今日もワインを飲んでます そして思いついたことを書きつづる

  • ネメアの獅子

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    今回はネメアについて勝手に語ります。

     

     

    ギリシャのワイン産地は主に6つに分けられます。北部、テッサリア地方、イピロス地方、中央ギリシャ地方、ペロポネソス半島、エーゲ海諸島です。
    その中でペロポネソス半島のワインはギリシア全体の約25%が生産されています。
    歴史の授業で出てきた地名かもしれませんが、それもそのはずで、紀元前2000年頃にはミケーネ文明、その後、紀元前10世紀ころからはスパルタを始めとするポリス(都市国家)の地域でした。また紀元前431年にはペロポネソス戦争が起こっています。

     

    ペロポネソス半島のワインで、ネメアという産地があります。
    ここは、ギリシア神話の中でヘラクレスに退治されたネメアの獅子の住んでいた場所として知られています。
    ネメアの獅子はギリシア神話に登場するライオンです。ネメアの谷に居住し、里の人や家畜を襲っていました。
    ヘラクレスはネメアの獅子を退治し、毛皮を持ち帰ることにしました。
    しかし、ヘラクレスの放った矢は効果なく、棍棒で殴っても獅子の毛皮には傷一つつきませんでした。最終的にヘラクレスは3日間に渡って獅子の首を締め上げたことで、何とか獅子を殺すことができまた。
    やがて、ゼウスにより、ネメアの獅子の魂は星座の「獅子座」になりました。

     

    このネメアはペロポネソス半島北東部にある古代遺跡になっていて、現在はコリントス県の一部です。
    ヘラクレスの神話がある地らしく、「ヘラクレスの血」という赤ワインもあるほどです。

     

    地中海世界を形成する古代ギリシアには、知られざるワイン産地が多くあります。観光とともに出かけるもの良い地域かもしれません。

     

  • ラウンドアバウトのある街

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    今回は長野県飯田市について勝手に語ります。

     

     

    長野県飯田市周辺のワイナリーというと、信州ましのワイナリーをおススメしたいと思います。
    伊那谷を見下ろし、南アルプスを一望できる場所にあります。
    ワイナリーですが、りんご畑の中にあり、りんご100%の発泡酒などもあります。ブドウ原料のワインとは異なり、すっきりとした辛口でありながら、りんごの甘い香りに包まれる、何とも新鮮な味わいです。

     

    ところで、飯田市というとリニア新幹線の駅が設置される都市でもあり、伊那谷の中心都市でもありますが、人口は10万人程度で、都市の規模としては決して大きくありません。
    ところが、そんな飯田市にはラウンドアバウト(roundabout)が普通にあります。
    欧州でクルマを運転していた人間としては、特段、珍しくもないものですが、よく考えてみると、なぜ飯田市にある? という疑問がわきました。

     

    ラウンドアバウトとは環状交差点のことで、円形のスペースにいくつかの道路が集まり、円に沿って一方通行を経由して次の行きたい道路へ進む交差点になります。したがって、通常の交差点のように、直進はできず、直進する場合も円形に沿った一方通行を経由して左折で進むことになります。
    ドイツではクルマは右側通行のため、反時計回りに右折して進みますが、日本では当然ながら逆になります。

     

    このラウンドアバウトは、19世紀後半にヨーロッパで普及しはじめました。イギリスが最初で、次がフランスでした。
    この頃は、都市の中心部などにつくられ、景観上の工夫という意味が強かったといいます。
    現代のラウンドアバウトは、1960年代から1970年代にかけて大きな変換点を迎えました。
    イギリスでラウンドアバウトの設計基準が確立され、従来のものと異なる現代的ラウンドアバウト (modern roundabout) と呼ぶようになりました。
    通常の交差点と比較して、事故の防止に効果が顕著となり、ヨーロッパ各国でも、その実績が証明されました。

     

    飯田市には東和町交差点がラウンドアバウトになっています。
    2013年2月5日より日本初の試みで、信号機を撤去し、ラウンドアバウトの交差点に変貌したのです。
    さらに吾妻町の交差点もラウンドアバウトになり、市内に二つ誕生しています。
    日本でしか運転したことのない人には違和感があるかもしれませんが、調べてみると、22都府県で67箇所が運用されているとのこと。特に宮城県に多く、仙台市が11箇所、名取市が5箇所で、宮城県全体では19箇所あるといいます。

     

    飯田市の二つのラウンドアバウトは、交通量が多い交差点ではありません。
    そのため、直進する人にとっては、余計なものに感じるでしょう。
    でも、このラウンドアバウトは、ヨーロッパからのものと考えれば、ワイン生産技術と同じように輸入された知恵ともいえるでしょう。

     

  • 緑のワイン「ヴィーニョ・ヴェルデ」

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    今回はヴィーニョ・ヴェルデについて勝手に語ります。

     

     

    緑のワインとは、アルコール度数が低めで、微発泡の「ヴィーニョ・ヴェルデ」のことです。
    「緑の」というのは、ワインの色が緑色だからというわけではありません。確かに、ポルトガル語の「ヴィーニョ(vinho)」はワインを意味し、「ヴェルデ(verde)」は緑の意味になり、翻訳すれば「緑のワイン」で間違いありません。しかし、「verde」には、新鮮な、フレッシュな、という意味があり、この場合は完熟前のブドウ、つまり新鮮で緑のブドウを使って醸造されるワインとなります。
    実際、ヴィーニョ・ヴェルデのブドウは、一般的なワインのブドウより1カ月から2カ月程度早く収穫されるそうです。
    これが発泡ワインはおろか、微発泡のワインよりもさらに繊細な泡が生じるのだといいます。さらに低アルコールにもなり、飲みやすくなるといいます。

     

    このヴィーニョ・ヴェルデは、ポルトガルの北部にあるミーニョ地方で生産されています。
    この地方はミーニョ都市圏で、リスボン都市圏、ポルト都市圏に次ぐ第3の規模を持つ都市圏になっています。中心都市はブラガ(Braga)です。
    この都市は「祈りの町」としても知られ、「リスボンは楽しみ、コインブラは学び、ポルトは働き、そしてブラガは祈りの町である」と、ポルトガルではいわれているほどです。
    現在では都会的な雰囲気もある都市ですが、都市が小規模ということもあり、観光で行くなら徒歩でおしゃれなカフェ巡りをしたりしても、半日程度で堪能できます。
    近郊には「ボン・ジェズス(Bom Jesus)教会」が一見の価値ありといわれます。
    海抜400mの丘の上に建つ聖地で巡礼者が集まっていきます。まさに「祈りの町」にふさわしい教会です。600段もある階段はバロック様式で、各階段ごとに泉があります。信仰深い巡礼者はひざを使って登るといいます。
    また階段だけでなく、世界で最も古いケーブルカーにも注目です、動力は水だといいます。

     

    ブラガは実は太古より人々が居住していた地域で、先史時代の居住の痕跡もあるほどです。
    ローマ帝国との関係は紀元前136年からで、紀元前20年ごろには、ローマ帝国のブラカラ・アウグスタ(Bracara Augusta)が建設されました。
    その後は、西ゴート王国の領域になったりしました。中世以降はポルトガル伯国の中心地にもなりましたが、大航海時代にはリスボンが中心地となり、ブラガは、祈りの町として独自の発展となりました。

     

    ところで、ヴィーニョ・ヴェルデですが、ブドウ品種はローレイロ、アリン、アザール、トラジャドゥーラ、パデイロ、エスパデイロなどです。
    最も人気があるのはアルバリーニョで、磯の香りが微かに感じられるという特徴があります。
    それが影響しているのでしょうか、日本人には和食とあわせることで、ヴィーニョ・ヴェルデの価値は高まったように感じます。

     

  • アラタウの真珠

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    今回はカザフスタンについて勝手に語ります。

     

     

    天山山脈の支脈で、中国とカザフスタンに跨るジュンガル・アラタウ山脈があります。
    「アラタウ」とは、古テュルク語で「色とりどりの花の色」という意味だそうです。そのような名がつくほどまでにアラタウ山脈は美しいといわれます。
    そのアラタウ山脈には、かつては「アラタウの真珠」と呼ばれていた湖がありました。
    その湖はイシク湖で、イシクはカザフスタンのアルマトイの東方に約40km行った都市の名でもあります。

     

    イシクはカザフスタンワイン生産の約80%を占める地域です。
    カザフスタンはブドウ栽培に適した土地が少なく、ブドウ栽培可能地域は国内面積に対して、わずかに約4%程度しかありません。それにも関わらず、国内で2360万リットル以上のワインが生産されているそうです。
    その中心地がイシクというわけです。

     

    では、イシク湖はというと、これは1万年前くらいに前に誕生したといわれています。
    イシク川周辺に地滑りが起こり、自然のダムができたことで、堤防の高さが300メートルに及ぶ自然ダム湖が誕生したようです。
    湖の色はエメラルド・グリーンで、豪快な瀧もあり、大自然が形成したダム湖は、「アラタウの真珠」と呼ばれるにふさわしい美しさだったそうです。

     

    しかし、1963年に劇的な変化が起こりました。
    イシク川の上流のジャルサイ山より土石流がイシク川を襲ったのです。その破壊力は凄まじく、自然形成のダムを壊してしまいました。
    これにより、湖を越えた土石流はますます激しさを増し、下流のイシクに多大なる被害を齎したのです。
    イシク湖はこの被害により事実上消え失せました。かすかすに川よりは湖らしい姿が見えるだけでした。
    そして次の展開がありました。
    1990年代になって、今度は人工的にダムを作り、以前のような美しい湖を取り戻したのです。

     

    さて、カザフスタンですが、ブドウ栽培の最も古い痕跡は7世紀頃といいます。場所はマトイ州の天山山脈山麓で、ブドウは欧州経由ではなく、新疆ウイグル自治区やウズベキスタン、サマルカンドなどの交易により持ち込まれたといわれています。
    7世紀頃といえば、その前世紀にエフタルが突厥とサーサーン朝によって滅ぼされ、突厥の領土となっていた時期です。
    20世紀はソ連構成ですが、この間の歴史は、まさに劇的です。機会があればぜひ語りたい内容です。

     

    現在のカザフスタン共和国になったのは、ソビエト連邦崩壊後の1991年12月16日です。
    世界最大の内陸国であり、宗教はイスラム教が70%、キリスト教が26%です。
    構成的にイスラム教国家といえなくはないですが、カザフスタンのイスラム教の戒律は緩いようで、飲酒も公然と行われていることから、ワイン消費量が多いのも頷けます。

     

  • マロン典礼カトリック教会

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    今回はマロン典礼カトリック教会について勝手に語ります。

     

     

    マロン典礼カトリック教会(Maronite Church)をご存知でしょうか?
    キリスト教東方典礼カトリック教会の一派ですが、中心地は中東のレバノンです。

     

    レバノンは、中東にあり、公用語がアラビア語の国ということで、イスラム圏のイメージもあるかもしれませんが、実は国民の約40%がキリスト教なのです。
    そのキリスト教の中で最も多数を占めるのがマロン典礼カトリック教会です。
    ワインと関係の深いキリスト教信者が多いことから、レバノンはアラブ圏で随一のワイン産地になっています。
    位置的にも地中海があることから、気候も地中海性で、ブドウ栽培に適した穏やかな気候に恵まれています。

     

    また、レバノンは中東諸国の中で砂漠が存在しない唯一の国といえます。
    それだけ気候的には恵まれていて、南北に貫くレバノン山脈には雪も積もります。
    何より紀元前7000年にはすでにワインが造られていたと言われるほどの地域なのです。世界最古のワイン産地の一つに数えることができます。

     

    では、話を戻して、マロン典礼カトリック教会とは何でしょうか?
    マロン派は、ローマ・カトリックでも、東方正教会でもなくスタートしました。そもそも、マロン派が誕生した頃には、ローマ教会は東西分裂していなかったからです。
    創始者は聖マロンで、当初はキリストの人格にはただ1つの意志があるのみとする単意論(Monothelitism)を採用していました。
    この単意論は、カトリックでは度々議論されていましたが、のちの641年のローマでの公会議、649年のラテラン公会議、最終的に681年の第3コンスタンティノポリス公会議で異端とされました。カトリックでは、ここまでの公会議で単意論論争は終結しました。

     

    マロン派も1180年にカトリックに帰属することになりました。
    そのため単意論ではなく、教義もカトリックと同一となりました。
    これは対イスラム勢力との関係で、十字軍の存在が関係していました。

     

    しかし、マロン派が完全なカトリックの一派になったのかと、いえば、必ずしもそうとはいえませんでした。
    マロン派独自の典礼はそのまま引き継がれたのです。教会組織もマロン派独自の体制であり、古シリア語やアラビア語もそのまま使われました。
    現代でもローマ教皇をトップとする組織でありながら、教義はカトリック教会、レバノンの組織や典礼はマロン派の伝統を維持しています。

     

    あまり身近に感じないマロン派ですが、日本には馴染みのある有名人がマロン派にいます。

     

    カルロス・ゴーン(Carlos Ghosn)です。
    また、レバオンの歴代大統領も、メディアの女性キャスターや歌手なども、すべてマロン派です。
    ワインについては改めて語る機会があるかもしれませんから、本日は、ここまでにしましょう。

     

  • マールボロ(Marlborough)

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    今回はマールボロについて勝手に語ります。

     

     

    かつて不毛の大地と見なされ、見捨てられていたマールボロ(Marlborough)。
    ニュージーランドの南島の東北端に位置しています。
    この地に、1973年に開墾が始められました。
    その結果、ニュージーランド最大の栽培面積を持つブドウ産地にまで発展し、世界でも突出したソーヴィニヨン・ブランを輩出することになりました。この地域の全栽培面積の約78%がソーヴィニヨン・ブランです。

     

    現在ではブレナム(Blenheim)という都市を中心に、137軒ものワイナリーがあります。
    ブレナムは、ニュージーランドの首都ウェリントンから約120キロ北に位置しています。この都市の人口は、わずかに3万人程度、マールボロ地方全体でも4万3000人程度です。

     

    実はこの地は大きな地震の被害がありました。
    2016年11月14日です。マグニチュード7.8の大地震でした。
    この地震がワインに与えた影響は、約2%程度、量にして約500万リットルのワインが破損し、流れ出てしまったといいます。より問題だったのは約20%の熟成用タンクが被害を被ったことでした。

     

    ニュージーランドのワインは新世界ワインですが、オーストラリアのワインとは微妙に異なっています。
    オーストラリアと共通する部分は、スクリューキャップが99%と高いことです。これは、オーストラリアでスクリューキャップを積極的に採用していたことに呼応したものです。
    そのため、ニュージーランドワインであれば、たとえ高級ワインでもワインオープナーがいらない手軽さがあります。

     

  • 謎の独裁国家トルクメニスタン

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    今回はトルクメニスタンについて勝手に語ります。

     

     

    カラクム砂漠が国土の85%を占めているため、人間の居住地域は南部の山沿いに集中しているトルクメニスタンは、日本人には馴染みのない国と言えます。
    旧ソ連の構成国でしたが、独立し、永世中立国となりました。
    国の面積は日本の1.3倍ありますが、人口はわずかに580万人だけです。トルクメン語が中心ですが、公用語はロシア語で、他にウズベスク語を話す人も多くいます。 

     

    イスラム教徒スンナ派が最も多いものの、キリスト教徒もいて、ワインも生産されています。もちろんキリスト教はカトリックでもプロテスタントでもなく正教会です。
    旧ソ連との関係があるため、酒類はヴォトカも多く流通しています。しかも低価格だといいます。
    ビールやスパークリングワインも人気があるそうです。
    あまりイスラム圏の印象がしないほどです。
    ちなみにワインに使われるブドウですが、固有種が使われているようで、どんな味なのか、ぜひ確かめたいと思ってしまいます。

     

    このトルクメニスタンの大統領はグルバングル・ベルディムハメドフです。
    最初は、2006年12月に在任中のニヤゾフ大統領が死去したことに伴って、大統領代行に就任したことです。翌年2月に大統領選挙が行われ、得票率が89.23%という驚くべき数値で当選しました。
    その後、2012年の大統領選挙は97%の得票率、2017年の選挙では97.69%の得票率という驚異的な得票率を誇っています。
    そのような選挙の背景から国民の支持を受け、大統領の神格化による個人崇拝もあり、完全なる独裁国家になっているといえます。

     

    独裁国家の情報は制限されるため、どうしても日本では本当の姿がよくわからず、ワインの視点でも、よくわからないのが実情です。どうしても固有種のワインを飲みたかったら、現地へ行くしかないのかもしれません。
    実はトルクメニスタンは、歴史好きな人には魅力的な国で、紀元前2世紀頃のパルティア王国発祥の地といわれるニサ遺跡があります。教科書ではもしかしたら「安息国」と表記されていたかもしれない、そのパルティア王国です。
    シルクロードのロマンとあわせてペルシアやイスラム帝国、モンゴル帝国などに統治された地域を旅するのは興味深いと言えます。

     

    独裁国家に行くのは抵抗があるでしょうが、機会があればぜひ。

     

  • アフリカ最古の独立国

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    今回はエチオピアについて勝手に語ります。

     

     

    フランスのボルドーにあるワイナリー・カステル社は、エチオピアの国営工場・ギョルギス社を買収したことで、エチオピアでのワイン事業を行っていましたが、2007年には現地子会社であるBGIがさらなる新事業を展開しました。
    これはカステル社の事業規模拡大と、エチオピア政府の国内産業の多角化という利害が一致したことで実現しました。
    これによりエチオピアのブドウ生産が現実化し、しかもボルドーからブドウを運び入れてのスタートでした。

     

    とはいえ、アフリカはブドウ栽培に適した地域ではありません。
    そこでカステル社は、標高1630mの高地にあるズワイにブドウの農地を開拓し、赤・白それぞれのブドウを栽培するようにしたのです。

     

    そんなエチオピアですが、実はアフリカ最古の独立国です。
    意外と知られていないかもしれませんが、キリスト教の影響を受けた地域でもあるのです。キリスト教といえばワインが必需品ですが、自国で栽培できなかったものが、ボルドーの力を借りて、現代では生産可能となっているのです。

     

    キリスト教は4世紀には入ってきています。
    カトリックではなく、東方教会の一派で「コプト正教会」です。
    東ローマ皇帝マルキアヌス(Marcianus)によって召集され、開催されたカルケドン公会議では、単性説(Monophysitism)というイエス・キリストが単一の性(natura)のみを有するという説を排斥することが目的でした。
    しかし、このカルケドン公会議を承認せず、分離していった教会の一つがコプト正教会です。
    非カルケドン派としては、アルメニア使徒教会、シリア正教会、エチオピア正教会などがあり、現在のエチオピアではエチオピア正教会が中心になっています。

     

    位置的にイスラム勢力との関係もありますが、ここにもエピソードがあります。
    西暦622年前後のことですが、イスラム教の開祖であるムハンマドとその信者達がメッカでの布教を諦めて、アビシニアやヤスリブなどへと移住しました。
    その時代はアクムス王国でしたが、ここでムハンマドと初期の時代の信者たちを匿ったといわれています。そのためか、イスラム帝国以降には紅海やナイル周辺はイスラム支配下になり、アクスムは孤立化したものの、侵攻されることはありませんでした。
    イスラムとの友好関係が維持され、イスラムへの改心を迫ることもあいませんでした。

     

     

    このようにエチオピアの歴史は興味深いことが多く、非カルケドン派も深掘りしていくと思わぬ発見があったります。
    そんな国で生まれたワインにも興味を抱かないわけにはいかなでしょう。

     

  • カオール(Cahors)の「黒のワイン」

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    今回はカオールについて勝手に語ります。

     

     

    ガロンヌ川に合流するロット川(Lot)は、フランス南西部を流れています 。
    その川が市内に流れているカオール(Cahors)はオクシタニー地域圏の都市です。
    この地域はフランスで最も古いブドウ栽培地の1つに挙げられています。

     

    ロット川に沿って、曲線を描くようにカオールの都市部は広がっています。
    旧市街地は、中世の雰囲気を残した街並みで、赤レンガも目立ちます。
    ブドウの品種は、マルベック、メルロー、タナなどで、別名を「黒のワイン」といわれるワインがカオールワインの特徴です。それほどまでに濃厚な赤が目立つワインで、AOCカオールは、ロット県内の45ヶ所で生産される赤ワインでもので、マルベックを70%以上使用するように義務付けられています。「カオールの黒」ともよばれます。

     

    カオールの歴史は古く、ケルト人の時代にまで遡ることができます。
    古代ローマ人はケルト人を「ガリア人」と呼んでいましたが、厳密には「ケルト人」と「ガリア人」はイコールで結べません。
    「ガリア人」はケルト人の中で、ガリア地域に居住している人のことを指します。
    ケルト人はヨーロッパ土着ではなく、中央アジアから馬や馬車などで渡来したインド・ヨーロッパ語族で、その中のケルト語を話す民族でした。

     

    カオールが大きな騒乱に巻き込まれたのは中世で、悪名高いという評判の都市になってしまいました。
    その原因が銀行家でした。
    貸付金に利子を取る銀行家というのは、今では常識ですが、当時はカトリック教会が利子をとることそのものが「罪」であるとしていたからです。

     

    カオールはボルドーから遠くない位置にありますが、歴史もワインも全く異なりますので、背景まで知ればより興味深いといえます。

     

  • キャンティとキャンティ・クラシコ

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    今回はキャンティとキャンティ・クラシコについて勝手に語ります。

     

     

    Chianti(キャンティ)とChianti-Classico(キャンティ・クラシコ)。
    販売されている価格帯も広く、1,000円に満たないで購入できるものから、1万円出しても購入できないものまであります。
    どういうことでしょうか?

     

    まず、キャンティとキャンティ・クラシコの違いですが、一般の人には区別する意味さえ分からないかもしれません。
    実際、曖昧な区別ともいえます。
    しかし、実は明確に異なるのも事実です。

     

    キャンティとキャンティ・クラシコの違いは、生産エリアの違いです。
    イタリアのトスカーナ州で生産されるワインですが、辛口の赤ワインであるキャンティで、特定の地域で、なおかつ特定の条件で生産されたワインがキャンティ・クラシコです。
    キャンティは、地域としてのDOCG指定を受けた場所のことで、キャンティ・クラシコは地域とは別に品質を保障されたものを指しますが、それこそが地域を限定していることに繋がります。カステッリーナ・イン・キャンティ、ラッダ・イン・キャンティなどです。
    キャンティの歴史は古いのですが、キャンティ・クラシコは、いわばそこから独立したようなもので、歴史的には18世紀以降からのことです。

     

    キャンティのDOC認定は1967年、DOCG認定は1984年。
    キャンティ・クラシコがDOCG認定を受けたのは1996年。

     

    キャンティから独立したのがキャンティ・クラシコですから、もともとはキャンティの一部だったことになります。
    つまり、キャンティにはそれだけ幅があったわけです。したがって、キャンティには安物から高額なものまであり、それが価格の幅に繋がっているわけです。
    逆にキャンティ・クラシコは、条件が一定ですから、比較的価格差が少ないといえることになります。

     

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