プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
今回はバハ・カリフォルニア半島について勝手に語ります。
バハ・カリフォルニア半島(Península de Baja California)は「カリフォルニア」ではありますが、アメリカではなくメキシコにある半島の名です。
メキシコ西部にあり、太平洋とカリフォルニア湾(コルテス海)を隔てている釣り針の形の半島で、その長さはティファナからサンルカス岬まで約1250kmもあります。
この半島には2つの州があり、北緯28度線を境界として、北がバハ・カリフォルニア州、南がバハ・カリフォルニア・スル州です。
実はここは、半島ではなく、島であると信じられてきた歴史があります。
しかもその期間は16世紀から18世紀まで続いていたようです。
ヨーロッパの人にとって、この半島の発見から入植した段階まで島という認識だったのです。
発見は1533年で、エルナン・コルテスが派遣した遠征隊にいたフォルトゥン・ヒメネスによります。彼は謀反を起こし、バハ・カリフォルニア半島の南端にあたるラパス周辺の陸地を発見したのです。
このラパス周辺については、コルテスが探検することとなり、入植地となりました。しかし、入植はそれほど進まず、バハ・カリフォルニア南端のみの探検から、コルテスはこの陸地は大きな島であると認識していました。
しかも命名した「カリフォルニア島」は、1510年にスペインで発行されたガルチ・ロドリゲス・デ・モンタルボのロマンス小説「Las Sergas de Esplandián」に因んでいました。
その物語では、インド諸島の先にカリフォルニアというこの世の極楽のような島があり、黒人女性たちだけが暮らしているというものでした。いわばアマゾネスの島で、女たちの軍勢と断崖絶壁の自然の城壁により、難攻不落な場所だといいます。
しかも、この島にある金属は金しかなく、したがってアマゾネスの武器も金製だというのです。
女王はカリフィア(Califia)という名で、この女王の名が島の名の由来になっていました。
このモンタルボの創作した伝説の島こそが、「カリフォルニア島」だったのです。
実はここが半島であることは、1539年にはわかっていました。
コルテスはフランシスコ・デ・ウリョアに「島」を太平洋岸に沿って北方へと派遣したのです。その結果、ウリョアはコロラド川の河口に到達したことで、カリフォルニアは「島」ではなく、半島であることが判明したのです。
その後、16世紀にはヨーロッパで出版された地図にも、カリフォルニアは半島とし記されていました。
ところが1622年に発行されたアムステルダムのミシェル・コリジン作成の地図には、再び「カリフォルニア島」となって記され、その後も断続的に18世紀に至るまで、島は消えたり現れたりしたのです。
さて、このバハ・カリフォルニア半島ですが、エンセナーダ(Ensenada)という都市があります。人口は約52万人の都市で、この近郊にグアダルーペ・バレーがあります。
ここは知る人ぞ知るワインの一大産地で、1980年代から本格的なワイン造りが始まりました。ワイナリーの数も100以上あるといいます。
メキシコで最高級のワインは、すべてグアダルーペ・バレー産ともいわれます。
ここは本格的なワイン生産以前からブドウ栽培は小規模ながら行われていました。
それが1905年頃だといいます。
ロシア正教のモロカン派(Молока́не)という、1660年代にロシアから追放された一派の一部がメキシコに移住していました。
砂漠に近い土地でしたが、ブドウの栽培を始め、ブドウを販売していたのです。
そのような土地に、1988年になってドイツ系のハンス・バックオフ・シニアがワイナリーを創業しました。彼は科学者でした。
このワイナリーで初めて高品質ワインの醸造を手がけ、ヨーロッパ、特にフランス、イタリア、スペインから醸造業者を招くとともに、それぞれがそれぞれの地元品種を持ち込んできました。
そのため、種々雑多な品種と醸造ノウハウが入り混じったワインという印象を抱くかもしれませんが、結果的に高品質なワインを生産していることは事実です。
伝説の島から複雑なワイン生産まで、興味はつきない場所です。