今日もワインを飲んでます そして思いついたことを書きつづる

  • ゾロアスターの神酒

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    今回はワインを飲みながら、知られざる宗教の話を語ります。

     

     

     

    取り上げるのはゾロアスター教です。
    かつてのイラン、ペルシャの国教だったゾロアスター教は、古くからワインが生産された地域に近い距離にあります。しかし、キリスト教やユダヤ教とワインの結びつきのようなものはありません。
    唯一、ゾロアスター教の神酒とよばれる例外的な酒はハマオ(Haoma)です。
    ゾロアスター教では、酒は狂騒をもたらす悪魔の飲み物とされてきました。それにもかかわらず、このハオマだけが神聖な酒として特別視されてきました。
    しかし、ハマオがどんな酒かというと、ハオマ草を搾って造る酒だと伝えられているものの、かなり古い時代から実物はないようです。

     

    ゾロアスター教の教祖はゾロアスター、ドイツ語読みするとツァラトゥストラ。
    あのニーチェの代表作である『ツァラトゥストラはかく語りき』で有名なツァラトゥストラです。山にこもっていたツァラトゥストラは、神が死んだことを知り、絶対者のいない世界で、新たに「超人」を教えようとします、。しかし、一般の民衆は話を聞こうとはしません、そこで、ツァラトゥストラは、理解する人を探し始めます。
    ツァラトゥストラが山を降りたり、出たりしながら、物語は進行していきます。この物語を通じて、ニーチェは彼独特の思想である、神の死、超人、永劫回帰を論じています。

     

    さて、肝心な宗教としてのゾロアスター教ですが、実はかなりの歴史があります。
    アケメネス朝ペルシアの時代には、ほとんどのペルシア人が信仰する宗教でした。ササン朝ペルシアでは国教とされ、王権の正当性に影響を与えていました。
    また、ペルシア商人により、シルクロードを経て中央アジアや中国へも伝播していきました。

     

    衰退は7世紀後半からのイスラムの台頭です。
    ペルシア人もムスリム化し、ゾロアスター教の活動の中心はインドへと移っていきました。

     

    教義は、善と悪の二元論がベースになっています。「世界最古の一神教」とも言われています。漢字では「拝火教」 と書くように、「火」に特徴があります。
    偶像崇拝ではなく、炎に向かって礼拝するのも独特で、これは密教の護摩焚きとの共通を見ることもできるかもしれません。
    中国では「祆教」ともいわれ、唐の時代には「三夷教」の一つとして隆盛していました。

     

    かつて世界宗教として隆盛していたものの、現在では信者の数は10万人程度だといわれます。信者の分布では、発祥の地であるイラン、最終的にいきついたインドを始め、欧米圏にもいるようです。しかし、どの地域でも少数派になっています。

     

  • 日本のワイナリー(神奈川)

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    今回は日本のワイナリーから、神奈川県について語ります。

     

    日本のワイナリー(東京)

    日本のワイナリー(埼玉)

     

    神奈川県横浜市でワイナリーといえば、2017年にオープンした「横濱ワイナリー」でしょう。
    キャッチコピーがなかなかです。
    「日本で一番小さな、一番海に近いワイナリー」
    「横浜生まれのハマワイン」

     

     

    実は横浜のワイナリーは、明治からありました。
    保土ケ谷に皇室御用達のワイン製造メーカーがあったのです。場所は現在の峯小学校付近で、ブドウ園は現在の横浜国大と常盤園の間、現在の桜丘高校近などです。
    このワイナリーを開設したのは小田原藩士の子だった中垣秀雄で、彼はアメリカでブドウ栽培とワインの製造法を学んできていました。まだ明治の時代です。
    順調にワイン製造が進みましたが、1923年(大正12年)の関東大震災では、大きな被害を受けました。醸造兼貯蔵庫が全壊してしまったのです。再建不能かと思われたものの、何と短期間で回復しました。

     

    これが帷子葡萄園で、一時期は横浜駅から特別バスが出るほどの人気になりました。また、隣接するゴルフ場に来た外国人なども足を運び、文化人の集う場所にもなっていました。
    1928年(昭和3年)には国産振興東京博覧会があり、ここで、皇国赤葡萄酒、皇国ポートワイン、皇国規那鉄葡萄酒が受賞しました。これを機に日本だけでなく海外への販路拡大に進むことになりました。そこでブドウ園の規模を拡大するため、1934年(昭和9年)にブドウ園を現在の相模原市南台に移転しました。
    しかし戦争中に、移転先のブドウ園は接収されることになってしまいました。さらに戦災を乗り越えて戦後に復活したものの、昭和30年代前半には廃業してしまいました。

     

    現在、このブドウ園の名残としては、「ぶどう園前」というバス停だけのようです。

     

    もうひとつ、神奈川で言及したいワイナリーといえば、ゲイマーワイナリーです。
    創業は1952年(昭和27年)です。やはり場所は相模原で、ここでもゴルフ場に隣接していました。ゲイマーブドウ農園の広さは16000坪あったようで、首都圏にあるワイナリーであることを考えると、今では想像できない規模であり、しかも本格的ワイナリーでした。
    このゲイマーワイナリーでは、収穫祭を行い、フランス大使や、周辺の在日フランス人が集まる場所でもありました。
    販売については、都内の港区に販売店がありました。

     

    ゲイマーワイナリーは、マーセル・ゲイマー(Marcel Gueymard)の名からできたもので、夫人は戸田康子でした。
    マーセル・ゲイマーの実家がフランスのプロヴァンスでワイナリーをしていたことから始まったもので、最盛期には40,000リットルの販売量を誇ったといわれています。

     

    残念ながらゲイマーワイナリーも夫妻が他界したのち、後継者問題や環境問題などで廃業となってしまいました。

     

    神奈川のワイナリーには独特の歴史があります。

     

  • 存在と時間とワイン

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    今回もワインを飲みながら、読書感想を語ります。

     

     

     

    今回もワインを楽しみながら本を読んだ感想を語ります。
    読書の秋なので、今回も難解な書籍を選びました。ハイデガーの「存在と時間(Sein und Zeit)」です。

     

    Die Frage nach dem Sein

     

    「存在の問い」の必然性です。

     

    まず、巻頭でプラトンが登場します。
    「『ある』という言葉で何を思い描くのか? この問いに対する答えがあるのだろうか?」
    ハイデガーはこの答えは未だにないとしています。そればかりか、質問も含めて忘れ去られているとしています。そこで、最初にこの問いについての構造から出発しています。
    まるで、わざわざ理屈を付け加えている印象を持ちますが、これこそが存在論の出発点といえます。これから頭脳をフル活動させないといけない予感に、糖分補給で甘口ワインを飲むことにします。

     

    哲学らしい表現で、プラトンの問を要素で分けると、
    ・問われているもの=存在
    ・問いかけるところ=存在者
    ・ 問いによって求められたもの=存在の意味
    このようになります。
    ここからハイデガー独自の用語が出てきます。それが現存在(Da-sein)です。
    存在者が現存在ではなく、存在者が問うことで自己の存在の可能性としていることが重要で、人間自身の構造を問うことで、そのような人間こそが現存在となります。

     

    ここまで要約してしまうと、何をいっているのかさっぱりわからなくなります。
    ただドイツ語がわかる人なら、Da-sein から、何となく連想できるでしょう。むしろ、これを日本語にすることに無理があるのかもしれません。

     

    分厚い書籍なので、ここまでの段階でワインの酔いがまわってきて挫折です。
    続きは次回に繰越です。

     

  • ルイス・フロイスと日本とワイン

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    今回はフロイスについて勝手に語ります。

     

     

    ワインの日本到来については、フランシスコ・ザビエルを取り上げて、このブログで勝手に語りました。
    次に登場するのは同じくイエズス会の宣教師だったルイス・フロイスです。
    フロイスといえば、『日本史』という編年体の歴史書で知られています。

     

    イエズス会司祭ジョヴァンニ・ピエトロ・マフェイは、イエズス会第4代総長エヴェラール・メルキュリアンへ書状を送り、フロイスを布教活動から引かせ、日本でのキリスト教布教史を書かせるようにしました。これにより、フロイスは10年以上にわたって執筆を続けたといいます。

     

    そのフロイスですが、1568年には堺にいました。ここから入洛することができたのは、信長の許可があったからでした。信長と会ったフロイスは、キリスト教の教えを説いたといいます。その結果、京に住むことが許可され、布教の許可も得ることができました。さらには将軍の足利義昭とも会うことができました。
    フロイスは信長に様々なものを贈りましたが、その中にポルトガルのワインが含まれていました。これは信長だけでなく、戦国武将の間でも好まれたといわれています。

     

     

    しかし、そのワインは珍陀酒とよばれるもので、実際に信長が飲んだかどうかは記録になく、史実かどうかは分からないようです。
    その一方で、秀吉には、ワインが献上されたことが記録に残っています。
    ただし、最初に献上したのはフロイスではなく、別の会派の宣教師でした。1594年のことで、進物の中に「葡萄酒」が2樽と記録されています。

     

    信長と友好関係にあったフロイスですが、イエズス会の勢力が拡大するにつれ、危機感を抱くようになってきたことから、1587年には伴天連追放令を出すことになりました。フロイスは九州へと移動しました。
    秀吉と会ったのは、一度帰国したあとで、天正遣欧使節とともに再来日したときでした。聚楽第で秀吉と会見しました。その後、マカオに渡りましたが、1595年に長崎に戻ってきます。没したのも長崎で、享年65歳でした。
    フロイスは『日本史』だけでなく、『日欧文化比較』など、数多くの著作を残しました。

     

    鎖国前の一時期、宣教師によりワインが日本に入り、それがそのまま各地に広がらなかったことは、現代に生きるワイン好きの人には悲劇に感じるかもしれません。
    しかし、これこそが日本の歴史といえるのかもしれません。

     

    なぜなら、ザビエルやフロイスよりはるか以前から、キリスト教は景教・ネストリウス派として、明らかに日本に入ってきていると思われるからです。空海の入唐求法の旅では、長安では景教全盛期でした。そこで高野山こそがキリスト教のシルクロード終着点といわれているのです。
    表面化されないまま根付いた景教は仏教や神道に入り込み、日本独特の文化を形成していきます。
    おそらくカトリックとともに入ってきたワインも、姿をかえた文化に影響している可能性があるのだと思います。

     

  • ワインと科学

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    今回はワインと科学を勝手に語ります。

     

     

    山梨大学には「ワイン科学研究センター」があります。
    日本では珍しい研究機関といえるでしょうが、ヨーロッパではワインを科学的に研究することは昔からあったようです。世界21カ国に広がる研究機関もあり、山梨大学も加盟しています。それがブドウ・ワイン関係の教育研究機関(Oenoviti International Network)で、大学・研究所・民間などで成り立っています。
    このネットワークの中心は、フランスのボルドーです。

     

    山梨大学のワイン研究では、海洋環境から分離された酵母を使ったものが知られています。
    酵母は糖を発酵させてアルコールに変える働きをする菌類ですが、これを海洋酵母で醸造に成功させたことは知る人ぞ知ることかもしれません。もともと醸造に向く酵母は、ワインで代表されるように果実などの糖分の多い場所で生息しているものです。
    一方で海洋酵母は、海水中に生存しているものです。
    もともと第一三共株式会社が三共株式会社だった時代に、医薬品開発のために海洋環境から分離・培養に成功した酵母です。この酵母にブドウを組み合わせて醸造し、全く新しいワインを誕生させたのです。
    これは商品化され、2000年にサッポロワイン株式会社より「海の酵母のワイン」として発売されました。

     

    科学の力を借りて、新しいワインを作り出すとことは、伝統的なワイン醸造からすれば邪道かもしれません。
    しかし、科学を加えての新たな商品開発は、今後も続いていくでしょう。科学とワインも相性は悪くありません。

     

  • 意志と表象としてのワイン

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    今回はワインを飲みながら、読書感想を語ります。

     

     

     

    読書の秋ですから、ワインを楽しみながら本を読みます。
    難解な書籍かもしれませんが、ショーペンハウアーの「意志と表象としての世界」を今回は紹介します。この本には、辛口の白ワインがあいます。

     

    「意志と表象としての世界」(Die Welt als Wille und Vorstellung)は、1819年に公刊された書籍で、ショーペンハウアーの代表作です。
    実存主義、特にニーチェに影響を与えただけあって、存在論に絡む部分と、ドイツ観念論との対比が顕著かもしれません。
    また、仏教的な要素も多く、有名なのは「充足理由律」です。これは、「どんな出来事にも原因がある」、つまり原因と結果という仏教の根本原理です。「なぜ」と質問すると、必ず「なぜならば」という説明がある、そんな原理のことで、あまりにも当たり前の内容ともいえます。ショーペンハウアーはこれを、先天的な時間空間、ないしは「存在 (essendi) の根拠」で、これが充足理由律になります。

     

    ショーペンハウアーは、「世界はわたしの表象である」として、いかに客観的であろうとも、実は主観による制約を受けているとしています。従って世界とは、主観によって制約された客観となり、それ自体は「わたし」の表象になります。これだけなら当たり前の話に終始してしまいそうですが、ショーペンハウアーの場合、「世界はわたしの意志である」とまで述べています。
    では、「わたし」自身の表象では、身体を動作させることになりますが、それは自己意識では、生きるための意志 (Wille zum Leben) となります。これはさらに、「わたし」自身からの類推 (analogie)として、世界の他の本質も意志とみなしていきます。これをショーペンハウアーは「あらゆる表象、すなわちあらゆる客観は現象である。しかしひとり意志のみは物自体である」と語っています。

     

    ここまで来ると、ワインの酔いが効果を発揮して、眠りの世界へと誘ってくれます。睡眠不足が解消されそうです。
    さすが、意志と表象としてのワインです。

     

  • 実存主義はワインとともに

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    今回は実存主義について、ワインを飲みながら語ります。

     

     

     

    殺人的な暑さが続いた夏が終わり、台風の季節とともに温度計の急上昇はなくなりました。読書の秋、到来です。
    そこで、ワインを飲みながら秋の夜長に哲学書でも読みたいと思います。贈られてうれしいワインは、自分で飲んでもうれしいものです。そんなシエル・エ・ヴァンのワインを飲みながら、今回は難解な話題にチャレンジです。

     

    日本人はニーチェが好きな人が多いので、ニーチェの実存主義を窓口にして、ワインを堪能しようと思います。
    実存主義では「l’existence précède l’essence 」という表現に代表されるもので、これは日本語で「実存は本質に先立つ」と訳されています。フランスのサルトルの言葉です。
    さらにシモーヌ・ド・ボーヴォワールは、「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」という言葉が印象的です。
    これは人間で言えば、本質があって生まれてきた、また、その本質によって生きている意味がある、という従来の考え方を真っ向から否定するものです。人間の本質を例えば「魂」とすれば、このサルトルの考えは従来のキリスト教価値観を否定するものになります。サルトルは、本質そのものや、本質の価値とは、当初から存在するものではなく、生きていくことで形成されるものとし、無神論へと結びつく考え方になっています。

     

    この実存主義の流れは、「神は死んだ」と宣言し、能動的なニヒリズム の思想を展開したニーチェこそが先駆者といえます。
    これは、神・霊・魂などの宗教的な観念が虚構であるとし、それによって本来の人間ににとって大切な健康管理や栄養学的な視点、衣食住の基本スタイルなどが、重要視されてこなかったことを指摘しています。
    もはや神は虚構として人間の固定観念に縛り付けていたものに成り下がり、ついに神は死に、冒涜することも出来なくなったとしています。単にキリスト教を超克するというものではなく、ニーチェの虚無主義宣言だったといえます。

     

    しかし実存主義で面白いのは、ニーチェ、サルトルのような反キリスト教だけではなく、神から与えられた可能性を実現することに生の意義を見出すことを主張したキルケゴールなどは、実存主義という枠組みではキリスト教信仰を土台としています。
    精神医学から哲学へと進んだのはヤスパースで、彼もキルケゴールの影響を強く受け、神へと向かう人間存在(実存)についての「心理学的研究」というキルケゴールの方法論を見出しました。

     

    このような実存主義哲学ではありますが、実はこの名称はもともとは蔑称でした。
    第二次大戦後のパリで、その日暮らしをしながら夜の繁華街に屯する若者を指すもので、ただそこに存在している状態、つまりそれが現実の存在だという実存主義という、ものだったのです。
    今では哲学史の中で、それこそ強烈な存在を放つものではありますが、当時はそんな扱いの表現だったのです。

     

    ワイン文化の国々で発展した哲学なので、ワインを飲みながらというのは、まさに最適です。機会をみて、ショーペンハウアーやシュティルナー、それに何といってもニーチェを深く掘り下げたいと思います。

     

  • 高品質・少量生産 スイスのワイン

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    今回はスイスについて語ります。

     

     

     

    ワインで有名なフランス、イタリア、ドイツに囲まれているにもかかわらず、スイスのワインは、あまり目にしたことも耳にしたこともないのでは?
    その理由は極めて単純です。

     

    自家消費率が高いため、ワインをあまり輸出していないからです。

     

    しかも、スイス国内で生産されるワインだけでは賄えず、国内生産量の3倍を輸入してる国でもあるのです。これなら日本にスイスのワインが入ってこないのは当然のことです。
    生産量という点では、スイスは山岳地帯が多いため、ブドウの栽培地も限られてしまいます。アルプスでブドウ生産は現実的ではありませんから、どうしても標高の低い地域で生産されることになります。

     

    スイスでワインが生産される地域というと、ヴァレー州、ヴォー州、ジュネーブ州になります。小高い山の急斜面にブドウ畑が広がるのは、ドイツと似ています。
    その中でヨーロッパで最も標高が高いブドウ畑で栽培されるのが、代表的な品種として白ワインのハイダ Heidaがあります。標高は1,340メートルです。アルプスの山々に比べればそれほどの標高ではありませんが、それでもスイスらしいワイン生産といえるかもしれません。

     

    またスイスらしいブドウ品種としては、幻の白ワイン・ブドウとして知られる「シャスラ(Chasselas)」があります。
    レマン湖を臨む斜面で栽培されるブドウで、絶壁といえるほど急峻な地域ですが、そこから望むレマン湖畔の美しさは見事です。その美しさをそのまま表現したのが、シャスラであり、この地域の人々の誇りでもあるようです。
    スイスではこのような急斜面でのブドウ栽培が多く、しかも手作業に頼ることから、どうしても人件費の問題が出てきます。そのため、スイスでは、ワインの品質を保つことを目的として、国や地方自治体での管理が行われています、ブドウの生産量を制限し、高品質・少量生産になっているのです。

     

    そんなスイスのワインは、やはり現地で飲むしかありません。
    ぜひ、機会があればスイスのワインを堪能してみてください。

     

  • 猫用ワイン

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    今回は猫のワインについて語ります。

     

     

    まずはこの動画です。
    Apollo Peakが猫用ワインと犬用ワインを販売しています。 

     

    ピノ・ノワールと猫の鳴き声(Meow)をもじったワイン「Pinot Meow」と、「MosCATo」の二種類です。
    猫用なのでアルコールは入っていません。しかし、猫がほろ酔い気分になれるように、ハーブのキャットニップが入っているそうです。

     

    発売されたのは2015年で、かなりの話題になり、売上も相当だったようです。

     

    猫好きな人は、愛猫と一緒にワインを飲むことができるわけで、欲しくなる人もいるでしょう。しかし、残念ながらApollo Peakはアメリカのコロラド州にあり、日本では販売していないようです。アメリカを除くと、プエルトリコやヴァージン諸島だけとの情報があります。

     

    ただ猫好きな人は、成分のキャットニップに注意するかもしれません。
    これは別名を西洋マタタビとか、イヌハッカともいいます。
    日本では猫にマタタビ、というのは定番ですが、これは英語で「Silver Vine」といい、学名は「Actinide polygamy」です。
    世界中に成育する植物ではなく、日本や朝鮮半島などが主であるため、日本に限らずアジアでは「猫とマタタビ」の組み合わせが定着しています。アクチニジンやマタタビラクトンという化学物質によって、猫の特有の反応があります。
    一方キャットニップですが、こちらも植物ですが、日本語では「イヌハッカ」といい、学名は「Nepeta cataria」です。
    キャットニップにある科学物質で猫に影響を与えるのは、ネペタラクトンと呼ばれる成分です。マタタビと同じように、猫が吸い込むことにより、恍惚感が生じます。脳の扁桃体や視床下部に影響を及ぼすようです。

     

    このキャットニップは、人間ではマリファナを吸った時に感じる「ハイ」の状態と同様の効果があると言われています。
    しかし、猫の約35%はキャットニップに反応する遺伝子を持っていないようです。そのため、この猫用ワインも全く興味を示さない猫も数多くいることになります。
    そのせいか、猫にとってはキャットニップよりマタタビの方がその効力が強いと言われているようです。ただし、その理由についてはまだ明らかになっていないようです。

     

    ちなみにですが、Apollo Peakの創業者は、猫好きとして知られた人物のようです。

     

  • 黒猫伝説・Zeller Schwarze Katz

    プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
    今回は黒猫について語ります。

     

     

     

    Zeller Schwarze Katz
    ドイツのワインで、「黒猫(ツェラー・シュヴァルツ・カッツ)」は、スーパーでも気軽に購入できることから日本でも馴染みがるといえるかもしれません。

     

    ワインとしてはかなりジューシーで、軽く、酒の苦手な人でも飲みやすいので、フランスワインの好きな人には逆に好まれないかもしれません。また、エチケット(ラベル)が黒猫なので、その可愛らしさに惹かれる方も多いかもしれません。

     

    「ツェラー・シュヴァルツ・カッツ」は、日本語にすると、Zeller(ツェル村の)、Schwarze(黒い)、 Katz(猫)になります。Katzは女性名詞なので、形容詞のSchwarzに「e」がつきます。
    ツェルはモーゼル川の下流の村で、川が蛇行した場所にあります。

     

    では、なぜこの村のワインが黒猫なのか、というと、黒猫伝説があるからです。
    19世紀のことです。
    ワインの商人がこの村を訪れました。極上のワインを買い付けるのが目的でした。
    ツェル村の酒蔵を一軒一軒訪ね、それぞれ試飲していきましたが、どれが最も良いか、決めかねていました。最終的に3つの樽に絞り、さらに試飲を繰り返しました。するとそこに1匹の黒猫が現れ、樽の1つに飛び乗ったのです。
    黒猫はワイン商人たちに対して毛を逆立て、威嚇してきました。その姿は、この樽に近づくことは許さないといった雰囲気でした。
    商人たちは黒猫が威嚇までして守ろうとしているワイン樽は、きっと最上なものに違いない、と思ったそうです。その結果、その樽を買い付けることになったそうです。

     

    黒猫が守っていた樽のワインは、ツェルでも銘醸畑として知られているものでした。そのため、この黒猫とワイン証人に話が村中に広まり、この畑から取れたブドウで生産されたワインを、「黒猫」と呼ばれるようになったそうです。

     

    黒猫は不吉なものという見方もありますが、逆に魔除けや厄除けの意味もあったりして、福猫でもあります。

     

    Man kann sowohl eine Katze als kleinen Tiger bezeichnen, als auch einen Tiger als große Katze.

     

    虎を大きな猫ということができるなら、同様に猫を小さな虎ということもできる。

     

    猫とワインの組み合わせは魅力的です。

     

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