが、その原型となる聖人として聖ニコラウスが挙げられます。ニコラオス伝によると、教区の貧しい娘にひそかに持参金をめぐんだという伝承があり、この伝承からサンタクロースに発展したとする説があります。
    さらに、オックスフォード大学の研究によれば、聖ニコラオスのものとされる遺骨の年代測定を行ったところ、その死亡時期がサンタクロース伝説と一致したとといわれます。
    その聖ニコラウスの従者または助手が、「黒いサンタクロース」などとも呼ばれます。
    クネヒト・ループレヒト(Knecht Ruprecht)といって、聖ニコラウスの日(12月6日)に聖ニコラウスとともに現れ、悪い子供を懲らしめるからです。これがドイツの伝統的な風習にもなっています。

     

    クネヒトは「従者」や「しもべ」などの意味になります。ループレヒトは男性の名前です。
    クネヒト・ループレヒトは、長い髭で、毛皮か藁に包まれた格好で、長い棒や灰の袋を持って現れます。そして、子供たちにお祈りができるかを尋ねます。
    子どもたちが「できる」と答えた場合は、りんごや木の実、ジンジャーブレッドなどをご褒美として与えます。しかし、「できない」と答えると、灰袋で叩くのです。
    さらに、この発展したものとして、「よい子」には聖ニコラウスが甘いお菓子をプレゼントし、「悪い子」にはクネヒト・ループレヒトによって小枝や石などが置かれることになります。

     

    つまり、ドイツのサンタクロースは、聖ニコラウスの日である12月6日となります。
    では、12月24日、または25日にはサンタクロースは来ないのでしょうか?

     

    そう、来ないのです。
    でも安心してください。クリスマスにはクリストキント(ChristusKind)が現れ、プレゼントを持ってくるのです。
    このクリストキントは、ドイツでは北部ではそれほどでもないですが、南部や隣国のオーストリア、スイスの一部、ハンガリー、チェコ、スロバキアなどに伝わるもので、クリスマスの天使のことです。
    クリストはキリスト、キントは子供という意味で、「幼いキリスト」になります。ただ、イメージされているのは女性の姿で、見た目が天使のような女性という感じになります。

     

    サンタクロースよりクリストキントのほうが人気という都市もあります。
    その代表格なのが、ニュルンベルク(Nürnberg)です。この都市は以前に取り上げたことがあります。

     

    カイザーブルクでワイン

     

    ニュルンベルクでは、クリストキントが都市の親善大使になっています。
    クリスマスマーケットにも登場し、子どもだけでなく、大人や観光客にもプレゼントを渡したります。
    このクリストキントは、2年に1度、二十歳前後の女性のなかからコンテストで選ばれるもので、金と白の衣装を身にまとい、金髪の巻き髪のかつらをつけています。

     

    黒いサンタクロースといい、クリストキントといい、日本では馴染みのないものです。
    ドイツ居住者には楽しみなイベントでもあり、このときに飲むワインがグリューワインです。このワインも一般的ではありません。
    個人的には、このグリューワインは暖かい室内で飲んでも美味しくありません。クリスマスマーケットのような屋外で、寒い夜空の下で飲むのに限ります。そのシチュエーションを除けば、決してオススメできるワインではありません。あくまで個人的な意見ですが、

     

  • ダキア(Dacia)

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    今回はダキア(Dacia)について勝手に語ります。

     

     

    「ダキア」と聞いてすぐに分かる人は、東欧の古代史についてかなり造詣が深い人かもしれません。
    古代の中央ヨーロッパで、現在のルーマニアの地域に居住し、国家を形成していました。東はティサ川、西はハンガリー、南はドナウ川、北はカルパチア山脈の森林地帯までの地域のため、第一次大戦と第二次大戦の間というごくわずかな期間のルーマニアの領土範囲に近く、現在のルーマニアの領土より広い地域でした。
    紀元前112年から、共和政時代のローマとの抗争が始まり、その後にダキアを立て直したのは、ブレビスタ(Burebista)でした。紀元前82年頃に王に即位し、首都をアルゲダヴァにし、のちにサルミゼゲトゥサという新都市を建設し、遷都しました。

     

    古代ローマ時代のギリシア系の歴史家だったストラボン(Strabo)が記した『地理書』によれば、ブレビスタの兵は20万人とも称されるほどの規模だったといいます。
    それだけの規模の兵を動かすことで、スコルディスキ族やボイイ族らを制圧し、領土拡大をしていきました。
    さらに服従の証しを、ワインに求めたともいわれます。支配された人々にブドウ栽培を禁止したのです。
    しかし、ダキアでは、ワインとは水よりも貴重なもので、飲むだけでなく、ワインを衣服の上から注ぎかけると、幸運が飛んでくるという信仰があったともいいます。

     

    ブレビスタの死後、ダキアは分裂状態になり、再び統一したのがデケバルスでした。
    ここでローマ帝国とダキアとの戦争(ダキア戦争: Conquista della Dacia)が二度に渡って繰り広げられました。
    ダキア戦争はローマの完勝で終わりました。
    トラヤヌスはローマ市内で凱旋式まで行ったほどでした。
    この戦争の勝利により、ローマはダキアから産出される鉱物資源を確保し、ダキア人の男性捕虜は10万人を超え、奴隷としてダキアから追方されました。
    反対に、ダキアにはローマ人が入植し、ローマの属州として発展していきました。

     

    ワイン文化を持っていたものの、キリスト教の儀式の影響とは関係なく、信仰はダキア独自のものだったようです。
    「魂の不滅」がダキア人の根源的な価値観にあり、「死」とは、生きる場所が変化するだけのものである、という宗教観を持っていました。
    多神教で、大地を支配する至高神ザルモクシス、他にゲベレイジス、ベンディスなどの神々への信仰があったようです。

     

    文字での記録が圧倒的に少ないため、謎の多いダキアですが、ワイン文化を維持し、現在のルーマニアワインまで引き継がれることから、ワイン好きな人は注目しても良い話題かもしれません。

     

  • フランクフルト・アム・マイン (Frankfurt am Main) 1990-3

    今回はフランクフルト・アム・マイン (Frankfurt am Main)の思い出の3回目です。
    前回はフランクフルトを離れ、ハンブルクへと行ってしまいましたが、その約1ヶ月半後、再び戻ってくることになりました。

     

     

    それはラウバッハ (Laubach)の夜のことでした。

     

    ハンブルクからウィーンへ向かうため、アウトバーン7号線を南下し、ヴュルツブルク(Würzburg)から3号線を東へ向かうつもりでいましたが、なぜか5号線に入り、途中でどこかに宿泊しようと思いました。なぜ、そう思ったか分かりません、単なる気まぐれとしかいいようがありませんでした。
    アルスフェルト(Alsfeld)で国道49号線に入り、森の中を走りました。
    何となく自然に囲まれた空間に滞在したくなったので、適当な場所に宿泊しようとしました。
    それでたまたま訪れたのがラウバッハでした。

     

    ラウバッハは、ヘッセン州ギーセン郡に属する小さな街で、人口も9,500人程度です。
    ヴェッター川沿いにあり、街の中心部は右岸になります。城館の周囲が公園になっていて、そこから綺麗に区画された旧市街地が形成されています。
    マルクト広場は田舎町らしく小さく、大聖堂ではなくローカルな教会が隣接しています。
    国道49号線から意味なく左折したのが276号線、そこから山の間を抜けた先を右折すると現れた街でした。
    旧市街の裏手からラウ川に沿って北上し、再び山道を進んだ先にペンションを見つけ、そこに宿泊することにしました。何もない場所ですが、自然に囲まれたロケーションに満足しました。

     

    ここはフランクフルトからも遠くないので、ザクセンハウゼンの大家さんに電話してみることにしました。
    実はその契機となったのが、フランクフルトから登山に来ていた二人の老人との会話からでした。
    市役所を退職して、悠々自適に趣味の登山やハイキングをしている二人組で、同じ宿泊先だったことから、夕食を一緒にすることになりました。
    チェックインする際、国籍欄に日本と書くと、ペンションのオーナーが、日本人の宿泊者はあなたが二人目だということを言っていました。たまたま二人組がそれを聞き、「うちのクルマは日本車だ、三菱だぞ!」と言って話しかけてきたのでした。
    ちなみに、日本人最初の宿泊者は画家だったそうです。

     

    彼らの地元のフランクフルトの話しになったので、ザクセンハウゼンに電話してみようかという気になりました。
    そこで電話すると、ようやく大家さんにつながったのでした。
    そして、翌日、大家さんのアパートへ行く約束をしました。

     

    翌朝、二人組を駅までクルマに乗せました。
    陽気な二人で、「右だ!」「左だ!」「真っ直ぐだ!」と、大声で道案内をされて駅へ着き、二人を降ろしてからフランクフルトへ向かうこととなりました。
    なお、現在は鉄道は廃線になっているようで、もう駅はないようです。

     

    リッヒ(Lich)を経由して457号線からファーンヴァルト(Fernwald)に行き、昨日と同じアウトバーン5号線でフランクフルトへ進みました。
    少し走ると交通量が増えてきました。
    いよいよ失踪したピアニストの行方を解明します。

     

  • クリスマスワイン

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    今回はクリスマスワインについて勝手に語ります。

     

     

    聖なる夜、クリスマスのプレゼントに彼氏や彼女の誕生年のワインを贈る、あるいは二人が出会った記念の年のワインを二人で飲む、というのはどうでしょうか。
    欧州ではクリスマスマーケットが佳境を迎え、日本ではジングルベルの音楽とともに、小売業が活気づく季節です。街中がイルミネーションが飾られ、澄んだ冷気の中、1年でもっともロマンあふれる空間が演出されています。

     

    そんな時期だからこそ、彼氏や彼女とのコミュニケーションもいつもと違う雰囲気に包まれ、記念の年号のワインを楽しむのは最高でしょう。
    生まれ年、または二人の記念の年に生産されたワインは、一度もコルクが抜かれず、聖なるクリスマスのときに初めて姿を表します。ボトルに入れられた年からの歳月を超え、現代の空気に初めて包まれます。

     

    クリスマスはイエスの生誕祭。
    そして、パンとワインはイエス・キリストの体と血として飲食する聖餐です。
    「新約聖書」では、イエスがパンを取り、「これがわたしのからだである」といい、ワインの入った杯をとり「これがわたしの血である」といって弟子たちに与えました。
    だからこそ、クリスマスにはワインは不可欠といえます。

     

    もちろんキリスト教信者かどうかは関係ありません。
    イエスという、有史以来、最も世界に影響を与えた人物の生誕を祝う日ですから、信仰の有無は関係ありません。
    特に日本は、初詣は神社、葬式は仏教、結婚式は教会ということが、ごく普通に受け入れている国です。ハロウィンもクリスマも定着した文化になっています。
    そんな聖なる夜にワインで乾杯しましょう。
    今日はこれ以上の理屈や真実は「抜き」です。

     

  • ヴァン・ジョーヌ

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    今回はヴァン・ジョーヌについて勝手に語ります。

     

     

    「黄色いワイン」の意味を持つヴァン・ジョーヌは、フランスのジュラ地方で生産される特殊な白ワインです。
    例外もありますが、基本的にジュラ地方でのみ栽培される地域固有種のブドウの「サヴァニャン」という品種でつくられます。そのため、極めて特殊なワインになるわけです。
    このサヴァニャンは、トラミナー系統の白ブドウです。
    泥灰土壌のAOCシャトー・シャロンで産出されるものが最良とされています。

     

    ヴァン・ジョーヌの場合、他のワインとは異なり、ブドウの収穫時期が遅くなります。糖度や酸も多いのが特徴です。
    その糖度ですが、ワイン醸造した際にアルコール度数が13-15度になるようにしたときの糖度になるよう収穫時期を決めているようです。そのために10月下旬から12月にかけて収穫されることになり、他の収穫時期より遅くなるわけです。
    オーク樽に入れてからの熟成も少し異なります。樽にワインを満たさず、ワインが蒸発する空間をつくるのです。これにより酵母の膜がワインの表面に発生し、ワインが酸化から守られるといわれています。この膜をvoileといい、シェリーのフロールと似た概念になっています。
    voileの生育には2~3年の時間を要します。通常はこの熟成期間中に蒸発したワインを補充したり、オリをひいたりしますが、ヴァン・ジョーヌはそのようなことを一切しません。そのため、熟成する頃までに、量は30パーセント程度にまで減るといわれています。
    また、この期間に香り成分も生成され、ヴァン・ジョーヌ特有のフレーバーやアロマが生まれます。

     

    熟成期間としてはヴァン・ジョーヌの場合、6年3か月という期間が義務付けられています。
    このワインを特徴的とする黄色い色となり、香りもナッツのようになります。
    ヴァン・ジョーヌを飲む際には、13~15度にするのが一般的で、デカンタで酸素に触れさせ、特有の香りを引きたたせるのも一般的です。

     

    このヴァン・ジョーヌを産出するジュラ (Jura)は、 ブルゴーニュ=フランシュ=コンテ地域圏にあります。
    フランス本土の中で最も海から遠い地域です。地名の由来であるジュラ山脈(Massif du Jura)は、スイスアルプスより北に位置する山脈で、スイスアルプスとの谷合いにスイス高原があります。

    フランスとスイスの国境をなしている山脈で、もともとはフランスとスイスだけでなく、イタリアとの境界でもありました。
    ジュラ山脈の最高峰は、アルプスと違ってそれほどの標高はありません。もともとはル・ルキュレ(Le Reculet)が海抜1,719mでこの山脈の最高峰といわれていましたが、それより1m高い無名峰があるともいわれています。

     

  • クリスマスマーケット

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    今回はクリスマスマーケットについて勝手に語ります。

     

     

    「クリスマスマーケット」といえば、ドイツ在住者には冬の風物詩といえます。歴史も長く、中世からの伝統を誇るものです。
    ドイツの都市の中心部にあるマルクト広場がクリスマスのデコレーションとなり、イルミネーションで彩られたりします。広場では屋台が並び、ドイツ伝統のシュトレンやワインを温めたグリューワインなどが売られたりします。
    マルクト広場に隣接する場所には大聖堂があり、そこで演奏されることもあります。

     

    日本でも様々な場所でクリスマスマーケットが行われるようになりました。
    「東京クリスマスマーケット」は、ドイツのザイフェン村から高さ14mの「クリスマスピラミッド」をシンボルとして開催されます。場所は日比谷公園です。
    恵比寿ガーデンプレイスでは、高さ約5m、幅約3m、クリスタルパーツ総数8500ピース、ライト総数250灯というバカラのシャンデリアが施されます。時計広場ではマルシェが開催され、ここではドイツではなくフランスの雰囲気も味わえます。もちろんドイツのシュトレンも売られています。
    東京スカイツリーでは、4階のスカイアリーナがクリスマスマーケットの会場です。中央に天然のもみの木を使ったクリスマスツリーが立ちます。ヒュッテがあり、そこがドイツの屋台風となり、ビールやワインなどが味わえます。

     

    横浜では赤レンガ倉庫のイベント広場と赤レンガパークで行われます。ここはドイツのニュルンベルクをモチーフにしています。
    名古屋では久屋大通公園で開催され、毎週土・日曜にはサンタクロースが登場します。
    大阪は梅田スカイビルです。高さ27mのクリスマスツリーに、木製のメリーゴーランドがあります。このメリーゴーランドはドイツから持ってきたもので、ヨーロッパに4台しかないという貴重なものです。
    福岡は博多と天神の二箇所でクリスマスマーケットが行われます。
    ミュンヘンの姉妹都市である札幌は大通公園で行われる「ミュンヘン・クリスマス市 in Sapporo」です。

     

    ヨーロッパでオススメなのはオーストリアのインスブルック(Innsbruck)です。
    ここのクリスマスマーケットは他の地域より少し早く、11月中旬から始まります。市内数カ所で行われますが、チロルらしいのは、ケーブルカーで上った山の中腹でも開催されるところでしょう。
    慣れ親しんだハンブルクでも数箇所で行われますが、やはり市庁舎(Rathaus)でのクリスマスマーケットです。メンケベルク(Mönckeberg)通りのマーケットも盛大なので、この2つは徒歩で回ることもできます。アルトナも良さそうですが、ここのマーケットとは残念ながら縁がありませんでした。ちなみにアルトナは以前に取り上げたことがあります。

     

    ハンブルク=アルトナ

     

    昨年は「クリスマスを祝う」にて、クリスマスはイエス・キリストの誕生日ではないことを記しました。でも、世間一般ではそのように思われているようです。
    ミトラ神の生誕が聖なるクリスマスになったわけですが、クリスマスマーケットは別物です、これぞドイツの、いや、ヨーロッパの文化です。

     

     

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