プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
現在のアメリカの大統領・ドナルド・トランプが、実業家時代に支援されていたロスチャイルド家について語ります。もちろん「ワインブログ」ですから、ワインとの関係にも触れます。
ロスチャイルド(Rothschild)家といえばヨーロッパの貴族であり、財閥でもあり、歴史的側面からも研究材料になるほどの家柄です。
日本では「ロスチャイルド」と表記しますが、これは英語読みで、ヨーロッパに大きく関係しているファミリーなので、ドイツ語読みでは「ロートシルト」、フランス語読みでは「ロチルド」などとなります。
歴史的には、神聖ローマ帝国にまで遡ることができます。
もともとはフランクフルトのユダヤ人居住区にいたユダヤ人でした。ただ、このユダヤ人居住区というのは、フランクフルト・ゲットーといい、ユダヤ人を隔離した地域です。ドイツ語でFrankfurter Judengasseといい、「王庫の従属民」という法的地位をもつユダヤ人の地域でした。
したがって、神聖ローマ帝国の一般市民とは明確に区別される存在でした。
ロスチャイルド家として勃興したのは、マイアー・ロートシルト(1744-1812年)です。
古銭商をしていましたが、ハーナウのヘッセン・カッセル方伯家嫡男ヴィルヘルムが顧客になり、その後の1769年に宮廷御用商に任じられるようになりました。
これによりヴィルヘルムの資金力を活かし、他の王侯貴族や軍人、他の産業にも貸し付けることができるようになりました。
これを可能にしたのは、ヴィルヘルムが傭兵業を営んでいて、植民地対策の兵員不足だったイギリスに貸し出すことで、商売的に大儲けをし、ヨーロッパ随一の金持ちだったことが関係しています。
マイアーは両替商も兼業するようになり、ヴィルヘルムの傭兵業とも関わることで、イギリスで振り出された為替手形の一部を割引(現金化)する仕事も任されるようになりました。
しかし1785年に、ヴィルヘルムがヘッセン・カッセル方伯位を継承することになり、状況は少し変化します。ヴィルヘルムがカッセルに移ったことで、マイアーとヴィルヘルムは疎遠になり、ある意味で危機的状況ともいえることになったのです。
それでも、両替商とは別に、物品商を続けていたわけですが、こちらは順調に売上を伸ばしていました。それはフランクフルトがイギリスの植民地産品や工業製品を集める一大集散地になっていたことも関係していたようです。
疎遠になっていたヴィルヘルム(この頃はヴィルヘルム9世)とは、マイアーの息子たちがヴィルヘルムスヘーエ城に頻繁に出入りするようになり、1789年にはロスチャイルド家はヘッセン・カッセル方伯家の正式な金融機関の一つに指名されるようになりました。
また、1795年頃からはヴィルヘルム9世の投資事業にも参加していました。
次に飛躍のチャンスとなったのはナポレオンが関係しました。
1806年にナポレオンは大陸封鎖令を出しました。イギリスとの貿易を禁じたのですが、これがロスチャイルド家にとっては絶好のチャンスになりました。
イギリス植民地からの輸入に依存していた商品、例えばコーヒーやタバコなどがヨーロッパで高騰することになりました。当然の結果ではありますが、これはイギリスでも悲劇を起こします。
イギリスでは、フランスやドイツなどに輸出していたことで確立された巨大マーケットが、大幅に喪失したことを意味します。そのため、植民地産の商品価格が大暴落することになったのです。
商魂たくましいマイアーの三男ネイサンは、当時イギリスに常駐していたので、ロンドンで植民地産の商品を安く大量に購入し、大陸へ密輸したのです。
父や兄弟たちが確立している通商ルートがありますので、この密輸はヨーロッパ大陸各地に販売網を広げることに成功しました。
この密輸ルートはイギリス政府にもありがたいことで、政府は反フランス同盟国に送る軍資金の輸送もネイサンに任せるほどになったようです。
また、ロスチャイルド家はユダヤ人の解放をナポレオン法典を利用して推進する役割も果たしました。
ナポレオン法典では、人民の法の前の平等・宗教的信仰の自由が謳われていました。この法典をフランクフルトにも導入する際、大公ダールベルクはフランクフルトのユダヤ人たちに金銭を要求し、そのほとんどをロスチャイルド家が建て替えたのです。これによってユダヤ人の開放が実現しました。
もっともこれは、1815年にはフランクフルトが自由都市の地位を取り戻したことで、ユダヤ人の市民権そのものが再びなくなってしまうことになりました。
1812年にマイアーは死去しましたが、ロスチャイルド家一族の五家が創設され、相互連絡を蜜にし、それぞれに発展していきます。
ウィーン体制下では、オーストリア帝国宰相クレメンス・フォン・メッテルニヒとの関係が強まり、1822年にはロスチャイルド一族全員がハプスブルク家から男爵位を与えられるようになりました。
また、アメリカ公債を引受けたり、ヨーロッパでは鉄道事業への投資を展開したりしながら、ますますの発展をしていきます。
ロスチャイルド家は、19世紀には栄華を誇るほどの一族ではありましたが、20世紀には衰退の一途をたどるようになりました。
そしてナチスの時代です。
ドイツ国内のロスチャイルド家に由来する記念碑や名称など、ナチス政権ではすべて取り払われました。ロスチャイルド家所有の財団法人や慈善施設も買い取られ、フランクフルト家の最後の当主ヴィルヘルムの娘婿だったマクシミリアン・フォン・ゴールドシュミット=ロートシルトの財産も政府に没収されてしまいました。
第二次世界大戦終了時には、ロスチャイルド家はロンドン家とパリ家の二つだけになり、衰退は更に進んだことになりました。
しかし、ロスチャイルド家は復興しました。2003年に、ロンドン家とパリ家の両銀行が統合され、ロスチャイルド・コンティニュエーション・ホールディングスが創設されました。
さて、ロスチャイルド家とワインの関係です。
ボルドーワインの「5大シャトー」の中で、2つはロスチャイルド家の所有です。
シャトー・ムートン・ロートシルトは、ネイサン・ロスチャイルドの三男ナサニエルが1853年に購入し、シャトー・ラフィット・ロートシルトはマイヤー・ロスチャイルドの五男ジェームスが1868年に購入しました。
波乱万丈のロスチャイルド家ですが、オーナーの立場にあるシャトーのワインは、世界的に最高の格付けなので、それらの歴史とは関係なく、純粋に味を楽しめるでしょう。プレゼントにも最適です。