プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
今回はフランス、ルクセンブルク、ドイツの三国を流れるモーゼル川に沿ったワイン街道について、いつものように勝手に語ります。
もともとモーゼルワイン街道(Route des vins de Moselle)といえば、ドイツのモーゼル川に沿ったワイン生産地を結ぶルートのことでした。
そのためモーゼル川の遡ったとしてもフランスとの国境の村ペルルまでで、終点はライン川に合流するコブレンツまでの街道でした。
それが2012年になって、フランス側にまで呼称が及ぶようになり、翌2013年になって、さらに25キロ延伸されました。これによりフランス側のメッスまででつながることになり、欧州屈指の一大ワイン街道となりました。
さらに2014年からは、フランス側でモーゼルワイン祭り(Fête des vins de Moselle)も開催されるようになり、ドイツとルクセンブルグのワイナリーも参加していることで、モーゼルワインの一大プロモーションにもなっています。
モーゼル川(Mosel)は全長545kmの国際河川で、源流はフランス東北部のヴォージュ山脈です。
最初は北に流れ、ルクセンブルクで北東に向きを変えます。そののちドイツ国内に入り、ライン川に合流します。この合流地点は「Deutsches Eck」といい、観光名所にもなっています。
モーゼル川を利用した交通網は古代より始まっていたようで、この沿線都市にはローマ時代の遺跡も残っています。最も有名なものはトリアーのポルタ・ニグラかもしれません。
ついでなのでポルタ・ニグラも紹介しておきましょう。
ユネスコの世界遺産に登録されているもので、ラテン語では「黒い門」という意味です。
西暦186年から200年にかけて、都市の北門(城門)として建造されたものです。ところが、ローマ帝国時代から中世へと時代が変遷すると、この北門を使わないなります。さらに別の建造物を作ろうとしたようで、一部が破壊されました。その後、ギリシャ人の隠者シメオンを記念した教会を建設し、身廊や尖塔などが加わり、この門を覆うようになりました。
このまま教会として残ることは、ナポレオンによって否定されてしまいました。1805年のことです。フランス革命軍占領時代になり、ローマ時代以外の建造物はナポレオンの命令により取り除かれてしまったのです。
その結果、ポルタ・ニグラはローマ時代の城門跡として元々の姿に戻ったのです。
ちなみにポルタ・ニグラのあるトリアー(Trier)ですが、この発音はわれわれの世代には「トリアー」として親しんでいましたが、ここ最近では「トリーア」のほうが一般的だそうです。今回、このブログを執筆する際に知りました。でも、標準ドイツ語では確かに「トリーア」が正解ですね。
以前は舞台ドイツ語 (Bühnendeutsch) とよばれる発音の伝統で呼ばれていたそうです。知らなかった。
さて、モーゼル川に戻ります。
ライン川と異なり、モーゼル川はかつて、水量が安定していないことから、航行については苦労させられていました。改善されたのは19世紀末で、河川整備が進み、それ以前より大きな船舶での航行も可能となりました。
モーゼル川は蛇行を繰り返し、それが逆に自然美を助長させ、古城なども見かけます。鋭い角度の斜度を形成する丘陵部分にブドウ畑が広がります。
ブドウの品種はドイツ側はリースリングが主体で、対岸のルクセンブルクはミュラー・トゥルガウ、オーセロワ、ピノ・グリなどが加わります。フランス側では赤ワイン品種も加わり、ピノ・ノワールなどになります。
フランス、ルクセンブルク、ドイツという三国、それぞれに微妙に異なるワインが生産されるモーゼルワイン街道は、ワイン好きでない人でも十分に堪能できると思います。